古代ギリシャの哲学者・アリストテレス
パス🐌
・他人との垣根は相手が作っているのではなく、自分自身が作っている。
古代ギリシャにも垣根があったとですか?🐛
これを読んで思い出すことは、現代人に多い悩みである、
・自分は、あの人に嫌われている。
・上司は、自分のことを嫌っていると思う。
・自分は家族から嫌われている。
お前が呼んだんだろう😈
このような悩みを言う人が多いです。
お前は臨床心理士か🐍
でも、アリストテレスの指摘から言えますことは、
・自分が、あの人のことを苦手に思っているだけだった。
・自分の本心は、上司のことが嫌いだということ。
・家族に非協力的なのは自分のほうだった。
ボーがそう思いたいだけさ🐮
哲学者の言葉なんてものは解釈しだいでどうにでもなる🐷
が、アリストテレスの指摘から言えますことは、
垣根は古代からのテーマだった。
古代から人生の問題は人間関係の問題だった。
古代から人間の本心は他人が嫌いだった。
などなど🐯
自分は被害者だと思い込んでいることも、全てを公平に厳正に見ている神様の視点では、果たしてそれは本当に正しいのか?
自分は被害者だと思っている人は、実は加害者🐧
自分は加害者だと思っている人は、実は被害者🐦
すべてを公平に厳正に見ている神の視点では、それが真実でつ🐤
例えば、普段からナンタラカンタラ、
いかがでしょうか? これは、正しいのでしょうか。
正しいです🦄
コノ世の1点だけで判断する世界では、こうなるのです。
悪人のAが、被害者として守られます。
コノ世の1点だけで判断する世界では、A=悪人🐼
でも、アノ世に帰れば違います。
地獄に落ちるのは、上記の被害者(A)のほうです。
それはボーの視点🐨
神様の視点は、必ずトータルを見てから判断されます。
犯人とされた(B)は、良い世界に行けます。
他人との垣根を作っているのはボーだった🪰
トータルを見て判断すると、地獄に落ちるのはボーだった🐞
・人間界は、1点だけを見ての判断。
・神様の世界は、その他の全てを観てのトータル的な判断。
を覚えて置いて欲しいのです。
人のことはいいから、さっさとお帰り🐈⬛
だから、子供を勉強が出来ないという1点だけを見て叱るのは、心に余裕の無い親です。
ボー界は1点だけを見ての判断🐝
仏(ほとけ)に近い祖父母の視点では、勉強以外は良い子という視点も判断に入ります。
仏に近い祖父母の視点では、勉強が出来ない=悪い子という視点🦋
子供に関しては、健康だけでも御の字とも思い、子供の生活の全体を判断してから注意をして、褒める視点も大事と思います。
アドラー心理学では、
子供を褒めては、い・け・ま・せ・ん☝️
注意をしても、い・け・ま・せ・ん✌️
だから今後の自分の生き方として、他人と交友する場合に、
・他人の1点だけを見て、許す・許せないと自分が成っていないか。
・常に、相手の全体を見て判断する視点を持つこと。
お前は神か👾
・人付き合いが上手というのは、結局、いかに他人を許せるか?ということがカギに成ること。
ほんでカギを開けて中に入ってみたら、
地獄に落ちるのは自分だったー!😱
というオチだった🐀
地獄だけに🐁
自分から他人が離れて行くという人は、
度し難い🦚
救いようがない。
どうしょうもない。
道理を言い聞かせてもわからせることができない🦉
ほんで地球に落ちてきたとですか?🐇
まあそうでつね🐹
コノ世界は地獄である。
A=悪人、
B=善人、
人付き合いが上手=仏様に近い、
いずれ誰もが観音様になるそうです🦘
アーメン🦒