とてもありふれた、ささいなできごと。ちょっとほろ苦い、子供によくありがちの、悔やまれる経験。
それが、それから50数年がたった今でも、私をさいなんでいました。
たまにですが、ときたま思い出してしまうのです。
それが、それから50数年がたった今でも、私をさいなんでいました。
たまにですが、ときたま思い出してしまうのです。
ありふれた出来事じゃない。
些細な出来事でもない。
子供によくありがちでもない。
自分がそう思いたいだけ🐞
例えば、いじめたほうは忘れても、いじめられたほうは決して忘れないなどといいます。
ただ、その逆はないのでしょうか?
ただ、その逆はないのでしょうか?
ありますよ🦩
むしろいじめられた方が忘れがち。
逆にそれこそが子どもによくありがち。
神が愛してやまない無邪気さ🦢
50数年経っても苛まれてるおっさんっつーのは逆に、いじめられたことをいつまでも根に持つタイプ。
悪魔が愛してやまない邪悪さʕ⁎̯͡⁎ʔ༄
いじめられたほうが、その後に(忘れることはなくても、まるで、忘れたかのように)、真のやさしさを身に付け、強く、そして、幸せに生きたりするかもしれません。
正解👍
真のやさしさを身に着けたというより、もともとやさしいんだけどね。
逆にやさしすぎるからいじめられやすい。
ってことに気づけば強く、そして幸せに生きられるようになる☃️
やさしさは弱さじゃないんだけど、この世界では弱っちく見えちゃうかんねー🦋
逆に、いじめに加担して、一生悔やんでいる人だっているはずです。
私のしたことは、まちがっていましたが、小学生の未熟な子供には、ありがちなことです。
私のしたことは、まちがっていましたが、小学生の未熟な子供には、ありがちなことです。
ふふふ
完全に悪魔に魂売っとるわヽ(*´∀`)
私のこんなささいなことでも、引きずってしまうのですから、いじめたほうが忘れるなどということが、私にはとても信じらません。
想像力が致命的に欠如してんじゃないですか?🐢
いじめたことを忘れてるだけかも。
忘れたことさえ忘れているシリーズかも🐛
耳が遠くなったと指摘されただけでカチンとくるなんてのは、いじめたことを忘れた大人によくありがち🐕
経験から何一つ学んでない証拠🐈⬛
もしかして、忘れたとしても、心の深いところ(たましい)が覚えているはずです。
正しくは脳の奥深くな🧠
罪も罰もありません。
(実は、神のことばには、ほんとうは罪という言葉も、罰という言葉もないのです。)
なんでわかるのさ。
神がおまえに語ったのかい?🦃
ではなぜ、罪や罰が宗教の専売特許になっているのでしょうか?
宗教も商売ですからね🦜
いつの間にか、宗教というものにも、人間の我というものが混じり込んでしまったのでしょう。
悪魔のような人間がいるのだから、悪魔がいるはず。
そんな人間を、永遠に罰してほしいから、地獄があってほしい。
意味わかんない🐰
でも、そんな必要ないのだと思います。
なんで?🐥
それぞれのたましいが、決して忘れることはない。
裁判官は自分のなかにいるのだから、どんな手段を使ったとしても、決して逃げきれるはずなどないのだから…
そんな人間を永遠に罰してほしいから地獄があってほしいとでちゅか?🐣
とてもありふれた、ささいなできごと。
ちょっとほろ苦い、子供によくありがちの、悔やまれる経験。
などというのは人間の我というものが混ざり込んだ、というより邪悪な大人が作り上げた自分に都合のいいドラマにすぎない🐧
無邪気な子どもはそんな風に考えませんからね~🕊️
何でもよく承知しているアダルトたちの専売特許でつ🐹