COTE D'IVOIRE

アビジャンに住んでいました(1999.3-2002.10)
サイト《象牙海岸にて》の続編を綴ってみます。

大統領世襲のトーゴ

2005年02月08日 | 政治家と政治
コートジボワールとは友達付き合いしていた(?)トーゴのニャシンベ・エヤデマ大統領が2月5日になくなりましたね。
飛行機事故にも、暗殺にも不死身のエヤデマさんといわれていたのに、、69歳だったそうです。
あのサングラスのインパクトある顔は、本当に強そうと言うより、コワそうに見えました。 合掌。

でもその後がね、、48時間で憲法を都合よく変えて、息子のフォール・エヤデマ(前鉱山・設備大臣)が暫定大統領になったそうです。
本来の暫定大統領であるべき国会議長は更迭されたそうで、、なんとも、、どうなっているのやら。
モロッコの人たちも新聞を見てあきれていました。
コートジボワールとトーゴの間にあるガーナはいまのところ優等生だけど、、
西アフリカ、しっかりしてよと言いたいですね。
一人の権力者が長く続くと、交代のシステムができずに、結局は荒れてしまうんですね、残念。

コートジボワールではどのように報じているのか、見てみましょう。

しっかりしてよ、国会議員

2004年12月19日 | 選挙
12月17日(金曜日)、203票中、179票の同意を持って、憲法第35条の見直しに関する決議がなされたとのことです。
これはいわゆる大統領候補者が父親、母親ともコートジボワール国籍でなければならないとする、これまでの条件を両親の内、いずれかがコートジボワール国籍であれば候補者になることができる、と改定することを意味しています。
要はアラサン・ワタラ氏の2005年の大統領候補を受け入れるという、準備にもなるわけで、それが88%の賛成をもって受け入れられたということは、意外でもあります。以前は反対していた同じ人たちによる投票なわけですよね、、、。
各党がどのような決断をしたかにもよるのでしょうが、各議員には、しっかりと判断していただきたいものです。
以前、ゲイ将軍が大統領のとき、国会議員による手当ての改善要求を受け、彼曰く「あなたたち議員は他人の言いなりで、議員としての役目をしていないでしょう。そういう人達への手当てはありません。」といったことがあったそうです。その時は彼の言う通りだと思ったのですが、彼は既になく、彼の評価も悪くなる一方です。
彼に恥ずかしくない行動と決断を各国会議員にお願いしたいものです。

それにしてもアラサン・ワタラ氏の顔 が随分と変わったように思われます。

憲法の再考:バボ大統領進展を約束 

2004年12月10日 | 選挙
 12月6日

バボ大統領は憲法35条の見直しを、2005年の1月にむけて行うとの声明を国会で行いました。
憲法35条というのは、大統領の被選挙資格についての条項ですが、このような約束が南ア、タボ・ムベキ大統領の調停によりもたらされたようです。
ムベキ大統領はアフリカ連合から指名された調停人で、コートジボワール問題和平解決の模索を使命としていたわけですが、この会見の後、両者による共同会見もしくは署名を伴った文書は明らかにされていないようです。
この点において、同じことの繰り返しと西欧報道陣の見方もあるようです。とはいうのも、この国民投票による変更の意志はこれまでも何度かバボ大統領により表明されていたものの、反対意見により見送られてきたということで、書面の約束なくしてうまくいくはずがないとの見方だと思います。
私はこの点、これまで署名してもうまくいかなかった。むしろその署名がフランスの一方的な押し付けとの反発を招いたわけですので、この両者の署名なき調停の成果は意外と効果的かもしれないと思っています。
問題はマルクゥシの協定がコートジボワールという国の法律も民意も無視した形で行われたことに対して、今回はコートジボワールの国の事情を配慮した上での約束事ということで、バボ大統領もやりやすくなったのではないかと思います。この後国会の審議を待ち、国民投票と道のりはまだありそうですが、国民のコンセンサスはこの方向に向かったのではないでしょうか、
もっとも、国民投票の際の問題は以前よりも山積みされているとはいえです。
北部の選挙人名簿は既に反対軍により消却されたと聞いています。どうなることやら、、ここでまた一騒動なくしては前進しないかもしれませんが、小さな一歩が前へ進んだとみることは出来そうです。

頭の赤いトカゲ

2004年12月09日 | 文化・音楽・スポーツ
TV-5でコートジボワールのことをやっていたよ、と同僚が教えてくれました。アルファ・ブロンディもインタビューに答えていたそうです。
そこで彼が語ったというお話です。
ある森に、頭の赤いトカゲがどこかからやってきました。かわいそうに思った森の主は森のはずれに少しの土地を与え住まわせました。トカゲはせっせと野良仕事をし、その息子達も頑張りました。しばらくすると作物は良くできて暮らしも良くなりました。ところがそれをねたんだ森の仲間達は、森から出て行くように迫り、言うことを聞かない頭の赤いトカゲの畑を燃やしてしまいました。それでも森から出て行かないので、森の仲間達は追い出しにかかったのです。鳥も一緒になって空からトカゲを威嚇しました。トカゲは襲われないように火の近くへと逃げていきました。追いかけた鳥は炎に巻き込まれ、火の中に墜落し、火事は一層大きく燃え広がり、森一面に火が広がってしまいました。

どうやらこんな話が昔からあったようです。
その後、どうなったかの続きはなかったのか、、続きがあればこんなことにはならなかったかも知れません。

コーヒー・カカオ連合会長(FIPCC)の死

2004年11月30日 | 農業関連
Cissé Lociné 氏が11月26日(金)の夜に急死したとのこと。
毒殺なのか、それとも自然死なのか、「謎の死」と"l'INTELLIGENCE D'ABIDJAN"紙が報じています。

FIPCC:Fédération ivoirienne des producteurs de café-cacao

Souce: http://www.abidjan.net/actualites/h/110744.html

政府にも歯に衣をきせない言い方で迫っていた彼が、こんなことになろうとは、灯りがまた一つ消えたようで、先がますます見えにくくなりました。

合掌

フランスを告訴?

2004年11月30日 | 国際会議・関係
バボ大統領がフランスを国際司法裁判所に訴えるといきまいていましたが、
どうやらやめたようです。

一方、ソロはイタリアあたりを説明と称して行脚しているようです。

仏語圏サミットの願いも両者の耳には届いていないようです。

仏語圏サミット

2004年11月29日 | 国際会議・関係
「仏語圏、持続的開発のための団結」というテーマで、第10回、仏語圏サミットが11月26日、27日の2日間にわたり開催されました。
コモンウェールズの仏語版として1986年、当時のミッテラン大統領が開始した頃は、文化国家フランスのイメージと余裕の感じられるサミットと見ることができました。
そして回を重ねて今年は第10回目。当初は毎年開催の予定が第3回目から2年毎になり、第9回サミットは2001年9月11日の影響で翌年に持ち越し、今年、第10回の開催地はワガドゥグ(ブルキナ・ファソ)です。何というめぐり合わせでしょう。
隣国コートジボワールのバボ大統領は欠席、何故か近い国のトーゴ、ギニアそして先回の開催地レバノンの大統領も欠席です。その代わりか、ナイジェリアのオバサンジョ大統領を招き、決議には重みを持たせているようです。
事務総長ディオフ氏(前セネガル大統領)の言葉にもむなしさがうかがえます。「文化の団結が、政治色に塗られた」、「軍事手段は何の解決にもつながらない、、」
もちろん今回も多くの文化的決議が打ち出されているようです。ところが協議は綿花の価格暴落とコートジボワールの問題に集中したようです。
ラジオを聴いていてインパクトある演説を聞くことが出来ました。マリの元大統領、現AU委員会の長であるアルファ・ウマル・コナレ氏 です。彼は3分のバンバラ語の演説の後、、、
「・・確かにフランス語のコミュニティではあるけれど、フランス語が我らの母語に勝るというものではない、ベテ、セヌフォ、バンバラ、、、アフリカの国々の長よ、汝の言葉を愛せよ、そしてその活き活きとした言葉で今日犠牲となっている兄弟達に、しっかりと話してあげてくれ、豊かな言葉フランス語を通じた今日の我らの団結を話してあげてくれ、、。」

「・・100万人もの綿花農家が、去年800cfa/kgだった綿花を今年は500cfa/kg以下で売ることを余儀なくされている。国の負債は既に限界に達し、貧困化は拡大されるばかりだ、これが持続的開発の見本なのか、、、、」
シラク大統領も暗にアメリカの40億ドルに及ぶ自国の綿花生産者への補助金政策を非難しています。

そしてコートジボワールへの対応は制裁を適応せず、当事者の政治的対話と解決を求めることになりました。
次回、2006年はブカレストでの開催が予定されています。

Source:http://www.rfi.fr/francais/actu/pages/001/dossier_special_79.asp

Tissa で会った中国人

2004年11月26日 | 日々の暮らし
モロッコの地方へ泊りがけで行ってきた。
「地球の歩き方」にも載っていない町(村?)Tissa、
ここの役所へ寄ったとき、後ろの官舎に住んでいる女性が僕を見て何か言っていた、、。
彼女の家に中国人がいるから会いに来いとのこと、半信半疑でついて行った。
「こんにちわ」、、、確かに中国人がいた。しかも2歳くらいの子どもを抱っこしていた。
官舎に住んでいる女性の妹が中国人と結婚し、そのご主人と彼の兄弟が奥さんの姉を訪ねていたところだった。
ご主人のお仕事は商業。今日、夕方の便で上海へ向かうという。
そのわりには実にのんびりしている。アフリカに溶け込んだ雰囲気を持っている。
彼らは2000年までアビジャンにいたとのこと、その後ダカールへ渡り、今はカサブランカに居を構えたそうだ。
アビジャンで洋裁をやっていた台湾の女性の話をすると、、、
「今はもうミーナ逃げました。」
モロッコで中国製品が大量に出回っていることを、納得させるに十分な彼らの若さと頑張り。
そんな人たちはもうアビジャンには残っていないようだ。
中国人のいないアフリカも珍しいのではないだろうか、
コートジボワールは珍しい国の一つになってしまったか、、、。

国連安保理の迅速な制裁決議

2004年11月17日 | 騒動と戦争
フランスのイニシアティヴによる国連の安全保障理事会は15日(月)、コートジボワールへの制裁議決を採択した。
決議内容は以下の通り。
・武器および関連物資の輸入禁止、13ヶ月間
・憎悪や暴力をあおる報道の中止
・武器禁輸の妨害、人権侵害にかかる関係者の渡航禁止と在外資産の凍結
渡航禁止と、在外資金の凍結については、1ヶ月間の猶予期間があると解釈される。
この間にコートジボワールの和解合意が実現しない場合に実行されるようであるが、武器禁輸は即時の実施となっている。

これらの報道は 毎日新聞朝日新聞にも報道され、
毎日には《コートジボワール:紛争再燃「見せかけの民主化」破綻》という、
小特集も組まれている。これほどタイムリーに日本の新聞が取り上げるのはめずらしい。
毎日の国際コーナーに【アフリカ・オセアニア】コーナーができたのはすばらしいことだ

ローラン・バボ 対 ジャック・シラク

2004年11月16日 | 騒動と戦争
シラク大統領:「ウフエ・ボワニ大統領の時はアフリカのモデルだった、ところが彼の後継者はそれを引き継ぐどころか、とんでもない国を作ってしまった。白人と外国人を追い出して、、、。このように無秩序なファシストの体制を放置することはできない。」

バボ大統領:「フランスは反乱軍に加担している。過去のモデルの国で牢獄に入れられたのは我々だ、ファシストの単独政党を40年も擁護してきたのはフランスではないか、侮辱はもうたくさんだ。」

(リベラシオンの抄訳にならって、訳を超訳にしてみました。
原文はrfi:http://www.rfi.fr/actufr/articles/059/article_31762.asp 参照)
どうやらこんなやり取りがなされているようです。
こうなると、もう手がつけられない、、。

バボさんは確か癲癇持ちなんだよなあ、
親子喧嘩のようにも聞こえるけど、今度ばかりはどうなることやら、、、。