文化遺産としての赤塚不二夫論 今明かされる赤塚ワールドの全貌

赤塚不二夫を文化遺産として遺すべく、赤塚ワールド全般について論及したブログです。主著「赤塚不二夫大先生を読む」ほか多数。

「週刊少年サンデー」「週刊少年マガジン」の同時創刊

2018-08-20 20:21:28 | 第1章

皇太子明仁親王と美智子皇太子妃の結婚の儀が取り計られ、日本中がミッチーフィーバーに湧いた1959年、成婚パレードを契機に、テレビ普及率が二〇〇万台を突破するなど、日本契機は「岩戸契機」を迎え、高度経済成長の入り口へと差し掛かった。

前年、東京タワーが建設され、日本銀行が一万円札を発行。ロカビリー・ブームが到来し、王貞治、長嶋茂雄の「ON砲」の巨人軍入団が決定するといった、明るいニュースが相次ぎ、国民は景気の上昇と新たな時代の転換に酔いしれていた。

皇后のご成婚と同じ年に開局されたフジテレビでは、『おとなの漫画』の放映が開始され、ハナ肇とクレージー・キャッツの台頭が始まる。

『おとなの漫画』は、青島幸男が構成したお昼の帯番組で、時事世相を諷刺したコントを、日曜日を除き、毎日放映していた。

リズミカル且つこれまでの笑いの常識を打ち破る、パンチの効いたクレージーの怒涛のギャグ旋風は、茶の間を大いに驚かし、また快哉を叫ばせるに至った。

そして、漫画界において、エポックとなる事件が起こったのもこの年だった。

「週刊少年サンデー」(小学館)と「週刊少年マガジン」(講談社)の同時創刊である。

「サンデー」では、手塚治虫の『0マン』の連載が開始したほか、トキワ荘グループの盟友・寺田ヒロオの『スポーツマン金太郎』や藤子不二雄の『海の王子』も連載され、いずれも、創刊間もない「サンデー」の屋台骨を支える人気作となった。

遂に、漫画業界も、大量生産、大量消費によるマスマーケットの時代へと突入したのだ。

その熱気が相俟ってか、漸くギャグ漫画のフィールドも僅かながらに活性化し、いくつかの人気作が登場することになる。

板井れんたろうの『ポテト大将』、ムロタニ・ツネ象の『わんぱくター坊』、大友朗の『日の丸くん』といった作品だ。

新しく創刊した少年週刊誌では、「サンデー」に『快球Xあらわる‼』(益子かつみ)というSFユーモア漫画が唯一掲載されていたものの、読者の支持を得たとは言い難く、ギャグ漫画が受け入れられる環境は、この時まだ整ってはいなかった。

掲載誌は月刊誌だったが、少なくとも、1959年から60年の時点で、赤塚の『ナマちゃん』や『おハナちゃん』を遥かに凌駕する破壊力を備え、ギャグ漫画と呼べるタイトルも登場していた。

「日の丸」に連載されていた石ノ森章太郎の『テレビ小僧』である。

テレビスターになろうと、アヒルのガー公を引き連れ、上京した主人公・テレビ小僧が、テレビ局を舞台に狂騒的なまでの売り込み作戦を展開するという、アメリカナイズされたアグレッシブなスラップスティックコメディーで、笑いの裾野を十二分に広げた一本だったが、大きな人気をもたらすまでには至らず、短期のうちに終了してしまう。

このように、少年週刊誌が創刊されても、ギャグ漫画というジャンルは、大きく跳躍することはなく、またまだ発展途上の段階にあったのだ。


『おハナちゃん』 非日常性を喚起する奇抜な発想

2018-08-20 19:12:23 | 第1章

『おハナちゃん』(「少女クラブ お正月まんが増刊号」59年1月15日発行、「少女クラブ」60年1月号~62年3月号他)は、跳ねっ返りで、チビッ娘な女の子と若い美人のお母さんとのてんやわんやの騒ぎを主軸に展開するホームコメディーで、どういうわけか、父親は一切登場しない母子家庭という設定だ。

『ナマちゃん』では、親しみある腕白小僧の無邪気で日向的な笑いの連続が、小学生読者の憧れや日常感覚にリンクした、胸のすく痛快感を解き放していたが、非日常性を喚起する奇抜な笑いにエスカレートさせることはなかった。

しかし、『おハナちゃん』では、母子家庭という、ややもすれば、その作品総体にペーソスを漂わせがちなシチュエーションを、コマからコマへと、突飛且つアンリアルな発想を繋ぎ合わせることによって、遊び心満載な、ギャグ漫画としての特性を纏った真新しい世界観を創出するに至ったのだ。

アケボノコミックス『おハナちゃん』(曙出版『赤塚不二夫全集』第3巻、68年発行)にコンパイルされた諸作品を通読すると、この時既に、非現実と現実の論理の対立から放射される笑いの共鳴波動がビビッドに発露され、後に、飛躍を遂げるナンセンスギャグの創出因子となるサンプルが高確率で描かれていることに改めて驚かさせる。

「なき声アルバイト」(60年10月号)では、後の『天才バカボン』のルーティンギャグとして、作中頻繁に登場するバカ田大学の学生を彷彿させる、虫の鳴き声の流しとも言えるようなバイト学生が現れ、その突拍子もない行動で、おハナちゃん母子を困惑させ、「こじきはいかが?」(61年11月号)では、名刺に「こじき」の肩書きを印した、スタイリッシュなホームレスが登場し、おハナちゃんとナンセンスな禅問答とも呼べるような珍妙な遣り取りを展開する。

また、幽霊の赤ん坊を保護したことで、幽霊の家族がおハナちゃんの自宅に押し寄せて来る大騒動を描いた「おばけとなかよし」(61年9月号)や、節分の豆まきで街に紛れて来た鬼の子供とのほのぼのとした交流を綴った「オニさんをいじめないで」(62年2月号)等、幽霊や鬼といった超常的な存在がデフォルメされて、日常に紛れ込むというそのストレンジな展開は、従来の少女向け生活漫画とは、明らかに異質な特色を帯びており、その後の赤塚ワールドの展望を予感させた。

『おカズちゃん』(「たのしい五年生」60年4月号~61年3月号)は、ひたすらにドライで、食いしん坊な女の子が食べ物を巡って、男の子を向こうに廻し、熾烈なバトルを繰り広げるという、バイタルなパワーがみなぎる少女物で、後に描くことになる『ジャジャ子ちゃん』や『ヒッピーちゃん』などの毒気の強い少女系ナンセンス漫画の源泉となった作品だ。


続々登場 幼女向け連載漫画『まつげちゃん』『ハッピィちゃん』

2018-08-20 17:10:34 | 第1章

『ナマちゃん』のスタートとほぼ同時に、「ひとみ」誌上で、『まつげちゃん』(58年10月号~61年4月号)の連載も始まった。

お転婆少女、まつげちゃんとその家族のほのぼのとした日常の風景を優しい視点で切り取った少女向けユーモア漫画である。

いつも朗らかで、大張り切りのまつげちゃんと、可愛いけれど、イタズラが大好きな弟のミミタンが巻き起こす珍騒動の数々が、何とも微笑ましく切り取られている。

時折、テーマに赤塚独自のコモンセンスを織り交ぜるなど、後に『ひみつのアッコちゃん』にも通底する清澄さとハートフルな幸福感を漂わせた作品で、美人で優しい、おきゃんなまつげちゃんに人気が集中。その評判ぶりから、「ひとみ」休刊後は、「りぼん」(61年7月号~12月号)へと継続連載された。

その後も、『ナマちゃん』、『まつげちゃん』と同時進行で、「りぼん」に『ハッピィちゃん』、「なかよし」に『あらマアちゃん』といった幼年向けの少女漫画を連載する。

いずれも、年齢層に合わせた作劇がなされ、『ハッピィちゃん』(60年3月号~61年6月号)は、『まつげちゃん』よりもちょっぴり幼い女の子を主人公にした、文字通り明るくハッピィな家庭漫画として描かれた。

いつも、みんなの心に夢と希望を振り撒くハッピィちゃんは、汚れを知らない心優しき天使だ。

『あらマアちゃん』(「なかよし お正月増刊号」60年1月15日発行、「なかよし」60年8月号~61年11月号他)は、長い三つ編みが印象的なチャーミングな主人公・マアちゃんと才色兼備なお母さんとのコミカルな間合いの駆け引きが、作品に絶妙な温度を与えている好編。短いページ数の中にユーモア漫画の定型をしっかりと押さえている。

『まつげちゃん』や『ハッピィちゃん』のような美少女を主人公にした生活漫画を執筆する一方で、その後赤塚は、コント形式の笑いをふんだんに織り込んだ少女漫画も多数手掛けるようになった。