普通の主婦が、キラキラ起業やスピリチュアルに散財できるのは、世の中が平和で豊かな証拠
逆でつね🐹
キラキラ起業に踊った主婦たちの「何者かになりたい」という焦りは、今思えば牧歌的な時代の贅沢な悩みだったのではないだろうか。
ぷっ(^ー^)
自分には居場所がないとか自分は何者でもないとか、そんなアイデンティティクライシスは、差し迫った危険や危機のない時代の病理である。
いつの時代もおまえらは病気である🌻
一部の恵まれたエリートや、生きていくことのリアルにまだ直面していない学生ならばともかく、その辺にいるごく普通の主婦たちが「自分の強み」だの「魂の使命」だのについて延々と思いを巡らせていたのだから、これを平和ボケと言わずして何というのだろうか。
貧しい労働者というだよ🍄
しかし、世情が変わり、自分たちの生活が脅かされるようになってくると、何者にもなれない焦りなどはどうでもよくなる。
そんな時ほど何者かになりたいもんでございます🦋
そんな事より日常を守る事が大事だからだ。
これから現実の環境が厳しさを増せば増すほど、女たちは腹をくくり、日々の暮らしに必死になるだろう。
女はいつだって必死やで🐝
そうなればもう、浮ついたキラキラ虚業家やスピリチュアル詐欺師がつけ込む隙は無い。
だからなのか、主婦を相手にしたインチキな商売も、近頃では随分下火になった。
主婦自身がインチキ商売やってますからね🐰
キラキラ起業や欲望追求型のスピリチュアルが全盛期の頃、
「あんなバカげたものが流行るなんて世も末だ」
と多くの人が思ったことだろう。
ないない👋
けれど、踊り子が一人もいなくなり、誰も笑えなくなった時こそが、本当に世も末なのだ。
世の始まりじゃん?🐢
ああすごいな。そこまで遠目の効く人だというあたりに、ただの皮肉めいた批判者でないこの人のインテリジェンスを感じますわ。
幻想だよ🐸
同じようにキラキラスピリチュアルを批判する連中はSNSでずいぶん見たけど、みな砂浜で貝殻を拾ってはやんややんや騒いていただけで、水平線の彼方を見ていた人というのはほんとうに少なかった気がしますよ。
マダムユキも砂浜で貝殻拾ってやんややんや騒いでるだけやん🐧
そもそもマダムユキと名乗ってる時点でキラキラ願望丸出しじゃんか🐦
キラキラしたい気持ちというのはもしかしたら誰の中にもあるのかも知れないけれど、
キラキラしたい気持ちってなんですか?🐇
私からすれば日々の生活に追われて、キラキラしてる場合じゃねーんだよ、とバタバタしている女性たちのほうが・・・カッコいいと思いますがね。
おめえのばあちゃんだろ🐺
それがその人本来の、飾らないカッコよさだと思えます。
おめえんとこのばあ様は孫にカッコよく見せようと必死こいてたちゅー🐁
全然カッコよくねぇし🐀
そもそもスピリチュアル的にキラキラする必要なんてあったんですかね。
スピリチュアル的じゃなくて物理的にキラキラする必要があったのよ🦩
釈迦やソクラテスの哲学なんて今ふうに言えば・・・働いたら負けのダラダラスピリチュアルですよ?
哲学ってそういうもんやからね🐓
日々の生活に追われ、おまんま食うために必死こいて働いてる連中は哲学者には、な・れ・ま・へ・ん🦃
島根のゾンビばあさんが、形而上学を学んでいます✨とかぬかしておりましたね🦏
みんなでおかめみたいな化粧して、
テレッテレのドレス着て写真撮ったりして、
ギラギラ主婦〜🦌
スピリチュアルの欠片もないやつほどスピリチュアルに飛びつくもんでございますね🦙
砂浜でキラキラ光る貝殻拾ってやんややんや騒いでるだけやけど🐖
マロ子がずーっと言い続けているのは、
すべては"なりたい自分になる"キャンペーンってことですわ。
あるがままの自分ではなく、ありたい自分、なりたい自分。
つまり欲望追求型ですね。
なりたい自分とあるがままの自分。
この2つを区別できない人は、どんなに立派な言葉を並べても砂浜で貝殻拾ってやんややんや騒いでるだけなんですよね〜🧜🏻♀️
水平線の彼方を見ているマダムも同類だっちゃ🧚🏻♀️