ひねもす日々

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祖母が亡くなりました。

2010年07月06日 | 日々雑記
7月2日、午前8時頃に祖母が亡くなりました。享年94歳(満93歳)でした。

簡単に祖母のことを書きますと、樺太生まれで、戦後北海道に引き上げてきました。
樺太では裕福な家庭だったようですが、戦後の混乱で父と弟を南下してきたロシア兵により殺され、一日違いで引き上げた祖母は難を逃れました。
北海道に引き上げてからは二度の結婚、僕の母は二度目の結婚の時の子でした。

ところが、僕の母が小学生の頃に祖父が交通事故にて他界、集まりかけていたそれぞれの連れ子達も離散し、祖母は母と暮らして行くことになりました。
母が父と結婚後、僕が生まれてからは一緒に住み、妹も含めて家族5人での生活が基本となりました。

僕が大学生になった頃、アルツハイマーの疑いが出始め、ちょうど老人介護の気運が高まったこともあって、デイサービスから始まり、症状の進行具合から段階的に施設に入ることになりました。
施設に入ってからは母が毎日お昼ご飯の介助をしつつ、約10年。
その間、骨折やガンの発見などもありましたが驚異的は快復力で持ち直してきました。昨年末より肺を患い病院へ入院。
徐々に肺を侵され、酸素吸引のマスクが手放せなくなったのが先月。

家族を呼ばれたときには、片肺が機能停止、残った方も3分の1に水が溜まっている状態でした。
僕が到着したときには肺の機能が損なわれているため、息苦しそうな状態でしたが、翌日には楽に呼吸が出来るようにモルヒネ投薬を始めました。

前日の苦しそうな姿から、かなり呼吸が楽になったようですが、自発呼吸が続く限りとなりました。そして7月2日午前8時5分に、祖母は静かに息を引き取りました。

その時、母は病院にいましたが、父と妹、そして僕は自宅にいたので急いで病院に向かいましたが臨終には間に合いませんでした。母曰く、「本当に眠るように呼吸が止まった」と。
今回は家族のみでの葬儀という形を執らせていただき、通夜から出棺までずっと自宅で一緒に過ごしました。

と、そんな祖母のことを書いてみましたが、結局長くなってしまいました。
ここには書いていないですが、まだまだ祖母にはいろいろなエピソードがあり、つくづく波瀾万丈な人生だったんだなぁと。
今思うと、もっともっと祖母との時間を作れたのではないか、とか、あの時…とか、思うところは色々あります。でも、家族で過ごせたこの週末はとても貴重でありがたい時間だったなと思います。

そんな祖母に感謝しつつ、これからは安らかな眠りと共に、見守っていてもらいたいと思います。
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