ある日、黒服の男がやってきた。
「こんにちは世界の命運を握る人」
男はトランク一杯の大金と引き換えに私を監視させろといってきた。
新手の詐欺師かそれとも精神病院からの脱走者だろうか。
私は札束が本物であることを確かめ
その条件を飲んだ。
仕事は半年前に辞めていた。
男の監視対象はどうやら私というよりも私の足にあるようだった。
彼は四六時中私を監視する訳ではないらしく
部屋にいる内は別段私に関心を払わなかった。
ただ外出すると告げた途端に彼の瞳は獲物を射抜くハンターのそれへと変わった。
誇張ではなく彼の視線は一挙一動の一切を見逃さず
精密機械のように私の大して長くない足を睨んでいた
そうして半年が過ぎた。
男はトランク一杯の大金を私に渡して唐突に別れを告げた。
「ありがとう。あなたは見事に世界を救いました」
「なぁ。一体どういうことなんだい?私にはさっぱり分からないよ」
男は秘密を守る誓いと引き換えに事の真相を話してくれた。
「私は世界バタフライ協会のものです」
北京で蝶が羽ばたけばニューヨークの天気が変わる。
これをバタフライ効果が呼ばれる現象らしい。
カオス理論というものによれば
全く関係のない事象が実は密接に繋がっている事が多々あると男は説明した。
女子高生の遅刻があるデパートの売上を決定したり
死刑囚の食事メニューでエイズ患者が増減する。
嘘のような話だがこれは全て真実で
バタフライ効果を検知する機械が20世紀末に作られ
一部の人間がこれによって有象無象の事故や事件を未然に防いでるのだと言う。
「あなたがこの半年間、一度でも空き缶を蹴ればそれで世界は終わりでした」
何でもそのバタフライセンサーによると
私が空き缶を蹴るか否かで第三次世界大戦が起きるかどうかが決定したらしい。
信じられない話だ。
「誰もあなたに感謝はしませんが間違いなくあなたは世界を救いました」
黒服は自分達に協力してくれた人間に送っているという
小さなアゲハ蝶の絵と大金を置いて去っていった。
そうしてさらに半年が過ぎた。
私は小さな清掃会社で働いていた。
毎日が嫌な客と嫌な上司の小言で陰鬱な毎日だ。
昼休みになると私は毎日会社の屋上に登る。
そうして空になった空き缶の山を蹴り上げるのだ。
黒服が残した大金は核シェルターの購入で全て消えた。