山村暮鳥(ぼちょう)、清らかさへ
山村暮鳥の詩に「雪」という作品がある。
雪
きれいな
きれいな
雪だこと
畑も
屋根も
まっ白だ
きれいでなくって
どうしましょう
天からふってきた雪だもの
雪はさまざまな詩人が描いているが、この詩は特に素朴で優しい。雪の美しさと透明さがしみるようだ。こんな雪のうえに身を置いたら、自分の汚いものが浄(きよ)められるような気がする。
また、こんな詩もある。「雲」という詩。
雲
丘の上で
としよりと
こどもと
うっとりと雲を
ながめている
山村暮鳥の有名な「雲」は、次のようなものである。こちらをご存知の方はおられるだろう。
雲
おうい雲よ
ゆうゆうと
馬鹿にのんきそうじゃないか
どこまでゆくんだ
ずっと磐城平(いわきたいら)のほうまでゆくんか
この詩も好きだ。ただ、今のわたしは、先に紹介した「雲」に惹かれる。老人と子どもが、争いのない平和な状況のもと、穏やかな目で自然に対して心を開いている。その姿がなんとも安らぎを与えてくれるのだ。
「桜」という詩もある。
桜
さくらだという
春だという
一寸(ちょっと)、お待ち
どこかに
泣いてる人もあろうに
こんな気配り、心の澄まし方。浮かれすぎない、自分のしあわせをかみしめながらも、それに浸(ひた)りきらない。「人がいたわりあう」ということの飾らない表現がここにもあるように思われるのだ。
宮沢賢治の、
わたしはいまこころからいのる
どうかこれが兜率(とそつ)の天の食(じき)になって
おまえとみんなとに
聖(きよ)い資糧(しりょう)をもたらすように
わたくしのすべてのさいわいをかけてねがう
(宮沢賢治「永訣の朝」より)
このことばとも、しずかに重なる気がするのだ。
*山村暮鳥、宮沢賢治の詩は、どれも、無料のインターネット文庫「青空文庫」で読めます。
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争いがまったくなくなった世界を夢見ています。
自分も少しでも優しい気持ちをもてたら、自分の周りのひとにちょっとでも温もりが伝わったら、いいなあ、と思います。