『絵本 はだしのゲン』に導かれて
中沢啓治『はだしのゲン』の絵本に導かれた。
広島市の平和教材から『はだしのゲン』の引用が消されたと知った。教育委員会の決定という。十年前に掲載を決めたときの背景や理由を知らない(驚いたことに、削除を決めた現在のメンバーの責任者も、当時のメモがないので知らない、調べていないなどと発言した)ので、削除すると決めた背景や理由と比べることはできないが、「密室」で透明度の低い議論がなされ、削ることが決められたのだろうと私は勘ぐった。
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身重の母が病気になり、栄養をつけさせたいと、ゲンと弟が鯉を盗む場面がある。さらに街頭で「こじき」の恰好をして浪曲を歌い、踊り、聴衆から投げ銭をもらうという場面がある。ゲンも弟も、したくないことをするのだ。
子が親を思う気持ちが表れている場面である。それ以上に、戦争のせいで満足に治療もできない状態、病気を治したくても治すことの自由を奪われた状態のむごさが伝わってくる。
これらの場面に、鯉を盗むのは不道徳である、浪曲が子どもに説明しにくいなどのクレームがついたという。
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八月六日、広島に落とされた原爆で家が破壊され、その下敷きとなった父や姉が焼け死ぬ場面。業火のなかで、父がゲンに、自分たちを置いて逃げろ、何としてでも生き抜けと叫ぶ場面。親が子を思う気持ちがあふれている場面である。それ以上に、市民の日常が一発の原子爆弾で破壊され、家族を引き裂き、いのちを奪い取ってしまうむごたらしさこそが描かれている。ウクライナや、他の紛争地域の悲惨な情景が重なってくる場面である。
絵本にはさらに、原爆によって殺された市民の姿も描かれている。皮膚が垂れ下がり、体中にガラスの破片が突き刺さった姿、水を求めて川へ身を投じ、そのまま死んでしまった死体の情景。―これらが、作者にとってはいちばん思いをこめた表現だろう。
クレームがついた箇所と比べるとはるかに重たいエピソードなのだが、これらについてはどう議論されたのか(市民の惨劇は、そもそも平和教材には入れられていないかもしれない)。
中沢啓治は、あとがきでこう書いている。
昭和三十八年、脳溢血でたおれた母は、それから四年間の闘病生活ののち、永眠した。火葬場で母を焼いて、骨をとりだそうとした私は、一瞬、息をのんだ。そこには、白い粉が点々としているだけだったのだ。
原爆は、母をさんざん苦しめたすえに、骨まで喰いつくしやがったのか――そう思うと私は、くやし涙があふれでるのを、とどめることができなかった。
(中沢啓治『絵本 はだしのゲン』汐文社、1993年6月1日 第10刷)
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先日わたしは、次のような詩を書いた。
「抗」と「杭」と
くずされてしまうかもしれない
今杭(くい)をうたないと
うばわれてしまうかもしれない
今流れに抗(あらが)わないと
あの時代のように
なにが?
―赤ちゃんが思いっきり泣ける自由が
―お年寄りや病気のひとが安心して眠れる平和が
―孤独な若者たちが心で語り合える愛が
福島の原発の動きも新たになってきた。周辺国からの圧力も高まっている。ミサイルを撃ち続けている国は、傲然としている。だのに、わたしたちの「危機感」はそれほど高くない、と思う。
それでいいのか、と、一人ひとりが問われている気がする。
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最後にもう一度峠三吉の詩を掲げる。わたしのなかでは、これを超える反戦詩はまだない。
序 峠 三吉
ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ
★いつも読んでくださり、ほんとうに有難うございます。
峠三吉の「序」については、2023年8月6日に「峠三吉『原爆詩集』序」として投稿しました。併せてお読みいただけたら幸いです。