あおくんときいろちゃん*
あおくんは きいろちゃんがだいすき
きいろちゃんも あおくんがだいすき
あおくんは きいろちゃんとあそびたい
そこで きいろちゃんのいえへ おでかけ
でも きいろちゃんいないぞ
あおくん きいろちゃんさがしに まちへでかけた
そして ぱったりであえたのです
ふたりはだきあって
よろこんでよろこんで
みどりになっちゃった!
いっぱいあそんで いえにかえると
りょうしんは びっくり
みどりなんてしらない わからない
このこは いったいどこのこなの?
「このこは いったいどこのこなの?」と、世界はいぶかしがりました。青と黄色の国へ、外国の砲弾がいきなり飛んでいったと聞いて。平和に暮らしていた国に、強盗が襲いかかり、様相が一変したのです。何が起きたのかわから
ず、「みどりなんてしらない わからない」と、驚いたのです。特に、青と黄色の国から八千キロも離れた日本では。
わたしもその日本に住むひとりでした。このブログの中でも(カテゴリー「ウクライナ」)「暴挙」から「侵攻」へ、「侵攻」から「侵略」へと、攻撃をしかけた国に対しての表現がだんだん変わっていきましたが、マスメディアのスピードより遅いものでした。むごいことをするという憤りと、どうしてこのようなことが起こるのか分からないという意識とに差がありました。
侵略が始まって一か月が経ちました。侵略は止みません。それどころか、「皆殺し」をもくろむような攻撃のしかたを、さらにエスカレートさせていっています。
あおくんも きいろちゃんも
しらないこだといわれて ないた
いっぱい いっぱい ないた
そのなみだが あふれたとき
きいろのなみだは きいろちゃんに
あおのなみだは あおくんに
かわったのです
りょうしんは おおよろこび
あおくんも きいろちゃんも
おおよろこび
青と黄色の国が、もとの国に戻るまで、どれほどかかるでしょう。
喪われたいのちは戻りません。傷ついた心が癒えるには、また、破壊された町が再建されるには、どれほどの涙がさらに流されねばならないでしょう。「いっぱい いっぱい なく」のです。想像するだけで、胸が苦しくなります。
けれど必ず「りょうしんは おおよろこび」し、「あおくんも きいろちゃんも/おおよろこび」する日が来ると、そう信じます。
『あおくん と きいろちゃん』
息子たちが幼児期に読んでいたので、
表紙がよごれてしまいました。
(レオ・レオーニ作・藤田圭雄訳、至光社)
●ご訪問ありがとうございます。
文中、詩のような形のものは私があらすじをまとめたものです。本も、ひらがなで書かれた短文からできていますが、その短文は名訳だと思います。愛情と切なさとが伝わってきます。
今回あらためてこの本を読み、まさに「青と黄色の国」その国に起きている悲劇を思いました。この本自体は悲劇を書いたものではなく、ハッピーエンドで終わるのですが、今読むわたしに、「切なさ」「なみだ」がひびいてきたのです。