童画家kanan 《小さな勇気を届けたい🌸》

世界中の誰かに勇気が届けばいいな🌸国も言葉も肌の色も家族も宗教も超えて、《自分を好きになる勇気》を子供にも大人にも届け♫

自分を振り返る🌸

2022年10月10日 | 生きる
お久しぶりの投稿です🤗
皆さま、お元気ですか?
子どもの居場所は有り難いことに、順調に開催できています🌸
その中で、
私は今、人生がまた新しいステージに移動するところのようで、自分の中を思考がぐるぐる回っています。
その内、落ち着いたら、きっと次のステージのスタートです🌸

先日、子どもの居場所を法人化していくには?の相談に乗ってもらってる所でお話してくれたのが、
「感じてないかもしれないけど、あなたの人生は、他の人があまり経験してない困難をたくさん経験してます。それを見せられる形にすると、事業にも童画にも共感してくれる人がきっといる。」とアドバイスをもらいました。
そっかーと新しい視点をもらった感じ🌸

そこで、少しずつ自分の人生を振り返りながら、その時どう思っていたのか、今どう思っているのか、をここに載せていけたらと考えました🤗

映画で、「自分ばっかりなんで?」と思って、苦しんでた子どもたちがいました。
もしかしたら、そんな想いに縛られて動けない子どもたち、大人たち、いるかもしれない。
私の経験とは違うけど、私の経験を出すことで、そんな想いから解き放たれる人がどこかに居たらいいなと思うんです🌸

不幸自慢♫いいじゃん(*´꒳`*)/
全部いっちゃいましょ〜

時系列は無視して行きます♫
🌼take1
私、小学校6年生の時、目が見えなかったんです。
小学校5年生の終わり頃、修学旅行の時、途中から目がぼやけ始めて、友達の表情がわからなくなってきた。
帰ってから、学校で、修学旅行の作文を書くことになった時、線が見えなくて、泣いてしまったのを覚えています。(通常2.0の視力だったので、見えにくいことにショックがね(^◇^;))
その後から、徐々に真っ暗になっていって、なぜか、視野のすこーしの周りは灯りがあるけど、それ以外は真っ暗だったんです。
私の住んでた所は、中国山地の上。
分水嶺があるような場所なので、山と川と田んぼばかりだったので、病院も銀行も隣町なんです。
(診療所や農協、郵便局はあったよ)
そんな場所なので、眼科は隣町。
その眼科で、「眼球の裏に薬を注入する。」ということで、目を開けてて、下瞼の下辺りから注射器を刺して、グッと上げる注射をしたんです。
怖かったけど、そういう怖さは、割と我慢しちゃう方だったので、泣いたり、嫌がることはなかったと記憶しています。
そのまま意識が朦朧として、ベッドに寝かされました。
トイレに行きたいけど、尿瓶とかではどうしても出なくて、苦しくて、オマルでさせてもらったのも覚えてる。
そんな意識朦朧の中、父がおんぶして病院を出て、家に連れて帰ってくれたことをなんとなく覚えています。

その先は遠くの大きな病院に行き始めたみたいです。
私は6人兄弟の2番目。
弟は重度の生まれつきの脳性麻痺。
そんな中、父と母はひとりひとりを守ろうと一生懸命だったと感じていました。



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