モリ・トラオレの世界(コートディヴォワール)
司会:Mr. I. M.(東京外国語大学AA研)
案内のサイト(しばらくして消える可能性アリ)
セッションテーマ: 《危機と包容、あるいは敵対者への愛を忘れぬこと》
思ったより大勢の参加(200名くらいかな?)に、 近年の日本におけるアジア・アフリカ研究の盛んなことがうかがえた。
いみじくも長年コートジボワールを研究されたH先生が、コートジボワールでこんなに人の集まった場所にゲストで呼ばれるのは初めてとおっしゃっていた。
午後はアダ師匠の素晴らしい、ジャンベとバラフォンで始まり、 次に映画が上映された。モリ氏の話が中心の映画になっており、 そのまま見ると、政治演説か、e-learningのコンテンツのようにも写る。
この点は、上映前に司会者からも説明があった。
モリ氏としても、登場人物を増やすと、現状下では、その人に危害が及ぶかもしれないという配慮もあったとのこと。
私としては、あのような表象があっても良いと考えた。
映画の場合、監督は何らかの映像、音声等を使ってメッセージを伝えるわけで、
モリ氏の伝えたいのが、口承をベースとしたアフリカ文化が、文字を伴った外来文明に駆逐されようとしている、またそのような過去の歴史が続いてきたことをテーマとして、
口承(オラル)の豊かさを訴えたいこともあるわけで、
あのような方法も意味があるのではないかと考えた。
だからこそ、口承で綿々と伝えてきたグリオとの連係が重要であったはずであるが、
私も言いたいことが沢山あってその点をお聞きするのを逸してしまった。
映画のタイトルは『コートディヴォワール、希望の土地』
最初に考えたのはコートジボワール国家の一節、~♪・・Terre d’espérance♪・・~
シニカルなタイトルかと思った。しかしそうではなかった。
現在は最悪な戦争状態でもなく、かといって平和でもない。そのような状況の中で、人々は考え、反応している。
今こそが別次元の世界へと進むチャンスを持っている。そのような見方と理解した。
確かに、そのように見ることもできる。
しかし昨今の状況は、何れの政党指導者も自己の主張を繰り返すだけで、後は持てるパワー(武器と資金と人間)を計算しながら交渉しているようにも思える。人民の蜂起は考えられないのか、、。
真の希望の地に到達するのはまだ時間がかかりそうである。
司会:Mr. I. M.(東京外国語大学AA研)
案内のサイト(しばらくして消える可能性アリ)
セッションテーマ: 《危機と包容、あるいは敵対者への愛を忘れぬこと》
思ったより大勢の参加(200名くらいかな?)に、 近年の日本におけるアジア・アフリカ研究の盛んなことがうかがえた。
いみじくも長年コートジボワールを研究されたH先生が、コートジボワールでこんなに人の集まった場所にゲストで呼ばれるのは初めてとおっしゃっていた。
午後はアダ師匠の素晴らしい、ジャンベとバラフォンで始まり、 次に映画が上映された。モリ氏の話が中心の映画になっており、 そのまま見ると、政治演説か、e-learningのコンテンツのようにも写る。
この点は、上映前に司会者からも説明があった。
モリ氏としても、登場人物を増やすと、現状下では、その人に危害が及ぶかもしれないという配慮もあったとのこと。
私としては、あのような表象があっても良いと考えた。
映画の場合、監督は何らかの映像、音声等を使ってメッセージを伝えるわけで、
モリ氏の伝えたいのが、口承をベースとしたアフリカ文化が、文字を伴った外来文明に駆逐されようとしている、またそのような過去の歴史が続いてきたことをテーマとして、
口承(オラル)の豊かさを訴えたいこともあるわけで、
あのような方法も意味があるのではないかと考えた。
だからこそ、口承で綿々と伝えてきたグリオとの連係が重要であったはずであるが、
私も言いたいことが沢山あってその点をお聞きするのを逸してしまった。
映画のタイトルは『コートディヴォワール、希望の土地』
最初に考えたのはコートジボワール国家の一節、~♪・・Terre d’espérance♪・・~
シニカルなタイトルかと思った。しかしそうではなかった。
現在は最悪な戦争状態でもなく、かといって平和でもない。そのような状況の中で、人々は考え、反応している。
今こそが別次元の世界へと進むチャンスを持っている。そのような見方と理解した。
確かに、そのように見ることもできる。
しかし昨今の状況は、何れの政党指導者も自己の主張を繰り返すだけで、後は持てるパワー(武器と資金と人間)を計算しながら交渉しているようにも思える。人民の蜂起は考えられないのか、、。
真の希望の地に到達するのはまだ時間がかかりそうである。