【066】観音正寺 西国32番
住所 蒲生郡安土町石寺2番地
宗派 天台宗
山号 繖山
開山 聖徳太子
本尊 千手千眼観世音
琵琶湖八景
1.瀬田・石山の清流 2.雄松崎の白汀
3.比叡の樹林 4.海津大崎の岩礁
5.賤が丘の大観 6.彦根の古城
7.近江八幡の水郷 8.竹生島の沈影
この殆どを満喫できる近江の西国巡礼です。西国巡礼ももうすぐ終わりです。
葦の中から殺生したために人魚にされてしまった漁師が出てきて、毎日血を魚に吸われて苦しんでおりますと聖徳太子に哀願した。太子が千手観音を刻み人魚のために供養したのがはじまりです。人魚のミイラがあったと言いますが、人魚のミイラは全国あちらこちらにありまして、みんな同じで、頭が猿で体が鮭くらいの魚で、昔々にこれを作って売って歩いた行商人が居たんですね。それを寺宝としておいてある寺の多いこと多いこと。いい商売だったと思いますね。と言う訳で、燃えて失った千手千眼観世音に意味のない伝説をつけてきた訳です。いつ頃かは不明です。和歌山の高野山の麓にも紀ノ川に住んでいた人魚のミイラが寺宝として祀られている寺があります。弘法大師に結びつけた伝説がまかり通っています。しかし、西国三十三ヶ寺ともあろう大きな寺院が、こんな伝説を通したらあかんと思います。
観音正寺は元々山頂近くにあって、現在地は佐々木氏の山城があって、信長に滅ぼされるまで要塞であったことになります。安土城が、何故、石の豊富な繖山を居城としなかったか不明ですが、おそらく琵琶湖が見えなかったことにあるでしょう。要塞として適したところが、虚勢をはるところとは限らないのです。
平成5年5月に本堂と本尊を焼失しております。しかし、本堂を新築し、白檀の香木で本尊千手千眼観世音を善峰寺参道の松本工房で造られました。昔の眉唾物の本尊よりはるかにいい観音だと思います。壺阪寺や興福寺南円堂の観音様がモデルと思われるほど良く似ておられます。よくもこの短期間に本堂も観音も再興できたものだと思います。その資金力に敬服いたします。
御詠歌
あなとうと 導きたまえ 観音寺
遠き国より はこぶ歩みを
近江富士
夏来たり きぬがさ山で 蛇を見て
逃げろやねずみ 観音の寺
城跡に 近江の国の 富士の山
眼下を望む 千手観音