祈りを、うたにこめて

祈りうた(導かれて  原民喜からの「宿題」)

原民喜(はら たみき)からの「宿題」

 

 ヒロシマで被爆した詩人の原民喜が、詩とエッセイを書いている。短いので全文をご紹介したい。旧仮名遣いなので、少し読みづらいところがあるかもしれないが、ごしんぼういただきたいと思う。
                   (無料のインターネット文庫「青空文庫」より引用)

 

 

戦争について    原 民喜




コレガ人間ナノデス
原子爆弾ニ依(よ)ル変化ヲゴラン下サイ
肉体ガ恐ロシク膨脹(ぼうちょう)
男モ女モスベテ一ツノ型ニカヘル
オオ ソノ真黒焦ゲノ滅茶苦茶ノ
(ただ)レタ顔ノムクンダ唇カラ洩(も)レテ来ル声ハ
「助ケテ下サイ」
ト カ細イ 静カナ言葉
コレガ コレガ人間ナノデス
人間ノ顔ナノデス

 夕食が済んで病妻が床に横はると、雨戸をおろした四辺は急に静かになる。ラジオばかりが生々しいものをその部屋に伝へてくるのだが、それを聴きながらも、つねにそれを無視しようとする気持が僕にはあつた。それは日本軍による香港入城式の録音放送を聴いてゐた時のことであつた。戦車の轟音(ごうおん)のなかから突然、キヤーツと叫ぶ婦人の声をきいた僕は、まるで腸に針を突刺されたやうな感覚をおぼえた。あの時、あの時から僕には、もつともつと怖しいことがらが身近かに迫るだらうとおもへた。それから、原子爆弾による地球大破滅の縮図をこの眼でたしかに見て来たのだつた。
 だが、今後も……。人類は戦争と戦争の谷間にみじめな生を営むのであらうか。原子爆弾の殺人光線もそれが直接彼の皮膚を灼(や)かなければ、その意味が感覚できないのであらうか。そして、人間が人間を殺戮(さつりく)することに対する抗議ははたして無力に終るのであらうか。……僕にはよくわからないのだ。ただ一つだけ、明確にわかつてゐることがらは、あの広島の惨劇のなかに横はる塁々(るいるい)たる重傷者の、そのか弱い声の、それらの声が、等しく天にむかつて訴へてゐることが何であるかといふことだ。
 
 
 1948年ー戦後3年ののちーに書かれたものである。
 原民喜は、静かに、けれど重く、わたしたちに、わたしに、「宿題」を残していったと思うのである。次のような「宿題」を。
 
 だが、今後も……。人類は戦争と戦争の谷間にみじめな生を営むのであらうか。原子爆弾の殺人光線もそれが直接彼の皮膚を灼(や)かなければ、その意味が感覚できないのであらうか。そして、人間が人間を殺戮(さつりく)することに対する抗議ははたして無力に終るのであらうか。
 
 「争い」は、いまも、国同士の間だけでなく、一つの国のなかでも止むことがない。「人間が人間を殺戮する」というおぞましさ、それをこの一か月あまり、わたしたちは「ロシア軍の侵略」として見せつけられてきた。
 わたしたちはそれに対して「抗議」をしている。しつづけている。しつづけていかなくてはいけない。
 「無力に終わるのであろう」という失望落胆に沈むわけにはいかない。いかない、のである。
 「天にむかって訴えていること」ーわたしはそれを「神さま、助けてください!」「どうか平和をください!」という言葉にして、自分の胸に刻んだ。
 
 
●ご訪問ありがとうございます。
 今回は、いつものスタイルと異なる表現を取りました。原民喜の訴えは、自分の言葉を上回る表現と思い、その表現に語ってもらおうと思いました。
 ロシア軍がさらにむごいことをしないように、祈り続けています。

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