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なでしこの歴史探訪:坂上田村麻呂

2022-12-10 03:52:56 | 歴史探訪

平安の  御代に存在   将軍と  

なりし人あり  東北地方   

地球の  温暖化とぞ  想いけり  

霜柱には  見当たらないよ   

 

平安の御代の後半に、平家の没落と  

源氏の戦いがありましたよね。

この時は、平泉に平将門がいて、

義経らが青年になるまで過ごした館がありました。

将軍との関係はどうだったかは知りません。

ただ、弁慶と共に行動し、

鎌倉殿から追われる身になったとき、アイヌ人たちと

北海道へ行きました。

館では、弁慶と義経の身代わりが追ってに捉り

立ち往生で有名になりました。

しかし、鎌倉殿からの追っ手が往復するには、2か月かかる。

したがって、義経の頭と称する骸骨は

だれであっても分からなかった。

なぜ北海道かといえば、  

帯広・函館・札幌などに、弁慶神社とか  

義経神社などがあること

また、弁慶が亡くなってからは、

単独で、ウラジオストックまで行ったからである。

ウラジオストックで、蒙古と接触したのである。

蒙古に対して、東方の日本は食料も豊富な国だと紹介したよ。

それが 蒙古襲来 を招くことになったのである。

5代目のフビライハンが使者を使わすことにも繋がった。

私の推理は間違ってないと信じるよ 。  

なぜなら、ウラジオストックに有る義経神社の

鳥居が証明している。

しかも、東方見聞録にも載ったのが、のちの

欧州からのジパング目指せ となったのである 。 

 

 

 

 

 

 

 


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