和気清麻呂について
称徳天皇(孝謙上皇)を自由に操り天下を我が物にし皇位に付かんとした弓削道鏡の野望を阻止せんが為、和気清麻呂が大分の宇佐八幡の神託を得て道鏡を失脚させた。もともと道鏡が聖徳太子と同じ法王の地位についたのは、太宰府の主神から宇佐八幡の神託が届いたからに他ならない。それを取り消すには、宇佐八幡直々の神託が必要だったわけです。もし、称徳天皇と道鏡の間に男の子が産まれていたら、神託はその男の子に皇位継承をと告げられたに違いない。歴史は大きく変わっていたであろう。
和気清麻呂は、大隅半島に流されたが称徳天皇の死後復権し平安遷都を進言し奈良から京都へ桓武天皇により遷都された。それは、宇佐八幡の神託の折りの約束であったとも言われてます。一塊の公家が突然歴史に名を残し、6男3女の子を残して、その子達が最澄や空海と関わり平安仏教である天台宗と真言宗に和気氏を誇示してきた。更には、源氏・徳川家の庇護をも得て神護寺が今に至るのです。
九州の一地方の氏神が天下を揺るがす存在になると言うこの「宇佐八幡」とは何者なのか・・・後に 私の見解を語りましょう。