童画家kanan 《小さな勇気を届けたい🌸》

世界中の誰かに勇気が届けばいいな🌸国も言葉も肌の色も家族も宗教も超えて、《自分を好きになる勇気》を子供にも大人にも届け♫

生きてる奇跡を感じます。

2012年12月03日 | 日記

 人間って、実はすごく簡単に死んでしまうんですよね。

 頭を打っただけでも死んでしまうし、少しの間息ができなくなっても死んでしまうことも。

 さっきまで元気に話をしていた人が、何かの事故で急になくなることもあります。

 生まれてくるのだって、大変な奇跡と言うし、たくさんの精子の中で今の自分が生き残ってこの命をもらえたことも、偶然ではないのでは・・・と感じます。

 生まれたころから、今までを考えても、何度も死んでもおかしくないような事象に遭遇してたり、遭遇するギリギリだったり。

 そう考えると、今私たちが生きてて、今この環境にいるって、全て必然的なことばかりなのかもしれない。と感じます。

 むしろ、偶然で処理する方が難しいのかも知れません。

 

 私は、兄弟が多いのですが、小さいころから、よく怪我をしていました。父や母をはらはらさせることも他の兄弟よりは多かったようにも聞いています。重度の障害を持った弟ももちろん色んなところではらはらさせてはいましたが、私は怪我や病気ではらはらさせていたようです。

 そんな私が小学6年生の時、急に目が見えなくなって、色んな病院へ検査に行き、結果稀な難病の可能性を告げられたこともあったようです。いつ死んでしまうかわからないとも言われ、家で小さい弟、妹と過ごしていた夏を覚えています。

 大人になってからも一度別の難病の可能性を言われましたが、今、私は、そんな昔がうそのように、身体はきゃしゃに見えるかもしれませんが、子供も二人立派に育っていて、30代後半に差し掛かってから合気道も習い始める程、元気です。

 

 私の夫も、18歳の時にバイク事故で意識不明からいろいろなリハビリや数度にわたる神経の移植の結果、左手が不自由だけれど、無事就職し、その後再度意識不明になりはしたけど、今ではとても元気で、家族のため仕事をしてくれています。左手は不自由でも、料理もよくしてくれるし、キッチンはいつも綺麗で、家族に笑いがいつもあります。

 

 そんな自分たちの人生を振り返ってみて思うのは、私も夫も生きなければならないから、生かされている。のだなという想いです。

 そして、子供たちも生まれてくる意味があったのだと思うのです。

 息子が小2の時に拾ってきた我が家の猫も、小3の時瀕死の状態で拾ってきたもう一匹の猫も、色んなタイミングが重なって、我が家の一員になりました。

 だから、きっとみんな偶然ではなく、必然的に今があるのだと思うのです。

 

 そう考えると、やはり、今現実に生きている私たちは、色々なものによって、「生かされている」ような気がします。

 そしてまた、そう考えると、せっかくその色々なものが、私たちを「生かしてくれている」のだから、この人生を一生懸命に生きてみようと思うのです。

 高齢になった方々に「今までの人生で後悔してることはありますか?」と聞くと、「あります」と答える方には、自分が頭に描いたものを「やらなかった」ことを後悔してる方が多いと聞いたことがあります。「ありません」と答えたかたは、やりたいことを「やった」と言う方が多いと。

 そして、自分の頭に浮かぶことで良心に沿っていることならば、それは実現可能なのだということも聞いたことがあります。

 だから私は、この人生を終わるとき、「やりたいことは全てやった。本当に楽しい人生だった。みんなありがとう。」と言って、締めくくれる自分でいたいなと思うんです。

 夢を叶えることだけが成功ではなく、夢を叶えようとその道を歩くことが既に成功なのだといいます。私がその道を歩くことで、たとえ道半ばで死んだとしても、その道が他の誰かの道しるべになっているかもしれないし、きっとそんな道を歩けた私は凄く幸せだと思うんです。「奇跡のように生かされていた」ことに感謝しているに違いありません

 

 時には、自分の死ぬときの情景を思い浮かべてみるのもいいなと感じます

 そうすると、今するべきことも見えてくるように感じるんです

 今日も、家族みんな生きてます

 みんなを生かしていただいて、ありがとうございます

 


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