童画家kanan 《小さな勇気を届けたい🌸》

世界中の誰かに勇気が届けばいいな🌸国も言葉も肌の色も家族も宗教も超えて、《自分を好きになる勇気》を子供にも大人にも届け♫

take6 自分の存在意義を持てた経験

2022年11月13日 | 生きる


子どもたちの笑顔がほんとに好き🌸
🌸🌸🌸
高校生の時、みんな、卒業してからの進路を決めると思います。
まず進学なのか、就職なのか。
私は、どちらも選ばなかったタイプです。
なりたい職業にも、『画家・小説家』と書いたのを覚えています。
進学する子が多い学校だったのですが、進学について、真面目に考えることができなかったんです。

何にも進まない選択をしたのかの理由は、自分でもよく分からないけど、全然そこに向き合わなかったタイプです。
普通は、6人兄弟の2番目としては、国立の専門学校で技術を学んで活かすか、就職して独り立ちするかをやるべきところですよね💦
不思議な子〜
でも、山の中育ちで知ってる世界がとても小さかったのに、『自分は世界に出て何でもできる』と思ってたような自分でした。

卒業して、大好きだった重度の弟の介護や学校への送り迎えをしながら、親の自営業を手伝いながら、かなりのんびり日々過ごしてる中で、小学6年生の弟が手術で入院することになりました。
だけど、自営業の父と2人で柱になってた母は付き添いができない。
他の兄弟もいる。
それで、何となく、私が付き添いをやるわ〜と決めて、弟の介護の為、付き添い入院を4ヶ月しました。
母は、娘にやらせることを恐らく申し訳ないと思ってたんだろうなと今なら推測できます。
でも、私は、私しかできないことを見つけた想いだったと思い返します。
ただ、世間はもしかしたら母に厳しい言葉を投げかけてたかもしれない。「娘に付き添い介護をさせるなんて!」とドラマで出て来そうな言葉を言う人はいただろうなぁ〜
母、辛かっただろうな。

私は、人と同じ道を歩いたり、人がワイワイする輪に居ることに憧れる気持ちが20%
でも実は、人と全然違う道を歩きたいし、周りに自分の心を左右されたくない、と思ってる自分が80%。
そんな私にとって、弟の付き添い入院は良い道だったんです。
弟は、元々車椅子で、トイレも介護が必要でしたが、その時の手術は、股関節。
歩けないからか、それが普通なのか、胸から足首の上まで、一つのギブスで包まれてました。トイレに関する部分と足首から下と鎖骨より上や腕は動かせるけど、他は無理。
今考えると、本当にそれって正解?と思えるような状態でした。(正誤は未だに分かりません)
そんな弟のベッドの横で、折り畳みの長椅子のような場所で寝泊まりしてました。

弟のギブスが外れるまでは、食事をもらってきて、病室で弟に食べさせていました。
集中治療室から直接入れる部屋だったので、入り口とは別に扉があり、看護師さんも出入りしてたような気がする。
時々あった、回診?みたいな時、多分立場が上だった主治医のお医者さんがタバコを吸いながら弟のベッドの横に来てたのを覚えてる。
今では信じられない時代ですよね💦

その頃は、弟や時々看護士さんと話す以外話すことがなかったので、ちょっとノイローゼになりそうで、弟が一時帰宅する時、迎えに来た母に帰宅途中の車の中で泣きながら何かを訴えてた気がします。
母はただただ聞いててくれました。
母にとっては、代わることができない状況での娘の愚痴。辛かったと思います。

わたしは本当に母に対して酷い娘だった。
心から申し訳ないと思います。

実はこの頃、大学受験生でもありました。
けど、これは、ただただ自分の立場を対外的に守るために自分が取ってた方法だったなとつくづく。
病院から早朝、受験に向かいましたが、実力などないに等しく、受かるはずもない。当然落ちました。
でも、その時の自分には、「高校卒業して何をしてるの?」の答えが必要だったんです。

弟の付き添い入院をしばらくしていたら、弟のギブスが外れ、リハビリが始まりました。
リハビリセンターの成人病棟に入院してたので、弟のギブスが取れてからは、他の人と同じように大きな食堂で毎食食事をしました。
セルフサービスの形だったかな?
そこで、同年代の女の子男の子と出逢い、病院生活に色が入り始めました。
その頃はもう和室の個室に移動してたので、車も持って行ってたし、患者のみんなよりは自由度があり、ビデオを借りに行ってみんなでビデオ鑑賞したり、部屋に集まって話したり、弟のリハビリをやりながらの入院生活を楽しんでいました。
リハビリセンターだから、みんな元気なんですよね♫
リハビリセンターには約4ヶ月ほど入院してたと思います。
弟は、車椅子もすごく上達して、院内を動き回ってました♫

そんな中、その中の1人の男性と徐々に親しくなり、後々交際に発展したのが、今の夫というわけです🤗

人生、どこで何があるか分からないですね〜

弟を可愛がってくれる中でみんなと友達になれたので、弟が私たち夫婦の恋のキューピット(Wordが古すぎて使うのを躊躇してしまった💦)だったんです(o^^o)🌸

18歳のあの頃、病院にもたくさん迷惑かけたよな〜とつくづく。
だから、今の若者を見る時、まず自分の同じ頃を思い出すようにするんです。そうすると、ほぼほぼ、わたしの方が大人に迷惑かけてる非常識人だった💦と思う(^◇^;)
今の子どもたち、若者たちは、私たちの頃よりもずっーーーーと大人です。
周りや先のことをすごく考えてるし、自分と違う人を受け入れることもできる。

わたしが仲間と一緒に運営している子どもの居場所の子どもたちを見てもそう思います。
「自信を持ってーーー❣️今の大人の若い頃よりも、君たちはずーっと賢くて、素晴らしい心を持ってるよ╰(*´︶`*)╯♡」と言ってあげたいです🌸

ぜひぜひみなさんも子どもたちや若い子を見る時、まず、自分の同じ頃を思い出してみてもらえたらと思います。
そんな目線で世の中を見ると、優しい循環が生まれて、みんなが生きることが居心地良くなると思うんですよね♫🤗

そんな着地で終わるとは(^◇^;)
偉そうにすみません💦

#母
#入院
#友達
#人生



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