文化遺産としての赤塚不二夫論 今明かされる赤塚ワールドの全貌

赤塚不二夫を文化遺産として遺すべく、赤塚ワールド全般について論及したブログです。主著「赤塚不二夫大先生を読む」ほか多数。

トラウマ必至オカルト版『バカボン』 恐怖感漂うサイコパスドラマ「30年目の初顔合せなのだ」

2021-12-21 18:58:15 | 第5章

1974年、前年のオイルショックに端を発する世界的な経済混乱は、更なる物価の上昇や通貨膨張を引き起こすなど、深刻化の一途を辿り、先行き不透明な時代の渦中にあった。

また、そうした社会的フラストレーションを反映してか、ユリ・ゲラーの超能力パフォーマンスが話題を独占したほか、映画「エクソシスト」(監督/ウィリアム・フリードキン)が日本公開され、五島勉の「ノストラダムスの大予言」がベストセラーになるなど、オカルトブームが日本全土を席巻した年でもあった。

第三期連載のピリオドを飾る74~75年度に描かれた『バカボン』には、そんな如何わしき時代相に歩調を合わせた、ともすれば、読者にトラウマを植え付けかねない、怪奇趣味濃厚なエピソードも数多く描かれることになる。

この頃は、オカルトブームの影響なのか、不幸の手紙なる悪辣なジョークが全国的に蔓延し、社会問題を引き起こすことになるが、やはり『バカボン』でも、この不幸の手紙が、そのままストーリーの題材として時宜的に扱われ、恐怖感漂うサイコパスドラマへと昇華された。

「不幸のピーナッツの手紙ですのだ」(74年29号)と題されたエピソードがそれで、表題からも分かるように、本編の核となる手紙をピーナッツに差し換えているのがミソ。

ストーリーは、四八時間以内に食べたら死ぬと書かれた手紙と一緒に送られてきた不幸のピーナッツを受け取ったバカ大の後輩と、それを是が非でも食べさせようと差し迫るバカボンのパパとの激しいせめぎ合いを、画稿狭しと盛り込んだ、極めてシンプルなドタバタ風味溢れるエピソードの一つだが、最後は総毛立つ恐怖を伴ったブラッキーな結末へと収束し、読者を仰天させる。

尚、このピーナッツというキーワードから、本作品が、同年十一月に首相退陣した田中角栄のロッキード疑獄からインスパイアされて描かれたと訴える向きもあるが、トライスター販売の工作資金への領収書に記されたピーナッツ(防衛庁による早期警戒機・P3‐C(ロッキード社製)の導入疑惑に絡んだ暗号の説もある。)が流行語になるのは、ロッキード裁判の渦中にあった1976年であり、本作が発表された二年後のことであった。

赤塚には、作品を執筆するに向け、このような時代の行く末を鋭く予見する不思議な嗅覚が、潜在意識において、敏感に働くことが多々あった。

しかし、こうしたオカルティックな作品群の中でも、筆者が特別に愛着を寄せるエピソードは、悪夢的な笑いを取り入れた、超自然的な怪異譚であり、それら出色の諸作品についても、この場にて纏めて論及しておきたい。

「30年目の初顔合せなのだ」(「別冊少年マガジン」74年11月号)は、虚構と現実が未分化に具象化した紙一重のテイストが、作品の持つ不条理な位相を更に深めてゆく、エンドレスホラーの傑作。

バカボンのパパには、三〇年間、付き合っている友人がいるが、未だ一度も彼の姿を目にしたことがなく、会っても、常にその手だけしか見たことがなかった。

ある日パパは、今日こそはその正体を確認しようと、友人宅を訪れる。

彼には、妻と小学生の息子がいた。

その妻と息子もまた、人前では、手だけしか見せないのだ。

その友人や家族とは、将棋を指すのも、すき焼きをつつくのも、いつも襖越しであるため、パパはちっとも面白くない。

苛立ったパパは、彼らの顔を見たい一心で、咄嗟に襖を開けるが、隣の部屋は、裳抜けの殻だった。

だが、パパがまた襖を閉めると、再び三つの手が現れ、どんちゃん騒ぎをし出すのだ。

業を煮やしたパパは、三人が寝静まった頃合いを見計り、何と、友人宅を放火する。

パパは、燃え盛る家の窓から、助けを求める三つの手を見定めるが、結局その姿はわからぬまま、家は全焼してしまう。

そして、翌日の新聞には、火災現場から、焼死体が発見されず、三つの手の骨だけが遺されていたというニュースが報じられる。

友人とその家族は、果たして本当に存在したのか……。

謎が謎を呼ぶ、唐突で呆気ないラストも強い印象を残す一作だ。

このような摩訶不思議なシチュエーションと、ドライなハードナンセンスとの結合は、軽度な眩暈感をもたらすだけではなく、異世界のロジックを基盤とした作劇の妙故に、読む側に虚構の黙約を取り付け、超現実を現実化した日常的前提を、そのドラマの中に屹立させる役割を果たすのだ。

この他にも、パパの夢に現れた巨大な電動ノコギリが、現実世界でパパやバカボンを襲い、足や身体を切断してゆく恐怖の連鎖が、衝撃的震撼を引き起こす「夢のノコギリの大切なのだ」(74年26号)や、慌て者の神様が、イスとイヌを履き違え、イスに生命を宿してしまったことに端緒を為す珍トラブルをプロットに据えた「エクソイストの大恐怖なのだ」(74年38号)といった作品も、非現実的ファンタジーを、現実の枠組みの中に織り込み、そこから生じる意味の落差を、心地好いトワイライトへと昇華してゆく、高度なパラレル図式を持った秀作と言えるだろう。

因みに、バカ大の後輩達の見た夢が現実のものとなり、奇怪な形の自転車を拾ったり、遭遇した宇宙人と昼間から飲み歩いたりと、お伽噺のテイストを持ち込んだ導入部も秀逸な「夢のノコギリの大切なのだ」は、その後パパが悪夢の世界に翻弄されるサスペンスフルな展開を迎え、殺気立った緊張感がドラマ全体の空気を支配する中、ラストはパパがノコギリを壊し、粗末に棄てたことに全てが起因するという、因果律が落ちとして付く。

このように、パラレルな世界を往還する奇形の物語でありながらも、そのドラマトゥルギーは、ロジカルなシークエンスによって貫かれており、本作品のエピソード自体の完成度は頗る高い。

そして、これらの慄然を湛えた諸タイトルは、ナンセンスにおける様々な意匠を追求する中、暗澹たる世紀末ムードへのディアクロニシティが、新たな異化作用を誘引し、シニカルな先鋭的ギャグセンスとキュリアスなオカルト的発想が激しく共鳴し合う禍々しき『バカボン』ワールドの新境地を拓くに至った、まさに深化の系譜そのものだったと言えよう。


笑いの天才イノベーター・ 赤塚不二夫だけに許された偉大なる脱線劇

2021-12-21 18:57:45 | 第5章

このように、規格外の笑いとして異彩を放ちながらも、不完全燃焼のまま、終了を余儀なくされたアイデアもあり、これら実験的ナンセンスに限っていえば、玉石混淆の感は否めない。

とはいえ、いずれのエピソードも、超絶的インパクトを最大出力で放出するとともに、ルーティン化したあらゆるギャグの概念を、形而上的観点により、完膚なきまでに解体せしめた逆説的寓意をみなぎらせているのも、事実としてあるのだ。

かつて、赤塚漫画の熱烈な愛読者であり、自らを赤塚チルドレンと自認する漫画家の江口寿史は、当時を振り返り、次のように語る。

「本格的に赤塚先生の作品に影響されたのは『天才バカボン』の後期や『レッツラ・ゴン』で、どんどんシュールになっていくのを、びっくりして読んでました。例えば、どんどん実験していって、左手で描きましたとか、読者が怒りだしたころですが、じつはぼくも最初は怒ってたんです。それが、だんだんその面白さがわかって、それから喜んで読みました。実物大漫画には、電車の中ですごくビックリしたことを覚えています。

~中略~

後にプロになってから、ギャグを描こうとして「あ、これ、もうすでに赤塚先生がやっていたな」なんて思ったことが何度もありました。」

(『赤塚キャラは永遠に不滅です!』/『もーれつア太郎』第3巻・

竹書房文庫、94年)

露骨な手抜き漫画として、一般読者から否定的な感性で見られがちだった、これら掟破りとも言うべき試みの数々は、右記の江口の述懐からも示唆されているように、コアなファンの笑欲を満たす陽性のショックにして、後続の漫画家に多大な便宜を供するイリュージョニズムであったと言っても、過言ではないだろう。

そして、この時期展開された壮烈な逆噴射は、出版界が、ギャグ漫画界唯一無二の巨匠にして、天才的イノベーターたる赤塚のみに許した、偉大なる脱線劇でもあったのだ


出版界をパニックに陥れた山田一郎改名事件

2021-12-21 18:57:08 | 第5章

そして、翌週に掲載された「スケベ学部のエロ塚なのだ」(74年2号)では、扉ページから、パパが元気よく登場し、「今回より 赤塚不二夫は山田一郎と改名しましたのだ‼」「町であったら 山田くんとよんであげよう‼」と、読者に呼び掛ける。

そう、赤塚が次に仕掛けた読者への術策は、ペンネームを「赤塚不二夫」から「山田一郎」に改名するという、実に意表を突く、豪胆な悪戯だった。

(但し、これより一つ前の「週刊少年マガジン」1974年1号掲載の「ギャグ界の独裁者 赤塚不二夫の秘密大百科」と題された特集記事の巻末ページで、ペンネームを山田一郎に改める旨を然り気なくアナウンスしており、最後まで記事に目を通した者だけが、情報を先取り出来るという、赤塚らしい粋なファンサービスが凝らされていた。)

改名の理由に、赤塚は、漫画家は創り出された作品で勝負するのであって、名前で読まれるものではないと改めて痛感したからだと、公式では語っていたが、実際は、たまたま私用で銀行に訪れた際、凡例として、記入用紙の氏名欄に住友太郎と書かれていたのが、妙に可笑しく、そんな匿名性をギャグに特化出来ないかと思い立ったのが、改名に至ったそもそもの動機だった。

山田一郎という、敢えて平凡なペンネームに改名したのもその影響だ。

山田一郎への改名は、『バカボン』だけではなく、『レッツラゴン』、『ギャグゲリラ』等、この時、連載していた全てのタイトル(イレギュラーの読み切り等も含む。)に及び、出版業界全般に多大な激震を与えることとなる。

興に乗じた赤塚は、他の執筆者にも、山田一郎への改名を煽動するが、結局のところ、賛同者を得ることが出来ず、その波及運動は頓挫してしまう。

赤塚にしてみたら、作品に独特の節があれば、読者は誰の作品かはわかる。

だからこそ、名前に拘る意味もないという想いを、この改名に込めていたのかも知れない。

山田一郎の筆名は、1974年3月10日発売以降の全掲載作品で、再び、元の赤塚不二夫へと戻される。

その最たる理由は、何と言っても、赤塚不二夫が超ビッグネームであるがため、山田一郎では、それ以上の宣伝効果を持ち得なかったからであろう。

また、赤塚不二夫への再改名について、赤塚自身、笑い話として語っていたところでは、山田一郎時代、マンションの隣人であった暴力団関係者の情婦にチョッカイを出したことで、美人局の被害に遭ったり、週刊誌沙汰になったりと、トラブルが度重なり、姓名鑑定においても、決して運気をもたらす名前ではないと判断されたからだということも、その理由の一つに挙げている。

因みに、赤塚不二夫名義で、再出発した「二番煎じの王さまなのだ」(74年16号)の扉ページには、次のような小文が、サインペンによる手書き文字で記されている。

「今回より 山田一郎改め 赤塚不二夫になりました‼ だって 山田一郎になってからロクなことがなくてアタマにきたから‼」

また、「少年サンデー」で同時連載していた『レッツラゴン』では、山田一郎に改名していた際に降り掛かった波乱の数々を、レギュラー陣出演による再現ドラマをベースに、虚実織り混ぜて振り返った「赤塚不二夫のレッツラゴン」(74年16号)というエピソードが執筆され、この時の扉ページには、こんな一文が添えられていた。

「おれがペンネームを〝山田一郎〟にかえて三十年になるが、この間 まったくロクなことがなかった。アタマにきた‼ よって今回からまた、赤塚不二夫‼」

このエピソードでは、冒頭から、赤塚本人も登場し、前出のトラブルから、マスコミに追い掛け回された憤りを赤裸々に訴えるも、レギュラーキャラに、軽くたしなめられたりと、楽屋ネタに絡めた自虐的ギャグもふんだんに盛り込まれており、モンドムービーさながらのキッチュで扇情的なグルーヴが画稿狭しとバーストするカルトな怪編として、今尚、記憶に留めているファンは多い。


偽の最終回に向けての壮大なドッキリ企画

2021-12-21 18:56:37 | 第5章

さて、この「最終回のやけくそマンガなのだ」であるが、最終回とはいっても、最終回らしい内容では全くなく、フランス帰りのバカ大の先輩が、バカボン家に訪れ、脱力感一杯の珍問答を繰り広げる通常の『バカボン』と、何ら変わらないエピソードである。

扉ページに大きく最終回とだけ書かれた本作は、1ページ目に、ヒトコマだけ、パパの顔半分が描かれ、あとのコマは全部余白。そして、2ページ目のヒトコマ目に、「最終回となると どうもかく気がしないなあ‼ でも なんとかかかなくちゃ・・・・」との一文が添えられ、漸くドラマが始まるという、最終回ネタでさえ、悪ふざけの連続なのだ。

元々、この最終回ネタは、本作が発表される三ヶ月前、「天才バカボンの三本立てなのだ」から、既に伏線が張られており、ラストのコマで、最近の『バカボン』の下品さを指摘する五十嵐記者に対し、赤塚が「もうすぐ バカボンの連載もおわりですから ゆるしてください」と懇願するやり取りが綴られていた。

続く、「篠山紀信のしばらくなのだ」(73年38号)でも、いきなり扉ページに、「どうせ もうすぐ バカボンの連載が おわるんだ‼ すきなことを かいて やめよう‼」という、投げ遣りなメッセージが記されていたりと、偽最終回を意識した演出が、大胆にも施されていたのだ。

そして、「最終回のやけくそマンガなのだ」の本編が終わった次のページに、急報として「赤塚先生が愛読者の「くだらない やめろ‼」の声に「天才バカボン」の連載を断念!」と題されたショッキングな記事が掲載される。

記事の最後は、『バカボン』終了に際し、揺るぐことのない決意を表する赤塚に対し、「編集部はこれからも、赤塚先生に(名和註・連載続行の)説得をつづけていきます。」という一文で結ばれており、翌週も、翌々週も、そしてその次の週も『バカボン』が「マガジン」に掲載されることはなかった。

だが、最終回掲載から四号後(74年1号)に、『バカボン』は、『新天才バカボン』(但し表紙だけこのタイトル)として、奇跡(というより、予想通り)の大復活を遂げることとなる。

単行本収録時に、「またでてきたのだ天才バカボン」というサブタイトルが付けられた本作は、扉ページに、パパのパチモンのような絵が描かれ、その左横に「アレ? パパは これでよかったのかな? なにしろ 三週間も休んじゃったので かきかたをわすれちゃったよ‼ なんとなく キマラないなあー‼」といった前書きも綴られ、またしても、読者をはぐらかしてゆく。

また、「こんなに人気のある〝バカボン〟を やめるはずがないではありませんか‼」という続投の意思を読者に告げた後、最終ページで、「なお 近いうちに もしかしたら次回・・・・いや かならず次回 また なにかやりますから おどろくなよ‼ 読者をおどろかす病気にかかっている女 赤塚不二夫」と、読者に更なるカウンターを喰らわすギャグを企んでいることを匂わせて終わるのだった。


アンチさえも舌を巻く見事な切り返し 「ていねいなバカボンなのだ」  

2021-12-21 18:55:39 | 第5章

このように、1972年から73年に掛けての『バカボン』は、他の追従を許さない、大胆不敵、やりたい放題のギャグを炸裂させ、コアな赤塚ファンから圧倒的な支持をもって受け入れられるが、その一方で、何処か手抜きモードを漂わせたこれら試みの数々は、「マガジン」の平均的読者の不興を買い、赤塚のもとに沢山の抗議の手紙が舞い込むことになる。

だが、赤塚は、そうした読者からの突き上げさえも、ギャグにすり替え、更にアンチを逆撫でするかのような、舌を巻く切り返しをこの後用意する。

「ていねいなバカボンなのだ」(73年33号)は、パパが昼寝から目を覚まし、トイレに行くただそれだけの動作を、事細かに刻んで描いた赤塚漫画史上この上ない無展開性を誇るダウナーエピソードだ。

トイレに入ろうとするパパが、突然思い出したかのように、新聞紙を取りに行く。

しかし、手にした新聞は、昨日のもので、今日の新聞を漸く探し出し、再びトイレに入ろうとするが、よくよく考えたら、パパは字が読めなかった。

ここまで描くのに、既に6ページも使い、その後も、トイレットペーパーを探すついでが、キッチンにあるオデンを摘まみ喰いしたり、誰か先に用を足しているのかと勘違いし、トイレのドアをノックしたりと、パパの細分化した所作が、ヒトコマ、ヒトコマ、丁寧且つ念入りに描かれてゆく。

そして、再びトイレットペーパーを探し忘れたパパが、「わあっ 見ろ‼」「こんな漫画じゃ ウンコがもれてしまうのだ‼」と、失禁し、画面越しに怒鳴り散らすという落ちへと転がり、読者から寄せられた抗議内容すら、逆手に取った笑いへと挿げ替えてしまう。

また、当時自腹を切って刊行していた雑誌「まんが№1」(第六章にて詳しく論述)の読者コーナーに、ファンから来た抗議文をそのまま引き写し、その文面に対する異論を、赤塚自ら次のように唱えている。

「昔の作品とくらべてみると現在の作品は単純な構成でよりナンセンス度が強くなっていると思います。いりくんだストーリイがない分だけ、手を抜いたようにみえる訳です。しかし強烈なナンセンスを完成させるためには『一分のスキもないメチャメチャ』ぶりが必要なのです。

スタンダードだった「おそ松くん」時代より現在の方が、大いにキンチョウしてかいている位で、ぼくの作品も時代と共に大いに変化していこうと張り切っているのだ!」

(『愛読者に赤塚不二夫がお答えするページ』/『別冊まんが№1』

第3号、73年11月1日発行)

この文言は、最後に「過去の傑作にこだわらず現在の大失敗作でバリバリとやる覚悟。」という一文で締め括られるが、その言葉の通り、その後も赤塚の暴走は留まることを知らず、「最終回のやけくそマンガなのだ」(73年50号)では、とうとう偽の最終回まで描き出すてんごうぶりであった。