忘れがちではあるが。
表現とは元来ひどく酷く面倒くさいものである。
「蒸気戦闘機の飛ばし方」
何か書こう、と今「思索」して浮かんだ「アイデア」である。
面白い。
他ならぬ自画自賛の言葉ではあるが面白いとは思わないだろうか?
だが私では蒸気飛行機を飛ばす事は出来ないのである。
当然ながらこの世界に蒸気飛行機は存在しない。
言葉は想像しうる全てを創造可能であるから
フィクションというカテゴリの中で「蒸気飛行機の物語」を組み立てる事は可能だ。
しかし「離陸」するにはまず「蒸気飛行機が存在する世界」を作らねばならない。
現在と違う科学技術の発展系譜の世界である事は明確だ。
では具体的にどのようなファクターの違いが蒸気で空を飛ぶ結果を作るのか。
蒸気飛行機と通常の飛行機の違いと、蒸気である事ののデメリットは?
蒸気を排出する以上偵察機の発見確立は格段に上昇するだろう。
空軍の編成も変化するだろうし航続距離は飛躍的に低下するだろう。
仮に蒸気飛行機が既存のこの世界の飛行機と同じ加速性能、航続距離を持つとしたら
地上から見た空はどのように移るだろう?
戦術の変化。条約の変化。
シュミレートすべき有象無象の事柄。
はたと思い返し、自分が飛行機について何も知らない事を知る。
飛行機について素人ながら学び。
次に蒸気の無知に苛まれる。
仮定する世界は合理的ではないのだ。
だがその世界では蒸気飛行機は合理的でなければいけない。
代換エネルギーの不足。
条約による旧世界飛行機の製造禁止。
エトセトラエトセトラ。
かくしてアイデアは消えていく。
だが無駄ではない。
私の空では蒸気飛行機が飛んでいる。
理由なく理屈なく。
その様を楽しむロジックを当然のように私は所有している。