静功、例えば「たんとう」や「丹田功」は本会では、練習の際に必ず行う練習です。静功は、静かな気持ちと姿勢のなかで自らの身体を見、感じるための鍛練法だからである。孫子の「己を知り、相手を知れば百戦危うからず」というように、単練は、己を知る練習法だと思う。速く雑な練習方法は、体力作りになれど、己を知る単練にはならない。先ず、重心はどこにあるか、含胸はどういう姿勢でどういう感覚になるのか、膝、肘の位置はどうか・・・・ 自分の体は自分では見えないから、自らの感覚で見る、感覚を研ぎすまし、人が見ても、自分でも素晴らしい機能美を追求し,感覚の中で捉えられるようになっていく。含胸という言葉の意味は理解するのは簡単だ、難しいのはどの動きの時にはどのようなものが含胸なのか「常に変化する含胸」をいつも含胸にし、それを自分の内なる目でしっかりと捉えること。変化すれどいつも含胸ということを感覚としてしっかりみつめ体現できていくということだと思う。「考えるんじゃない、感じるんだ」というのは深い言葉だ。表層だけを捉えることは簡単だが、点から点の単なる運動ではなく、意識を全ての動きに通していく。これは意識を伴った運動だ。これは、ゆっくりとした慢練を行なうことによって習得していくことができる。これまで見えなかったものが見えてくる。内三合と外三合、静と動は正反対のもの様で実際は一つのものの変化であるということが分かり体現できてきた時、止まっていても大きな動き、大きな力、凄まじい速さを生むことができるようになっていく。
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