時の深まりを感じながら、肉体が呼吸している。
昨日の舞踏ワークショップでの稽古感想は、一言にすれば、そんな印象。過ぎゆく一瞬を大事にすること、ひと呼吸ひと呼吸を味わうこと、心を感じて丁寧に身を動かすこと。
レッスンを続けている方ならではの落ち着いた丁寧な稽古でした。
お話しながら下半身のストレッチ、足腰の立て方から「運び」を中心とした基本練習へ、これを活用しつつ音と遊ぶ「即興」の動き。昨日は、ゆったりとした流れを感じたかったので、箏と笙の曲で踊ってみました。
足腰や肚は、何と言っても土台ですから、そこにしっかりした稽古を入れないとカラダが強張りリラックスできません。気持ちも自由になれない。
丁寧な練習を重ねたい由縁です。
遊ぶ、踊る。
即興の練習は、やはり回数を重ねるほどに意義ある時間となっていきますが、昨日のレッスンで良かった点は、内的な集中が出てきたことでした。
落ち着いた佇まいでドラのリズムに受け答えするような始まり、いつしか戯れとなりつつも、音が内面に染み込むのをちキチッと感じてゆこうとする意識が、姿勢や重心の安定につながっていました。そして、決して乱暴ではなく、それでいて強い手の動きが誘導されていたと思います。
気持ちの変化をしっかり受け止めてこそ、 動く必然が現われ出るので、即興練習はタイミングの練習とも言えます。
内のエネルギーを捉えて動くこと、内面観察、それが、あるポイントを超えるとき、外に働きかける力を生み出せるんだという体験。そういう方向へ。
まあ、実際に動き語らいつつのセッションから出来る体験なので、文字にしるすのは難儀ですが、現われ出る動きや体験を通して磨かれるのは、やはり自分というものへの眼差しだと思います。
うれしかったのは、稽古中に発せられた声。
いま居る場所が、こんなに広く見えるのが、新鮮。
と…。
それは、カラダの動きが意識に働きかけている証。稽古の仕方が良くなってきたのだと思います。
全身への気配りから「意識」が冴え、目が敏感になってゆく、場所そのものも広々余すところなく感じる、いわば「ひらけてゆく」のでしょう。
さて、次の稽古はどんなセッションになるでしょうか?
毎回、楽しみでなりません。
次回は6月14日です。
くわしい記事
昨日の舞踏ワークショップでの稽古感想は、一言にすれば、そんな印象。過ぎゆく一瞬を大事にすること、ひと呼吸ひと呼吸を味わうこと、心を感じて丁寧に身を動かすこと。
レッスンを続けている方ならではの落ち着いた丁寧な稽古でした。
お話しながら下半身のストレッチ、足腰の立て方から「運び」を中心とした基本練習へ、これを活用しつつ音と遊ぶ「即興」の動き。昨日は、ゆったりとした流れを感じたかったので、箏と笙の曲で踊ってみました。
足腰や肚は、何と言っても土台ですから、そこにしっかりした稽古を入れないとカラダが強張りリラックスできません。気持ちも自由になれない。
丁寧な練習を重ねたい由縁です。
遊ぶ、踊る。
即興の練習は、やはり回数を重ねるほどに意義ある時間となっていきますが、昨日のレッスンで良かった点は、内的な集中が出てきたことでした。
落ち着いた佇まいでドラのリズムに受け答えするような始まり、いつしか戯れとなりつつも、音が内面に染み込むのをちキチッと感じてゆこうとする意識が、姿勢や重心の安定につながっていました。そして、決して乱暴ではなく、それでいて強い手の動きが誘導されていたと思います。
気持ちの変化をしっかり受け止めてこそ、 動く必然が現われ出るので、即興練習はタイミングの練習とも言えます。
内のエネルギーを捉えて動くこと、内面観察、それが、あるポイントを超えるとき、外に働きかける力を生み出せるんだという体験。そういう方向へ。
まあ、実際に動き語らいつつのセッションから出来る体験なので、文字にしるすのは難儀ですが、現われ出る動きや体験を通して磨かれるのは、やはり自分というものへの眼差しだと思います。
うれしかったのは、稽古中に発せられた声。
いま居る場所が、こんなに広く見えるのが、新鮮。
と…。
それは、カラダの動きが意識に働きかけている証。稽古の仕方が良くなってきたのだと思います。
全身への気配りから「意識」が冴え、目が敏感になってゆく、場所そのものも広々余すところなく感じる、いわば「ひらけてゆく」のでしょう。
さて、次の稽古はどんなセッションになるでしょうか?
毎回、楽しみでなりません。
次回は6月14日です。
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