昨日は寒い日でした。
私の名を呼ぶ千代子さんの声が頭に響いて
眠られぬ夜を過ごし朝早く家を出て葬儀会場に向かいました。
お棺が広間に移され、その周りが花で囲まれました。
生花のいわゆる菊の花輪ではなく、ランの花が何種か入った真っ白なカスミ草がいっぱいの洋花の枕花で統一できたので、祭壇のないことも全然寂しくありません。
祭壇もなし、香典も会葬の挨拶状もお返しも何もかもなし。
お坊さんのお経はお布施が足りないのか、あっけなく、言葉などもありませんでした。
同じケアホームで暮らす仲間たちも車椅子で参列。
次から次へと法人グループのスタッフや、NPOのヘルパーさんや、生前に関係のあった方々がお別れにきてくださって・・会場としては、こんなはずではなかったという感じでした。
家族葬でひっそりとと考えていたらしいです。
血のつながりがある方は一人としていない。
それでこういうお別れができる・・すごいな。
父の在宅介護のときのヘルパーさんにもこんなところでお会いし懐かしかったです。
美しい花に囲まれて旅立つことができました。
ずっと裕次郎の曲が流れ、直筆のサイン色紙もお棺に納めました。
鰻丼もラップに包みお口のそばに・・
この3日間、とにかく、みなさんの口からエピソードのオンパレード・・
一番感動したのは、亡くなる前の日に念のために入院して酸素マスクをやってもらってたとき、その日は救急外来が忙しく、2人の看護師さんがばたばたとして、イライラの募った男性看護師が叱り飛ばしていたそうです。
その方が、千代ちゃんのところに来たときに「自分もいつもはこんなではないけど、どんどん救急受け入れるから」と愚痴を言ったそうです。
そしたら千代ちゃんは「うん、わかるよ」って・・
その言葉で、その看護師さんはいっぺんに様子に変化が出たそうです。
そういうひとなのです。周囲の人を変えてしまう力のある人だった・・
改めて私はすごい人とかかわりあえたんだなって・・
焼き場で待つ間に、今はこんなに大きくなった法人の、一粒の種となった皿井先生のお話を聞くこともでき、私も心にあったことをいっぱいお話できました。
先生は、「悲しむことなんかないのよ。魂はずっと永遠。身体はただ借り物で、また自分がこの世でなさねばならぬことができたら、また身体を借りてこの世に現れるの」って。
「千代子さんは、完了したんだよ。だから泣くことはない」と
自分がたった一人の重度障害の男の子を看たことで、50年過ぎていま、こうやって私たちがやってきた結果を千代子さんがみんなにしめしてくれたと。
先生は、福祉も何もない時代、貧乏のどん底で母子ふたり悲惨な生活をしていたのを、説得して千代子さんをのぞみの家に入れて自立させようとしたのです。
東京の白百合在学中からかかわり、77歳まで独身で、こういう人たちの死を見取るところまで進めてきた明るくてすばらしい方です。
見事にそれを果たした千代子さんは、お母さんの命日には介護タクシーで寺院におまいりに行くような親孝行な娘でした。
最近は富士山に登りたいという希望をもっていたそうで、ケアホームの若い方が、小さな小瓶に砂のような骨をいただいていました。
散骨してあげるのでしょうか。
あっちこっち痛くても一度も痛いといわなかった。
いつも笑顔で周囲を楽しませていた。
いったい千代子さんは仏さんだったのか?と思うくらいでした。
ホームの前の家の5歳のお嬢さんが、「ちよこさんだいすき」とたどたどしい字のお別れの手紙もいただきました。
皆さんのエピソードで一冊の本ができてしまうくらいです。
一般の葬儀では、参列者の食事の数だの、お返しだの、非常に大変ですが、何もなしは本当にすっきりで、誰も彼もがその人の生前のことを話し、ただ冥福を祈り、自分たちのこれからの人生を考える・・すばらしい葬儀でした。
初七日もなしなので、焼き場で解散。
私は葬儀場の駐車場まで送っていただいたので、事務室に顔をだし、無事に終えることができたこと、会館の好意に心からお礼を言わせていただきました。
後日、最後に暮らしたケアホームに行き、私が写し現像してあげ壁に額に入れて飾ってあるお出かけの写真を、形見にもらうことにしました。
わかったことは、
人は生きてきたように死んでいく
法名には千劫という名があり、永遠のように長い間、私たちを見守ってくれるといわれたそうです。
千代ちゃんの最後の句
「じいさんと呼ぶな私はばあさんだ」あっぱれ!
私の名を呼ぶ千代子さんの声が頭に響いて
眠られぬ夜を過ごし朝早く家を出て葬儀会場に向かいました。
お棺が広間に移され、その周りが花で囲まれました。
生花のいわゆる菊の花輪ではなく、ランの花が何種か入った真っ白なカスミ草がいっぱいの洋花の枕花で統一できたので、祭壇のないことも全然寂しくありません。
祭壇もなし、香典も会葬の挨拶状もお返しも何もかもなし。
お坊さんのお経はお布施が足りないのか、あっけなく、言葉などもありませんでした。
同じケアホームで暮らす仲間たちも車椅子で参列。
次から次へと法人グループのスタッフや、NPOのヘルパーさんや、生前に関係のあった方々がお別れにきてくださって・・会場としては、こんなはずではなかったという感じでした。
家族葬でひっそりとと考えていたらしいです。
血のつながりがある方は一人としていない。
それでこういうお別れができる・・すごいな。
父の在宅介護のときのヘルパーさんにもこんなところでお会いし懐かしかったです。
美しい花に囲まれて旅立つことができました。
ずっと裕次郎の曲が流れ、直筆のサイン色紙もお棺に納めました。
鰻丼もラップに包みお口のそばに・・
この3日間、とにかく、みなさんの口からエピソードのオンパレード・・
一番感動したのは、亡くなる前の日に念のために入院して酸素マスクをやってもらってたとき、その日は救急外来が忙しく、2人の看護師さんがばたばたとして、イライラの募った男性看護師が叱り飛ばしていたそうです。
その方が、千代ちゃんのところに来たときに「自分もいつもはこんなではないけど、どんどん救急受け入れるから」と愚痴を言ったそうです。
そしたら千代ちゃんは「うん、わかるよ」って・・
その言葉で、その看護師さんはいっぺんに様子に変化が出たそうです。
そういうひとなのです。周囲の人を変えてしまう力のある人だった・・
改めて私はすごい人とかかわりあえたんだなって・・
焼き場で待つ間に、今はこんなに大きくなった法人の、一粒の種となった皿井先生のお話を聞くこともでき、私も心にあったことをいっぱいお話できました。
先生は、「悲しむことなんかないのよ。魂はずっと永遠。身体はただ借り物で、また自分がこの世でなさねばならぬことができたら、また身体を借りてこの世に現れるの」って。
「千代子さんは、完了したんだよ。だから泣くことはない」と
自分がたった一人の重度障害の男の子を看たことで、50年過ぎていま、こうやって私たちがやってきた結果を千代子さんがみんなにしめしてくれたと。
先生は、福祉も何もない時代、貧乏のどん底で母子ふたり悲惨な生活をしていたのを、説得して千代子さんをのぞみの家に入れて自立させようとしたのです。
東京の白百合在学中からかかわり、77歳まで独身で、こういう人たちの死を見取るところまで進めてきた明るくてすばらしい方です。
見事にそれを果たした千代子さんは、お母さんの命日には介護タクシーで寺院におまいりに行くような親孝行な娘でした。
最近は富士山に登りたいという希望をもっていたそうで、ケアホームの若い方が、小さな小瓶に砂のような骨をいただいていました。
散骨してあげるのでしょうか。
あっちこっち痛くても一度も痛いといわなかった。
いつも笑顔で周囲を楽しませていた。
いったい千代子さんは仏さんだったのか?と思うくらいでした。
ホームの前の家の5歳のお嬢さんが、「ちよこさんだいすき」とたどたどしい字のお別れの手紙もいただきました。
皆さんのエピソードで一冊の本ができてしまうくらいです。
一般の葬儀では、参列者の食事の数だの、お返しだの、非常に大変ですが、何もなしは本当にすっきりで、誰も彼もがその人の生前のことを話し、ただ冥福を祈り、自分たちのこれからの人生を考える・・すばらしい葬儀でした。
初七日もなしなので、焼き場で解散。
私は葬儀場の駐車場まで送っていただいたので、事務室に顔をだし、無事に終えることができたこと、会館の好意に心からお礼を言わせていただきました。
後日、最後に暮らしたケアホームに行き、私が写し現像してあげ壁に額に入れて飾ってあるお出かけの写真を、形見にもらうことにしました。
わかったことは、
人は生きてきたように死んでいく
法名には千劫という名があり、永遠のように長い間、私たちを見守ってくれるといわれたそうです。
千代ちゃんの最後の句
「じいさんと呼ぶな私はばあさんだ」あっぱれ!
泣き笑いをしてしまいます。
よい方と出会い、悲しいけれど心のこもったお見送りを
されて、千代子さんとsakkoちゃんは同士のようだと思いました。血のつながりとかなにも関係ない、素晴らしい仲間の親友ね。元気出してね。
どれだけの人に愛されたのか・・・
今度はきっと元気な身体に生まれてきてみんなのために何かやってくれると思う
千代さん、天晴れ! です。
貴女様も、ご苦労さまでした。良いことをされましたね。*\(^o^)/*
改めて久々これを読み、涙ぐんでしまいました。
20年近くの思い出が押し寄せて・・
義父の葬儀を終えて間もないいま、改めて千代子さんの葬儀がどれほど素晴らしい見送りかと感じました。
金なんか派手に使わなくてもあったかい見送りはできますね。
涙なしに読まれませんでした。
千代子さんは暮らした施設では伝説の人になっていると思います。
彼女との20年の付き合いで人間の生き方、命のあり方を考えさせられました。