今年もあと数日。3月末に予定するソロ公演の作舞を追い込みつつ、大晦日を待つ。
今日はクラス納めでもあった26日のオイリュトミークラスの報告。
ダンスや舞踏のクラスを内部の光を目覚めさせる赤い熱空間とすれば、こちらは蒼く澄んでゆく浄化の流動空間。
あらためて、そう感じた。
とても清らかな、しかし温かい踊りを、メンバーは繰り広げてくれた。
前半は言葉と音楽それぞれの響きやグルーブを体感してゆく基礎稽古、後半はピアニストに伴奏してもらいながらヘンデルのサラバンドを踊った。メロディを中心とする高音パートと通奏低音を中心とするベースパートのアンサンブルだ。胸や腕を豊かに波打たせて唐草模様さながらの曲線を駆け抜けるのは高音パート、重心をどっしり安定させて、全身で大きな渦を空間に刻んでゆくのはベースパート。ふたつのグループが、時にからまり、時に向き合い、音楽を立体的な空気の建築へと変容させてゆく。聴覚を敏感にして、呼吸を合わせて、全身でたっぷり舞う。冬場でも汗がどんどん流れて顔色はほのかにピンクをまとうが、出来上がってゆくのは、あくまで優雅な風景だ。
以前、見学された方が「風の踊りですね、これは」と、ことばを下さって、まさに、と膝を叩いたことがある。
スッと立つ姿勢は常に柔らかくする。
ひとつ所に居続けないで、常に滑らかに東西南北を移ろいながら舞う。露骨な感情を出さなくして、気持ちは全て身体の隅々にまで通過させる。
そんな雰囲気を大切にする流儀のせいか、肉体の生っぽさが抑制されて、動きの軌跡が風紋のように空間に残像する。
稽古に親しむにつれ、メンバーの方に、どこか品のあるスッキリした美しさが現れる。
人間の根っこにあるのは自然界とおなじ有機的な動の美か。
そんな予感を抱きながらのレッスンだった。
オイリュトミーは1912年にヨーロッパで生まれた。ちょうど百年。
言語や音楽、つまり人間の生むサウンドを空間全体に描くように踊る。踊ることで、そのサウンドのもつエネルギーを全身全霊で味わい尽くそうという趣向だ。
風なら「かぁ、ぜぇ」windなら「Wぃ~ん、Dッ」みたいな、その言葉の感情を伝えてくれるサウンドの戯れを、ベートーベンの第五なら「ン・ソソソミ~!」からたたみかけるような音の連続体を、ダイレクトに振りつけて踊る。
主観よりも客観的に、聴こえたものをからだに反射するように動く。
オイリュトミーでの舞手は、鏡の躰を獲得するように稽古する、とも言える。
歩行からリズムへ、リズムから流動へ。音感を胸から腕につたえて放射し、発話の衝動を喉の形の変化にヒントを得たポーズで全身に拡大する。
ヨーロッパらしいハッキリしたメソッドと様式は、無駄のない自然運動で構築され、非常に完成度が高い。
また、哲学者が創案しただけあって、ひとつひとつの型や稽古段階には説得力がある意味が込められている。
わたくしごとを申せば、床体操とクラシック音楽をした子供時代を経て、僕は何だかキチキチとこなすのがイヤになって、創作や即興を好んで楽しむようになった。型にはまるのが嫌だし我のつよい性分だったのに、この「オイリュトミー」は何故か心地良くて最初の学びから今まで、30年近くも味わっていることになる。
それは、方法が良く整理されて解り易かったのと、この踊りを学ぶことで、言語や音楽についてアタマではなくカラダで勉強したり分析したりする楽しみ方を得たからだと思う。
オリジナルのダンスで舞台を踏むから、大部分は創作的な作業の日々だが、トレーニングのなかには飽きずにオイリュトミーが現れる。トレーニングというよりは、三度の食事のように楽しんでいる。オイリュトミーを稽古していると、自分の世界を一歩離れて、様々な音楽や様々な人の言葉を、たっぷりと呼吸しているような気分になる。それは自分自身を客観的に見つめる日々のリズムにもなっている。
なかなか良いものを発明してくれたものだと、感謝している。
新年は1月4日のダンスクラスからとなる。このクラスはとても創造的な雰囲気。あたらしい年の始まりに相応しいかも。楽しみ楽しみ!
info.……………………
※レッスンは、いづれも初心者よりOK。稽古場は荻窪バス10分ほど。お問い合わせ時に詳しくご案内します。
参加方法など、下記リンクにて、くわしくご案内しています。
【新クラス開設のご案内】
★新クラスstart 1/26から
コンテンポラリー+オイリュトミー 土曜レギュラー
(入門から段階を追って学ぶ久々の新クラスです)
内容/開始メンバー募集!
【開催中のレッスン】
【水・金・土曜】クラス内容/参加方法
【隔週火曜】ほびっと村学校「舞踏」クラス
【次のダンス公演】
2013年3月29日(金)~30日(土)
櫻井郁也ダンスソロ新作公演
東京中野planB(共催)
タイトルや内容詳細は近日このブログにて発表いたします。
今日はクラス納めでもあった26日のオイリュトミークラスの報告。
ダンスや舞踏のクラスを内部の光を目覚めさせる赤い熱空間とすれば、こちらは蒼く澄んでゆく浄化の流動空間。
あらためて、そう感じた。
とても清らかな、しかし温かい踊りを、メンバーは繰り広げてくれた。
前半は言葉と音楽それぞれの響きやグルーブを体感してゆく基礎稽古、後半はピアニストに伴奏してもらいながらヘンデルのサラバンドを踊った。メロディを中心とする高音パートと通奏低音を中心とするベースパートのアンサンブルだ。胸や腕を豊かに波打たせて唐草模様さながらの曲線を駆け抜けるのは高音パート、重心をどっしり安定させて、全身で大きな渦を空間に刻んでゆくのはベースパート。ふたつのグループが、時にからまり、時に向き合い、音楽を立体的な空気の建築へと変容させてゆく。聴覚を敏感にして、呼吸を合わせて、全身でたっぷり舞う。冬場でも汗がどんどん流れて顔色はほのかにピンクをまとうが、出来上がってゆくのは、あくまで優雅な風景だ。
以前、見学された方が「風の踊りですね、これは」と、ことばを下さって、まさに、と膝を叩いたことがある。
スッと立つ姿勢は常に柔らかくする。
ひとつ所に居続けないで、常に滑らかに東西南北を移ろいながら舞う。露骨な感情を出さなくして、気持ちは全て身体の隅々にまで通過させる。
そんな雰囲気を大切にする流儀のせいか、肉体の生っぽさが抑制されて、動きの軌跡が風紋のように空間に残像する。
稽古に親しむにつれ、メンバーの方に、どこか品のあるスッキリした美しさが現れる。
人間の根っこにあるのは自然界とおなじ有機的な動の美か。
そんな予感を抱きながらのレッスンだった。
オイリュトミーは1912年にヨーロッパで生まれた。ちょうど百年。
言語や音楽、つまり人間の生むサウンドを空間全体に描くように踊る。踊ることで、そのサウンドのもつエネルギーを全身全霊で味わい尽くそうという趣向だ。
風なら「かぁ、ぜぇ」windなら「Wぃ~ん、Dッ」みたいな、その言葉の感情を伝えてくれるサウンドの戯れを、ベートーベンの第五なら「ン・ソソソミ~!」からたたみかけるような音の連続体を、ダイレクトに振りつけて踊る。
主観よりも客観的に、聴こえたものをからだに反射するように動く。
オイリュトミーでの舞手は、鏡の躰を獲得するように稽古する、とも言える。
歩行からリズムへ、リズムから流動へ。音感を胸から腕につたえて放射し、発話の衝動を喉の形の変化にヒントを得たポーズで全身に拡大する。
ヨーロッパらしいハッキリしたメソッドと様式は、無駄のない自然運動で構築され、非常に完成度が高い。
また、哲学者が創案しただけあって、ひとつひとつの型や稽古段階には説得力がある意味が込められている。
わたくしごとを申せば、床体操とクラシック音楽をした子供時代を経て、僕は何だかキチキチとこなすのがイヤになって、創作や即興を好んで楽しむようになった。型にはまるのが嫌だし我のつよい性分だったのに、この「オイリュトミー」は何故か心地良くて最初の学びから今まで、30年近くも味わっていることになる。
それは、方法が良く整理されて解り易かったのと、この踊りを学ぶことで、言語や音楽についてアタマではなくカラダで勉強したり分析したりする楽しみ方を得たからだと思う。
オリジナルのダンスで舞台を踏むから、大部分は創作的な作業の日々だが、トレーニングのなかには飽きずにオイリュトミーが現れる。トレーニングというよりは、三度の食事のように楽しんでいる。オイリュトミーを稽古していると、自分の世界を一歩離れて、様々な音楽や様々な人の言葉を、たっぷりと呼吸しているような気分になる。それは自分自身を客観的に見つめる日々のリズムにもなっている。
なかなか良いものを発明してくれたものだと、感謝している。
新年は1月4日のダンスクラスからとなる。このクラスはとても創造的な雰囲気。あたらしい年の始まりに相応しいかも。楽しみ楽しみ!
info.……………………
※レッスンは、いづれも初心者よりOK。稽古場は荻窪バス10分ほど。お問い合わせ時に詳しくご案内します。
参加方法など、下記リンクにて、くわしくご案内しています。
【新クラス開設のご案内】
★新クラスstart 1/26から
コンテンポラリー+オイリュトミー 土曜レギュラー
(入門から段階を追って学ぶ久々の新クラスです)
内容/開始メンバー募集!
【開催中のレッスン】
【水・金・土曜】クラス内容/参加方法
【隔週火曜】ほびっと村学校「舞踏」クラス
【次のダンス公演】
2013年3月29日(金)~30日(土)
櫻井郁也ダンスソロ新作公演
東京中野planB(共催)
タイトルや内容詳細は近日このブログにて発表いたします。