祈りを、うたにこめて

祈りうた(導かれて  重松清『せんせい。』ー「白髪のニール」、先生とロックと)

重松清『せんせい。』ー「白髪のニール」、先生とロックと

 

 重松清の『せんせい。』の中に収められた「白髪のニール」によって、歌手ニール・ヤングと出会えた。
 作品で挙げられた「孤独の旅路」「太陽への旅路」「ライク・ア・ハリケーン」をユーチューブで聴きながら読んだ。(実はいま、「孤独の旅路」を聴きながら、この稿を書いている)。
 私はフォークソングと演歌とクラシックとボサノバとシャンソンと映画音楽
などが好きなので、正直なところロックはほとんど聴いたことがなかった。ニール・ヤングという歌手も恥ずかしながら知らなかった。
 一冊の本というのは、力を持っていると実感する。
 「先生」という、おそらくは誰もが胸にしまってある、懐かしさのしみ出てくる存在に対し、ひととき感傷にひたらせてくれた。
 (この作品の主人公は先生なのである。その先生が、ニール・ヤングの曲を弾き語りしたいと願い、教え子にゼロから指導を求めるストーリーなのだ)。
 私を「君たち」と数でかぞえず、「〇〇君」と呼んでくれた幾人かの先生。その先生のお一人ひとりを思い出させてくれた。「せんせい、いまどうされていますか。あのときは励まされました。慰められました。叱られて目がさめました」と、心のなかで呟かせ、あまずっぱい思いで満たしてくれた。暑さを忘れた。
 また、ひとりの歌手へ導いてくれた。
 ニール・ヤングが有名な歌手であることにさえ無知な者だった。が、作品で紹介された曲は「いいなあ」と思った。声高に叫ばなくても魂は伝えられるのだなと教えてくれた。ギターとハーモニカと声とが一つになって、「人生を探ろう、ゆっくりでもいいから生き続けよう」と語りかけてくるようだ。
 作者はそれを、「ニール・ヤングは歳をとることを歌った。死なないことを歌った。生きつづけることを」と書いている。ジミ・ヘンドリックスなど、私も知っていたアーティストが若死にした、その生き方を選ばなかったのだと。
 中学の私の同級生が、先生となった。もう退職したが、子どもたちに記憶されるいい先生だったろうと思う。ギターで音楽もやっている。この作品の「先生」のようである。
 いつかニール・ヤングのことを聞いてみたいと思う。

 *重松清『せんせい。』所収「白髪のニール」。新潮文庫。

 

●ご訪問ありがとうございます。
 音楽の力は強く大きいと思います。それを小説を通じて知らされた喜びもあります。この作品は歌手の伝記ではありませんが、素直に魅力を教えてもらえました。

 

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