最期はひとりで
1
二十歳のとき、アルバイトで草刈りをしたことがあった。耕運機ほどの大型機械で土手の草を刈った。作業員はわたしひとり。その作業中、何かのはずみで足を滑らせた。後ろ向きの姿勢なので、草刈り機は上にあり、わたしは下にいる。それが滑り落ちるままに、ずるずるとわたしも落ちていった。
そこでもしも転んでいたら、体を草刈り機が踏み潰しただろう。脚から頭まで。だが幸いにわたしは転ばなかった。そして、土手の下に生えていた木にぶつかった。ぶつかって、わたしはしたたかに背と腰を打ち、草刈り機は止まった。
あのときのどうしようもない圧倒的な力。それを「暴力」(大暴れする力)というのだろう。とつぜん襲いかかってきた暴力、という表現がぴったりか。アレアレと心のなかで叫びながら、全くなす術のない状態だった。
わたしは会社へ電話をかけた。しばらくして大きな車が来た。ふたりの社員は草刈り機を荷台に載せながら、刃が欠けちまったなと言った。わたしは翌日病院へ行き、腰椎にひびが入っていますと診断された。
2
携帯電話が水に落ち電源が切れた
一瞬の事
ついさっきまで使っていたのに
ひととつながっていたのに
携帯ショップの店員が表情を変えずに告げる
─コノ携帯ハ壊レマシタ
モウ使エマセン
モウ誰トモツナガリマセン
3
戦争は「群死」をいいがちです。死者を数で表すからです。しかし、たとい何百名何千名の死者を数えようとも、群れで死ぬことはありません。一人ひとりが死んでいくのです。「個死」です。
メメント・モリ(死を覚えよ)とは、死者を数で表さず、「個死」を見つめることです。暮らしを、体を、心を、魂を見つめることです。
そこから今日の「生」を、世界の平和を大事にしていこう、ということだと思います。
★たんぽぽの 何とかなるさ 飛んでれば
★いつも読んでくださり、ほんとうに有難うございます。