2015年6月19日金曜
突然逝ってしまった
娘は泣くこともなく
9年
夏日の命日
夢父とお墓へ
アサヒスーパードライ
ぐっといっちゃって
心臓が悪かった母
脳梗塞で倒れるまでは
口癖のように言っていた
「きっとママは、心臓が止まって
一瞬で
逝くような気がするよ」
確かに一瞬だった・・・
当日まで元気だったし
前の日も
リハビリで
名画を描いていた
どう逝くかなんて
選べない
日常の中に
生死があり
限りがあるからこそ
大切に過ごしたい
母を介護した10年
いろんな事があり
子育て経験できなかったが
悲喜こもごも・・・
少しは成長できたと
思いたい
月と暮らして
14年7か月
お互い
いい年になり
身体は衰えるけど
足腰きたえて
元気でいたい
母よ
見守ってね
月と夢母
ついでに
夢父(笑)
#母の命日
#要介護5
#リハビリ
#愛犬14才
#コーギー
#corgi
何年たっても
まだ
泣けてないのは
まだ、別れを受け入れてないのでしょうか
夢には
よく登場しますが・・・
死に方は選べない、、、そうですよね
私の娘のお舅さん、まだ50代前半で昨日旅立ちました。
背中の痛みに違和感を感じ、自分で救急車を呼んだらしいです。
緊急手術になり一命は取り止め、会話が出来るまでになったものの、容態は急変してそのまま逝ってしまったそうです。
そんな亡くなり方、望んでなんかいないですよね。
お母さんの場合は、自分の死に方を選んでたのではないかな と感じました。
以前、死に際も自分で決めている と聞いた事があります。
家族に見守られながら逝きたい人、奥さんだけに看取られたい人、死に際を見せたくない人、、、、
ある意味そうなのかなって思う部分もあります。
私の父もまだ今すぐって状態ではないだろうからと、母だけ残して一旦帰宅しました。
その時に父が亡くなったと連絡が入りました。
父は、母と二人だけを選んだのかな と思いました。
ありがとうも言わずに逝ってしまったわ と
看取った母が言っていましたが、父は二人きりで、最後の答えを母に伝えたかったんだと思います。ありがとうを言わない旅立ち。
字を書く力も無くなっていき、食べる事も出来なくなって行った父に、母は
まだ死んだらいけんよとか、これも食べられんようになったんかな しっかり食べられ
などと、父はどんな気持ちで聞いていたのだろうと、私は側で見ていて胸が痛かったです。
無言で旅立った事が、母への言葉だったと
私は思います。
ありがとう を望んだ母には嫌悪感しかありません。
夢母さんのお母さんは、きっと優しい人だったんでしょうね。周りは困惑しただろうけど
お母さんはその逝きかたを選んだのではないかなと思えます。
長いコメントになってごめんなさい🙇♀️