文化遺産としての赤塚不二夫論 今明かされる赤塚ワールドの全貌

赤塚不二夫を文化遺産として遺すべく、赤塚ワールド全般について論及したブログです。主著「赤塚不二夫大先生を読む」ほか多数。

初の少年向けポリティカル・ナンセンス『狂犬トロッキー』

2021-12-21 19:05:43 | 第5章

東大安田講堂の陥落、70年安保闘争における一般学生の離反等、引き潮の如く沈静化の一途を辿った新左翼運動は、1970年代初頭、各セクトによるイデオロギー上の紛糾を抱える中、その後分裂や党派再編を恒常化させ、熾烈な武装闘争へと活路を見出してゆく。

そんな激動の時代の最中、滝沢から、赤塚漫画、それも少年向けギャグ漫画で、ポリティカル・ナンセンスなるジャンルを開拓出来ないかという打診があり、実現化に至ったのが、短期連載という形でシリーズ化された『狂犬トロッキー』(「別冊少年マガジン」71年1月号~9月号)である。

ロシア革命の史実をモチーフに、ソ連共産党最高指導者・ヨシフ・スターリンの最大の宿敵であったレフ・トロツキーの革命的英雄神話を、現代日本の、それも犬の世界に挿げ替え、観念の象徴としてカリカチュアしたピカレスクロマンだ。

主人公のレオン・トロッキーは、ロシア産ボルゾイ種という誇り高き血統を持つ犬であると、自らを称するが、真っ赤な嘘だった。

ジステンバーを患い、そのため、鼻が全く効かない野良犬として生まれ落ち、飢え死に寸前のところを、大学の哲学教授・蹴毛豪留氏に拾われ、飼い犬として生活していた。

だが、トロッキーは惰眠を貪る用なし犬。論理学的立場からの追求を名目に、ドイツ観念論を専攻する蹴毛から、いつも虐待を受けていた。

悔しさを募らせたトロッキーは、「人間の本質なるものがその書物にある」と嘯く蹴毛を凌駕する存在になるべく、蹴毛所蔵の万感の書物を全て読破する。

そして、単なる書物の受け売りでしか全てを語れない蹴毛を圧倒する思想と哲学をもって論破し、遂には、蹴毛家を解放区として、犬仲間のスターリン、マルクス、レーニンと共に、制圧下に置く。

トロッキーは、犬の主体性回復を訴え、仲間達と革ワン連を結成。陸上自衛隊の総監室を占拠し、前年(1970年)の「三島由紀夫事件」と同様に、総監を人質に取るやいなや、自衛隊員を集結させ、バルコニーに立ち、国家の番犬からの脱却を促す。

だが、この革命は敢えなく挫折に終わってしまい、トロッキーらは捕獲員に捕らわれ、野犬収容所に移送されてしまう。

しかし、こんなことでめげるトロッキーではなかった。

トロッキーは、野犬収容所で同志を募り、叛乱を起こし脱走。再び革命の狼煙を上げるが、ある同志の壮絶な裏切りにより、その革命は、今まさに阻止されようとしていた……。

本作『狂犬トロッキー』の連載中、折しも、藤子不二雄Ⓐの『劇画 毛沢東伝』が話題を集めていた頃で、宮谷一彦が『性蝕記』をはじめとする、性と政治に彩られた珠玉の作品群を発表し、カリスマ劇画作家としてカルト的な人気を確立したほか、山上たつひこや真崎守といった新進気鋭の作家達も、『光る風』、『共犯幻想』等、政治的メッセージを含有した力作を相次いで執筆するなど、あらゆる芸術分野において、政治的テーマを閑却出来ない時代の空気感が、漫画界全般にも大きな影響を及ぼしている、まさにそんな時代であった。

従って、赤塚が滝沢を原作者に迎え、『狂犬トロッキー』のような政治色濃厚な連載を立ち上げたのも、そうしたポリティカルの季節固有の時代的必然性が、背景として根強く存在していたからなのだろう。

だが、『狂犬トロッキー』の作画は、当初は赤塚が受け持っていたものの、その後三ヶ月間、自身のオーバーホールを目的に渡米したため、途中から、フジオ・プロ、チーフスタッフの斎藤あきらにバトンタッチされる。

そのためなのか、ラストシーンが、中途半端なまま投げ出されたような格好となり、ドラマとして、もやもやとした燻りを残しての結末を迎えてしまったことが、非常に悔やまれるところでもあった。

とはいえ、『狂犬トロッキー』は、全編に渡り、アグレッシブなアクションを目一杯に詰め込んだ緊迫感と、血飛沫が吹き出すスプラッター描写の毒々しさによって隈取りされており、そのダークさを底光りさせた震慴のミクスチャーは、初めて本作を読む読者を、今尚驚倒させてやまない。

また、革命はお預けという、足踏み状態のまま迎えた、唐突のラストシーンは、幾分カタルシスに欠けるものの、それでも、矢継ぎ早の展開で、一気に最後まで読ませてしまうその疾走感は、非の打ち所が一切なく、ドラマの躍動感を弥増しに高めてゆく。

そう、本作の生命線とは、このスピード感であり、テンポの良いコマ運びこそが、ドラマに跳躍を与える原動力となるのだ。

そして、赤塚漫画独特のアトラクティブな文体は、この流麗なコマ運び、即ち構成力にこそあり、滝沢が持つ特殊な作家性を血肉化し、至妙の間合いでもって、オリジナル同様に昇華している点は、まさにグレイトとしか言い様がない。


『鬼警部』 性の解放における内在的情念

2021-12-21 19:05:02 | 第5章

滝沢とのコンビによる仕事は、『死神デース』を経て、『鬼警部』(「週刊少年マガジン」70年)、『狂犬トロッキー』(「別冊少年マガジン」70年~71年)、『幕末珍犬組』(「週刊少年マガジン」73年)等、滝沢をシナリオライターに起用し、後にファンの間で滝沢原作三部作と呼ばれる連載、長編読み切りへと結実する。

『鬼警部』(「別冊少年マガジン」70年12月号)は、愛のために芸術を捨てると誓うストリッパーのパールと、ストリップは至高の芸術表現だと叫ぶそのヒモであるモロ、公然猥褻は憎むべき犯罪だと、二人の逮捕に一人怪気炎を上げるブラック警部の、恋愛関係とはまた違う奇妙な三つ巴の関係をシークエンスに、友情が孕んでいる矛盾と倒錯を明確な因果律で呈示した、不条理劇的要素の強い異色作である。

猥褻か芸術か、性の観念を巡り、常に先進と保守の間で、トートロジー的な論争がなされてきたが、この時期、日本でも、ヒッピームーブメントに呼応したロックミュージカル『HAIR』が上演され、また、老舗映画会社・日活がポルノ路線への転換を図るなど、裸をタブー視する社会通念に一矢報いた、これらのカウンターカルチャーもまた、反権力闘争の所産として見なされ、若い世代に熱烈な歓迎をもって受け入れられた。

そうした性の解放が大きく進んだ時代における内在的情念を、滝沢と赤塚が、少年漫画の世界で表出したことは、もっと声価を得て然るべきだろう。

鬼警部の敵役のモロが、フランス象徴主義の画家・ギュスターヴ・モローのパロディーであったり、各エピソードごとのテーマに絡め、フョードル・ドストエフスキーやマルティン・ハイデッガー等の箴言が、幕間的にインサートされるなど、少年漫画で扱うには、消化不良を引き起こしかねない、それらキッチュな演出に、些か煮え切れない印象も禁じ得ないが、滝沢原作の特徴であるシニックな人間観察眼は、因果渦巻く人間ドラマの光と影を見事に照らし出している。

それでありながら、登場人物達の激烈なエモーションが、怒涛の如くスパークし、ドラマの哀歓や猥雑な空気を問答無用に捩じ伏せてしまう強靭性も、同時に併せ持っているという、原作付き漫画とはいえ、軽視出来ない一作だ。


人間の実存を問うアフォリズム『死神デース』

2021-12-21 19:03:44 | 第5章

1969年から『天才バカボン』は、掲載権が「週刊少年マガジン」、「別冊少年マガジン」といった講談社系列の雑誌から、小学館系の「週刊少年サンデー」、「DELUXE少年サンデー」等に移譲されるが、諸般の事情により、僅か半年での終了を余儀なくされる。

71年、最初のテレビアニメ化の決定とともに、「週刊ぼくらマガジン」で再び連載開始されるものの、同誌廃刊に伴い、根拠地である「週刊少年マガジン」へと帰還。その後も『バカボン』は、「別冊少年マガジン」「月刊少年マガジン」に並行連載されるなど、流浪の作品として、複雑な径路を辿ってゆく。

その間、連載中断していた時期も含め、『バカボン』の伴走作品として、講談社系の各漫画誌に発表された諸作においても、本章のスペースの許す限り、その作品世界を中心に紐解いてみたい。

『バカボン』が「サンデー」移籍中であった1970年当時、フジオ・プロ劇画部の創設に辺り、仕事面でも深い繋がりを持つようになった劇画原作者の滝沢解が原案を受け持ち、赤塚によるコミカライズで仕上げられた隠れた傑作が、アケボノコミックス『赤塚不二夫全集』、シリーズ全30巻の大トリを飾る『死神デース』(「週刊ぼくらマガジン」70年49号~71年19号)だ。

1970年代、日本の高度経済成長は、甚大な交通戦争や工場公害をもたらし、地獄では、死亡予定日を迎える前に命を断たれた人間達で溢れかえっていた。

死者による人口爆発に頭を悩ませたエンマ大王は、死亡予定台帳に記載されていない人間達を救い、無許可の死人をこれ以上地獄に入国させないよう、人間界に一人の死神を派遣させる。

その死神は、奇しくも〝死〟の英訳〝death〟との語呂合わせにもなるデースという名で、かつて人間であった彼は、頭を犬に噛まれたことで、ジステンパーを患い死んでしまったという、悲惨を絵に描いたような中年男だ。

人間の生命の救済を目的に、人間界にやって来たものの、逆に新幹線を多重追突させ、死者を余計に増やしてしまうなど、失敗ばかりを繰り返すデースに、怒り心頭のエンマ大王は、デースへの罰として、デースの年老いた両親を自宅である地獄の団地から、寒風吹き荒ぶ針の山地獄へと追いやってしまう。

デースは、両親を再び、団地に住まわすべく、沢山の人命を救出し、成績を上げようと、ガムシャラに奮闘するが、途中、ライバルの死神の邪魔も入り、その誓願は遅々として進まない。

児童向けギャグ漫画としてスタートしたシリーズでありながらも、人間関係におけるぎこちなさや孤独感、そして一抹の虚無感を禁じ得ない開き直りの陽気さといった、現実社会の中間管理職が必ずや職場や日常で感じるであろう、浮揚的な心持ちやそこはかとない悲哀が、父権失墜のイメージを重ね合わせたデースのキャラクターに照射されており、連載開始から暫くは、掲載誌の特質とはミスマッチな、淀んだ空気感が幾分か漂っていた。

そのため、「ぼくらマガジン」の中心読者である低学年層に歓迎をもって受け入れられることはなかったが、そのテーマ性は頗る重厚で、大人の鑑賞に耐え得るエピソードも少なくない。

そんな本シリーズの着目すべき要諦は、本来ならば、あらゆる死を司る、悪魔の化身たる死神というキャラクターに比して、現世にて自己の尽きぬ欲望を抱えて生きている市井の人々の方が、単なる狡猾さでは括れない、より邪悪な存在であるという、人間の実存そのものを問うアフォリズムがほのめかされている点であろう。

心の奥底で、知的ハンデを背負う我が子の死を望んでいる母親(「人を助ける死神デース」/70年50号)、高利貸しを助けたデースを袋叩きにする長屋の住民達(「悪人でも死んじゃ困るデース」/70年51号)、その特異な人体を調べるため、デースをバラバラ遺体にしようとするヤブ医者(「人間はすぐ悪い心をおこすデース」/71年4・5号)等、容赦なく酷薄な人間達が、毎回現れては、心優しきデースを失望させ、そのメンタリティーに僅かながらのトラウマを落としてゆくのだった。


戦後ナンセンス漫画を象徴する傑作にして、 崇高でグロテスクな名作中の迷作

2021-12-21 19:00:23 | 第5章

このように、様々な笑いの類型を俎上に掲げ、ナンセンスギャグという概念の底面積を広げてきた『天才バカボン』は、赤塚の天賦の質と烈々たるフロンティアスピリッツがあらゆる局面において溢れ出た、才能とエネルギーの噴出の記録でもあった。

それは、今尚後続のギャグ作家が凌駕出来ない高い壁として聳え立つ怒涛のイノベーションであり、我が国のお笑い文化史にその名を刻む、ギャグ漫画としては、前人未到の境地に辿り着いたモニュメンタルな一作でもあるのだ。 

『天才バカボン』のコミックスは、講談社KCコミックス(講談社・全22巻+別巻全3巻、69年~78年)、アケボノコミックスと合わせて約1000万部近くを売り上げた後、時を経た1994年、竹書房文庫(竹書房・全21巻、94年~96年)から出版された文庫版が230万部を刊行し、これら全集以外にも、やはり版元である講談社や実業之日本社(『天才バカボンのおやじ』)、立風書房、双葉社、ソフトガレージ、筑摩書房、光文社、小学館、集英社、秋田書店等で傑作選集が続々とリリースされ、その数215冊(21年9月現在)という驚異的な冊数を算出している。

また、一旦は企画が立ち消えとなったテレビアニメ版においても、その後、東京ムービー製作による第一作目『天才バカボン』(読売テレビ、71年9月25日~72年6月24日放映)を皮切りに、引き続き東京ムービーが製作を担当した『元祖天才バカボン』(日本テレビ、75年10月6日~77年9月26日放映)、元号が昭和から平成に変割った以降も、『平成天才バカボン』(フジテレビ、90年1月6日~90年12月29日放映)、『レレレの天才バカボン』(テレビ東京、99年10月19日~00年3月21日放映)と、キー局、系列局を切り替えながら、計四度に渡り放映された。

取り分け、「元祖」に至っては、25・7%(再放送時)という驚異的な高視聴率を弾き出すなど、その人気は非常に根強い。

無論、原典である原作版『天才バカボン』も、時代の移り変わりにも淘汰されないコンテンポラリーを確保した現代ギャグの聖典として、唯一無二の存在感を放ちながら、この先も、次世代、更にその次の世代へと読み継がれ、語り継がれてゆくことだろう。

そう、『天才バカボン』は、戦後ナンセンス漫画を象徴する国民的傑作にして、人智を越えたギャグモンスター・赤塚不二夫のパラノイア的脳内宇宙の一端が垣間見れる、崇高でグロテスクな名作中の迷作なのだ。


88年版『バカボン』に見るアーティスティックな類概念の発動 「天才AKIRA」「天才アルコール」

2021-12-21 18:59:05 | 第5章

『天才バカボン』もまた、連載終了から九年ほどの時を経て、赤塚自らのリライトによる完全オリジナルとして、『おそ松くん』と同じく復活を遂げる。

1987年から92年に掛けて連載されたこのリメイク版『バカボン』は、アニメ『平成天才バカボン』(スタジオぴえろ製作)のオンエアとのタイアップを兼ねたシリーズでもあり、「コミックボンボン」、「テレビマガジン」、「ヒーローマガジン」、「デラックスボンボン」といった講談社系児童漫画誌を発表媒体としていた。

この『バカボン』リバイバルに到る経緯については、第八章にてページを割き、詳しく記述するが、1987年、テレビ東京で、アニメ『天才バカボン』、『元祖天才バカボン』が立て続けに再放映されたことにより、子供達の間で赤塚人気が再熱。このリピート放送は赤塚にとっても、奇跡の復活劇へと至る僥倖となった。

だが、新たにシリーズ化されたこれらの『バカボン』は、これまで培われた創作のノウハウを小出しにしつつ、作品を処理してゆくルーティンワークと化したものばかりで、いずれのシリーズも、旧『バカボン』のように、奇抜なアイデアを礎とする、ナンセンスな世界を体現した作品にはなり得ていない。

とはいえ、低学年向け作品であるこれら『バカボン』とは別に、「月刊少年マガジン」で復活連載した『バカボン』では、かつての「実物大漫画」や「説明付き左手で描いた漫画」といった、アバンギャルドな実験漫画に勝るとも劣らない鮮烈な刺激を湛えており、その不条理なセンシビリティーへの深化は、偶発的とはいえ、クラシカルな赤塚漫画の世界観を超出した、アーティスティックな類概念を発動するに至った。

当時、「月刊少年マガジン」で同時連載されていた、もとはしまさひでのバイオレンス系暴走族漫画『ヤンキー烈風隊』や、昨今のエロ萌え系コミックの元祖とも言える上村純子の『いけないルナ先生』がパロディーの対象となり、それらの登場人物が作中堂々と『バカボン』ファミリーと絡み合う、ヤマなし、意味なし、落ちなし、しかし、狂乱に満ちたカーニバル性を具有する、ポップ色豊かなバラエティーショーが、複数回に渡り執筆された。

その第一回目に当たる「わしの顔がヤンキーなのだ」(88年5月号)の大まかな粗筋は次のようなものだ。

ある朝、目覚めたら、『ヤンキー烈風隊』を読み過ぎたパパの顔が、この作品の登場人物である菊華連合の岩倉猛風のスカーフェイスになっていた。

やがて、その人格も凶暴、凶悪な自我を持つそれへと変貌。遂にパパに、岩倉のキャラクターそのものが憑依し、他の『バカボン』キャラに木刀でヤキを入れて暴れ廻るという、血生臭い暴虐性が全方位に向けて放出される超現実的仮定が、ドラマの主軸となって繰り広げられるが、最後は、ルナ先生のエッチな個人授業を受けて、落ち着きを取り戻し、元のバカボンのパパの姿に戻るといった、強引な落ちで幕を引く、所謂トンデモ漫画として描かれた。

因みに、このエピソードのラストのコマで、「もとはしまさひで ヤキを入れに来るなよ。オレにはケンタウロスがついているんだ」という、赤塚のメッセージが添えられている。

赤塚の言うケンタウロスとは、和製ヘルズ・エンジェルスとでも形容すべき、横浜を根城とする伝説のバイカーチームのことで、ケンタウロスの大将と赤塚は、兄弟分の盃を交わすほど熱い交友を持っていたことでも知られている。そうした関係から、このような失笑を禁じ得ないヘタレチックな挑戦状を、ネタとして、もとはしに叩き付けたのだろう。

続編となる「キケンがあぶない街なのだ!」(88年6月号)では、フジオ・プロで上村純子を裸で待っていたところ、もとはしまさひでの奇襲を受け、ボコボコにヤキを入れられたという設定で、赤塚本人が扉ページに登場。本編には、岩倉率いる菊華連合が現れ、『バカボン』ワールドをジャックする、何とも物騒なドラマが展開される。

続く、7月号掲載の「天才AKIRA」では、当時、漫画表現の一つの到達点として、世界的規模の人気と評価を得ていた大友克洋の『AKIRA』のワールドビューを、『バカボン』ファミリーがスタンリー・キューブリックの『2001年宇宙の旅』のコンストラクションに絡めて再現する、ストレンジなパラレルワールドが創出された。

林立する超高層ビルが倒壊し、爆音をともに土煙が舞うお馴染みのシーンなどを、本家『AKIRA』にも引けを取らない緻密なタッチと壮大なスケールで完全コピーしている点は、スタッフワークとはいえ、間然するところが全くない。

トランキライザーを服用し、覚醒したレレレのおじさんが、島鉄雄の如く巨大化し、日本の伝統を失った原宿、六本木、赤坂、青山を竹箒で一掃しては、街全体を『AKIRA』の舞台となるネオ東京と同様に廃墟と化してしまう一連の流れは、幾分唐突でありながらも、生理的、情緒的高揚とは異質な、エンターテーメントに特化したカタルシスを喚起し、その脱力モードと先鋭的パロディーとの分水嶺を境界域とする笑いの匙加減は至って絶妙だ。

宙高く舞い上がるレレレのおじさんの竹ぼうきが、『美しく青きドナウ』をBGMに宇宙船へと形を変貌させるオマージュシーンも秀逸で、科学テクノロジーを媒介とする人類の進化に対し、クライシスを示唆する『AKIRA』の世界観と、人類とサイエンスの融合を新たな種の起源として捉えたキューブリックの哲学的メッセージから、同等の妥当性を導出しているところに、パロディーの次元を越えた、赤塚ならではの独創的且つコペルニクス的発想の妙が垣間見れる。因みに、ラストでは、長方形型の謎の物体・モノリスが出現。モノリスに導かれ、スペーストリップしたレレレのおじさんが、ボーマン船長と同じく、スター・チャイルド(胎児)へと転生し、地球をバックに宇宙空間を浮遊するといった、『2001年宇宙の旅』のパロディーへと切り替わる。

 元々、赤塚漫画には、『おそ松くん』にオバQ、『もーれつア太郎』にデューク東郷、『レッツラゴン』に矢吹丈等が、突如、オマージュカットとして登場したり、〝オバQ&おそ松〟のブームの際には、『ギャハハ三銃士』、『オハゲのKK太郎』といった、作家や作品の枠を越え、人気キャラクターが度々共演する合作漫画が企画されたりと、赤塚自身、作品を面白くするなら、パロディーやコラボレーションも貪欲に取り入れる機を見るに敏な、自在な作家性を有した漫画家でもあった。

だが、これらのように、別作家の絵柄を露骨に引用することによって、丸々一本、エピソードとして仕立て上げてしまったのは、少年誌においては、初めてのケースであり、そういった意味では、これらのパロディーも、新たな笑いの起爆を射程に捉えた、赤塚ならではのゲリラ的ギャグ精神の健在ぶりを示したファインワークと言えなくもないだろうか。

(『松尾馬蕉』、『にっぽん笑来ばなし』といった成人向け作品では、各々、谷岡ヤスジ、東海林さだおのタッチを、一話ずつだが、パスティッシュとして融合させたエピソードもある。)

尚、かつてパロディー漫画の第一人者を名乗り、活動していた経歴から、これらの模倣画が、長谷邦夫によるものだという見解を示す向きもあるが、この精巧な絵柄は、長谷の拙劣且つ旧態依然の筆致では、決して描くことの出来ない高水準な筆力を要求されるもので、推測するに、当時フジオ・プロのチーフアシスタントだった峰松孝好、即ち、現在の吉勝太によって描かれたのではないかと思われる。

翌8月号では、バカボンのパパが恵比寿顔だけにエビスビール、バカボンが子供だけに、ノンアルコールのバービカン、ママがサントリーのママ(生)ビール、取締りがドライな目ん玉つながりはサッポロ・ドライと、『バカボン』キャラクターが酒に置換された、驚倒の仮想的並列世界「天才アルコール」が執筆される。

弁慶の如く、ビールの千本抜きを目指す栓抜きと、エビスビールのバカボンのパパとの対決軸を中心とするダウナーな着想に展開を求め、ドラマのインテグリティそのものを解体せんとした本作は、数ある『バカボン』の実験的エピソードにおいても、殊の外高い異質性を放つ一編だ。

登場人物が全て酒という、一見支離滅裂な状況生成を織り成しながらも、そのエクスプレッションは、シュールの概念を越え、更なる前衛への視野を開陳した、シュールの形而上学と例えて然るべき超常的ナンセンスになり得ている。

また、「天才アルコール」は、キャンベルのスープ缶のポスターに代表されるアンディ・ウォーホルのポップアート同様、平坦な空間の中にも、奥行きある彩度を表出しており、漫画の本道から離反した特異な世界観を呈示しつつも、その根底には、ウィットに富んだ赤塚ならではの遊び心が注がれている。

1988年バージョンの「月刊マガジン」版『バカボン』は、その最終回もまた、ホープレス極まりない、ナンセンスのタブーさえ侵犯する、観念的背徳に結末を委ねた内容だった。

パパとママが突然離婚し、愚兄賢弟に対する日頃の劣等感からか、バカボンがハジメを刺殺。更には、パパと目ん玉つながりが拳銃で撃ち合いをし、相撃ちとともに、両者果ててしまうという、非常にデンジャラスなものだが、その殺伐したカタストロフも、赤塚ギャグが持つ、何処までの野放図なナンセンスの位相空間故に許容される、危ういバランスの上に立脚したものだ。