真の幸福の塊であるブッダの弟子は、
大きく見れば4段階に分かれ、
更に細かく見れば、8段階の弟子たちに分かれます。
それぞれのどの弟子も、道を求める善人たちから称賛され、施しを受けるべき弟子たちです。
Exactly🧞♂️
真のブッダに繋がる弟子たちに、食事などを施したならば、
それから受ける幸運の恩恵は絶大です。
これも教団が持つ神秘なる作用です。
この真実の説明によって、幸運をつかんでほしい。
(原始仏教 釈尊の言葉 スッタニパータ編第2章1節-227))
素晴らしい!
パチパチパチ👏
これは釈尊の御言葉では無いと、私は認定します。
はい?🐣
後世の弟子と教団による加筆だと確信します。
Why?🐥
釈尊が最も忌み嫌うべき内容が、あえて書かれています。
釈尊が愛してやまない内容が書かれてません?😿
釈尊こそは、王室の王子として生まれ、コノ世の最高の贅沢を体験した上で、
民衆の犠牲による繁栄とその暮らしに、
最も嫌悪感と罪悪感を感じて、苦しんだお方です。
このような内容を言うはずがないのです。
それはボーの解釈だろ?🐮
王室=贅沢三昧。
現代の王室は確かにそうだけどさ🐷
後世に、因果応報を見せるために、あえて原始仏典に残されたと解釈します。
釈尊の言葉かどうかは別として、極めて重要な言葉が残されましたね🤶
現代人が加筆、修正を行ったならば、真っ先に消去しそうな内容じゃな🎅
釈尊は、末法の時代が未来に来ることを予言されました。
世はまさに末法の時代じゃ🐍
まさに、釈尊の予言は成就したかも知れません。2500年も前に言い残したのは、さすがです。
予言とはそういうものだ🦖
時間は関係ない。
予言は成就する。
これも教団が持つ神秘なる作用です🦕
でも善良なる清貧の仏教者は一部には存在します。地域を支える小さな御寺は大切です。
北京原人による加筆と認定します🐧
仏教は、一人ひとりが集団に成らずに、自分の家庭の中で求道する姿こそが、
真の仏教であり、
釈尊の教えと悟りの真髄です。
家庭生活の中での悟りが、本来の目的です。
類人猿による誤解と確信します🐦
これが集団に成ったために資金を集める必要が生じます。
集団か個人かの問題ではない🦉
この最初の一歩で、既に本末転倒となる示唆が、原始仏典には様々な比喩で表現されていながらも、今回のこのような節が入ることは、ある意味で本性を出させるための「仕掛け」と解釈します。
Exactly🌹
まさに仕掛け。
ボーは見事に引っかかりおった🕷
末法末法🐞
死に逝かれようとする臨終の釈尊と、最後に会話したのが十大弟子の一人である阿難です。
あーなんだ🐇
自灯明、法灯明で生きなさい。
承知しました🐰
自分自身を明かりとして、自分自身を拠り所として生きていきなさい。
真理の法だけを頼りなさい。
他人を拠り所としてはいけない。
マロはそのように生きてまいったでちゅ🐹
まさに集団を求めることとは真逆の反対なのです。
真逆の反対ってなんですか?🐢
末法の時代を、自灯明・法灯明で生きることを参考にして頂ければ幸いです。
末法末法🐌
自分の家庭を、自分の暮らしを大切にする中で、真理に心が向かうことが最上です。
家庭は小さな集団🦜
自分の暮らしは集団あってこそ🐓
生きとし生けるもののすべてと、死んだものを含めた大きな集団があって、自分は存在している🦢
共同体感覚🤟
自然の摂理。
宇宙の真理。
人は家族の一員であると同時に社会の一員である🕊
家庭第一主義の時代は終わり。
ボーの時代は終了だよーん🥳