COTE D'IVOIRE

アビジャンに住んでいました(1999.3-2002.10)
サイト《象牙海岸にて》の続編を綴ってみます。

2011年4月2日(土曜日)の動き

2011年04月03日 | 2010大統領選挙の後
2011年4月2日(土曜日)

アラサン・ワタラ支持者がローラン・バボ体制を終結させる時として攻撃を開始。すぐにも決着がつくかに見えていたものの、事態は混乱している。フランスとソロ氏から発せられるメッセージからはヒットラーの最期を彷彿させる。

我々が知ることのできない情報も多いと思う、バボ氏がこれほどまでに抵抗するのは『アフリカの体制革命』を夢みてのことなのかもしれない、、

4月2日の模様を、下段に古い出来事を、上段に最新のものを整理した。
(Source:http://www.rfi.fr/afrique/20110402-crise-ivoirienne-evenements-heure-heure)

18h45 :土曜日に撮影したものと思われるバボ氏の、お茶を飲みながらくつろいでいる映像がRTI(コートジボワール放送(ラジオテレビ))から放映。前大統領はココディの家にいた。
18h20 :RTI放送は今もローラン・バボの支持者の手中にある。
18h15 :フランス大統領官邸からのコミュニケによれば、フランスは、コートジボワールの選出大統領アラサン・ワタラと共に、「コートジボワール各党に対して、市民への暴力自制とつつしみを厳重に努めるよう公式に呼びかけている」
16h45 :アビジャン北部、アジャメ地区のアグバン軍キャンプの近くでは、午後に激しい重砲が鳴り響いた。
16h40 :英国外交代表のウイリアム・ヘイギュ氏は、コートジボワールにおける暴動に対し「極めて憂慮しており」また「全党を挙げて鎮静するよう」呼び掛けた。
16h15 :デュエクエで、アラサン・ワタラ軍によって殺害されたのは「義勇兵と非市民」であることが確認されたとワタラ側軍スポークスマンより発表。
16h00 :午後、大統領官邸地区からは、迫撃砲など激しい重砲の攻撃音が聞かれた。
14h20 :フランス外務大臣、アラン・ジュペ氏は、ローラン・バボ氏の「国家首長最後の日」と推測する旨、ボルドーで開催中の人種差別および反ユダヤ主義撲滅国際同盟討論会の場で述べ、また「彼の強情は今日、犯罪となり、立ち去ることになる」とジュペ氏は付け加えた。
13h50 :国の西側に位置するデュエクエで、アラサン・ワタラ軍が市を奪取する水曜日前に、100名以上がローラン・バボ側の雇用兵に殺害されていた、とコートジボワール国連軍により確認。
13h50 :デュエクエでは330名が週明けに殺害され、「これらの大半が」国際的に大統領として知られているアラサン・ワタラ大統領の部隊によるものと、国連軍は確認した。
12h00 :日曜日朝6:00からの外出禁止令がアラサン・ワタラ政府により発表。
11h30 :アビジャンのローラン・バボ大統領官邸地区に激しい重砲砲撃。
10h30 :ローラン・バボ支持軍は「共和国の制度を守る」ために隊を組んで立ち向かうよう、RTI国営放送を通じて呼びかけ。
10h00 :約1400名のフランス人とその他の外国人は、土曜日の朝、集団でポート・ブエ(アビジャン近郊)内に結集するようフランス軍が指示。
08H25 :アラサン・ワタラ政府は「多数の死体置場」を、土曜日にコートジボワール西部で発見したことを確認、ローラン・バボ支持者の統制下にあったと非難。


国営放送では、反乱軍(アラサン・ワタラ軍)が政治的にも的を絞って、バボ氏と同民族のベテの人々を虐殺したと報じている。

上の「時々刻々」はrfiに報道されたものだが、ソロ首相の言い訳とバボ氏への非難も読み取ることができる。

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