武術を志すもの、初心にかえって「功を積む」ということを考え続けたい。武術を始めた頃、みんな素直に学んだことを吸収しようとしたし、汗をかき練習していくことをいとわなかった。 いつの日か、別のものを学べば、もっと強くなれるんじゃないかとか、秘伝を知れば達人になれるんじゃないかとか、有名な先生に学べばいいんじゃないかとか・・・段々練習しなくなって、知識だけは増える。自分は功を積んでいないのに、長年この世界にいれば、いろんな講習会受けたり、いろんな拳種を学んだりして知識や套路だけが増える。いいのだろうかそれで。 「功を積む」ためには、「不多而精」(多く学ぶのではなく、精密に学ぶ。)だ。「三年かかって良師を探せ」という。どうしようもない先生に教えられたら目も当てられない。いい先生を見つけたら、後はしっかり「功を積む」 秘伝、奥伝はどこか遠いところにあるのではなく、練習の過程のなかにある。たんとう、基本功、套路、用法、対練、散手全てで一つです。全てを教えてもらうこと、その全ての過程を繰返し練習することその中で功を積むことができる。「秘伝あさり」などしてあっちこっちいろんなものを学んでいる暇はない。門派の練習体系をたんとう、基本功、套路、用法、対練、散手を繰り返し、熟練していく。それが功を積むことだと思う。
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