祁県映海戴氏心意拳倶楽部 公式ブログ

戴隆邦から脈々と受け継がれる戴氏心意拳。王映海伝戴氏心意拳の日本での伝承を行う祁県映海戴氏心意拳倶楽部の公式ブログです。

腎を養う

2013-06-09 16:31:57 | 練法・技撃・学び方・健康・技法体系

 

よく生きること

  投稿者:xinyi  投稿日:2010年11月 5日(金)04時23分50秒

返信・引用

 

 

先日、腎陰と腎陽の話をしたが、陰と陽は互いを根とする。「陰陽互根」という。
休んで腎を養うことは大事。元気に活動することも大事。しかし、一方だけというのはあり得ないし、よく休むことで、よく活動できるし、よく活動することでよく休むことができる。元気に過ごした日は、よい夢を見、よい夢を見れば、元気に前に進んでいくことができる。陰陽のバランスを整えていくことは、よく生きていくことになっていくと思う。

 

腎陰を養う

  投稿者:xinyi  投稿日:2010年10月26日(火)22時58分8秒

返信・引用

 

 

腎は、精を蓄えるところ。所謂、生命エネルギーの源泉だ。
「人有三宝。精、気、神」
車であれば、ガソリンが、精。エンジンが気、様々な機関を経て走ること、そのものが
神。そのどれもがかけても、車は車であり得ないのと同じように、人は精、気、神のどれがかけても人であり得ない。ガソリンもエンジンも、それを動かしていく様々な機関も、そのものだけでは、ただの物質にしかすぎない。それらは有機的に関連しあって初めてうごくことができるし、人は精、気、神によって、初めて生命もつことができる。
 腎は、精を蓄えるところであるが、それを気化させる所でもある。腎陰は腎水と呼ばれ、腎陽は、命門の火と呼ばれる。
 腎陰は、陰、静の中で養われる。休養、睡眠、リラックス、安静、静か、静功、夜・・・
 腎陽は、陽、動の中で養われる。活動、覚醒、興奮、動き、動功、朝、昼・・・・
仕事で疲れているからっということで栄養剤を飲めば、元気が出るが、栄養剤は、腎陽を高める薬品が多く、腎陰が少ない状況の中で腎陽を高めれば、腎陰は枯渇する。栄養剤は、元気は出るが、リバウンドが来るとか、一時的にしか効かない人や場合は、腎陰が少ないことを考えなければならない。熱い温泉に入って、一時的に元気が出るが、後で疲れるというのも同様に考えなければならないだろう。そういう場合は、栄養剤や温泉よりも睡眠をちゃんと取った方がよい。
 今夜、練習に来られた人がいたので、室内で練習した後、外に出て、腎陰を養う丹田功の功法を体験してもらった。「不思議な感覚だった」といっていた。
 「星の王子様」ではないが、本当に大切な物って、目には見えない。
生きていること、愛すること、元気であること、生き生きすること、苦しむこと、悲しむこと、悩むこと、楽しむこと・・・それらは、単なる物質ではなく、物と物との関係の中にしか生まれてこない。生命は、空であり縁起である中にしか生まれてこない。腎陰を養うとは、人間の根元を養うことだ、ふつうの丹田功と何ら違いはない、違うのは、丹田功をする人の中に、天や地、人とつながっている感覚を身につける功法だということだ。
 私は、戴氏心意拳をやってよかったと感じるのは、自分自身が生きているという感覚を見つけられたことだと思う。

 


人是学而知之、不是生而自知

2013-06-09 14:18:59 | 理論―陰陽五行、名言集

人是学而知之、不是生而自知

投稿日:2010年11月 6日(土)09時50分7秒

返信・引用

 

 

 講習会の板書写真を見てほしい。
「人是学而知之、不是生而自知」は、王映海、喜成老師が講習会の中でもたびたび言われる表現であり、
先日から私がこの掲示板に掲載している「戴隆邦教授規則」に元々は記されている言葉でもある。
これまで述べてきている、陰陽のバランスを感覚し、自らつかんでいくことは、大切なことだ。
 しかし、この感覚は、個人的なもののようであるが、全く個人的なものではない。
何を美しいとし、何をきたないか、いいにおい、くさいといった感覚は、実は文化に規定されるし、学ぶことによって身につけられる。
 陰陽のバランスを感覚によって身につけると言っても、決して個人の感覚だけで学ぶことはできないし、老師や指導者に見てもらいながら、どの感覚が正しいのかを常に学んでいかなければならない。
 テキストや動画を見て正しい形や順序を学ぶことはできる。しかし、その中にある感覚までを学んでいくのは
言葉や映像を超えた直接の指導で感じ、その感覚と出会うことを通さねばならない。
 「百聞は一見にしかず」であり常に人は学び続ける謙虚な姿勢を持たねばならないと「戴隆邦教授規則」は教えてくれる。