

『まさみちゃん』は、この時本誌にて好評連載中であった、わたなべまさこの『山びこ少女』をメインとした別冊付録に、石森章太郎の少女ミステリー『七羽の黒いカラス』とのカップリングで掲載された、初期赤塚少女漫画における佳作の一本である。
原作は鹿島孝二。
都会より少し外れた、観光客に人気の海辺の町に、女学生のまさみは住んでいた。
ある日、まさみは川辺りで唾を吐く男子学生・賢一に遭遇する。
一緒に連れ立つ親友のみち子は、賢一を注意し、まさみに、彼はアケミのいとこであることを伝える。
みち子は、お金持ちの令嬢であり、気取ったキャラクターであるアケミを心良く思ってはいなかった。
事実、アケミは、病弱な母親に代わって、家計を遣り繰りするために、学校の制服を着てアルバイトをしている同級生のタマ子に対し、嫌悪感を示すなど、排他的な感情を持つ一面があった。
それから、二、三日経った後、まさみは、アケミのいとこである賢一から声を掛けられ、是非読んで欲しいと手紙を渡される。
だが、その手紙は、みち子によってビリビリに破かれ、捨てられてしまう。
更に数日後、まさみは、賢一が町の美化運動に勤しんでいる姿を目の当たりにする。
最初出会った時、川辺りに唾を吐いていたような少年が何故……!?
そんな中、県の陸上競技大会が開催される。
スポーツ万能であるみち子は、予選に出場するものと、まさみをはじめ、皆に思われていたが、みち子は、エントリーを辞退する。
理由はもっと記録を伸ばしてから出場したいというもので、日本一のレコードを樹立して、その勇姿を見せたい人がいると、まさみに心情を吐露する。
その見せたい人とは、今は離れ離れで暮らしているみち子の父親ではないかと、まさみはピンとくる……。
ある日の放課後、まさみはアケミから呼び出される。
そしてこの時、賢一がまさみから無視されたことに傷付き、今は肺炎となって生死を彷徨っているというショッキングな事実を聞かされる。
みち子が破り捨てた賢一からの手紙には、この風光明媚な町も、表面的には綺麗でも、裏を廻れば、まだまだ汚れている。そんな町を皆の手でより美しい地域へと変えてゆきたい、といった内容が記されていたのだが、当のまさみは、その文面を読んでいなかったため、知る由もなかったのだ。
自責の念に駆られるまさみは、クラスメート全員に町の美化運動に協力して欲しいと呼び掛けるが……。
多感な時期を過ごす少女達の誤解と対立、そして、友情を育むまでの葛藤を、大団円を迎えるラストシーンに至るまで、心地良い安らぎと混じり気のない透明感を引き立てながら、丹念に綴った少女友情ロマン。
この時期、赤塚が描いた少女漫画には、長閑な田園を風景とした作品が多く、恐らく、トキワ荘にてアシスタントを務めたと思われる石森章太郎の『七羽の黒いカラス』に至っても、背景や効果において、叙情性に溢れた繊細な筆致を確認することが出来、ごく最初期の赤塚の仕事ぶりを知る上でも貴重な一作と言えよう。
また、原作漫画とはいえ、作中、少女達が醸し出すイノセントな空気観と深い哀切をバックボーンに捉えたそのディレクションに至っても、読む者にノーブルなエンパシーを喚起させるには十分な純度を湛えており、総合的な面において、赤塚少女漫画における進化の一端をその端々からも見て取ることが出来る。
『まさみちゃん』の原作を提供した鹿島孝二は、1905年生まれ。戦前からキャリアをスタートさせたベテランの小説家で、主に大日本雄弁会講談社を中心に活躍。1939年には、『銃後の青春』で直木三十五賞の参考候補となるなど、昭和30年代に入る頃には、大御所作家としての名声を欲しいままにしていた。
その後も、ライフワークとなる『湘南滑稽譚』で、日本作家クラブ賞、児童文化功労賞を受賞し、役職としては、日本文芸家協会常務理事、日本文芸著作権保護同盟理事等を歴任。1986年、満八十一歳で逝去するまで、常に第一線での執筆活動を続けてんいた。
因みに、本作『まさみちゃん』は、研究家が纏めたとされる詳細な鹿島孝二のビブリオグラフィにも、そのタイトルは刻まれていない。
少女雜誌の付録に収録された読み切り短編という性質上、回顧の対象外とも言うべき作品なのかも知れないが、若き日の赤塚不二夫による肌理細やかなタッチを満喫出来る点、また、鹿島ワークスとしては珍しい少女向けトラジェディーであり、総体的に及第点を越えた隠れた名作である点を鑑みても、もっと陽の目を見ても差し支えないタイトルと言えるだろう。
そんな『まさみちゃん』もまた、初期赤塚少女漫画のマスターピースにしてレア度の高い貴重な一作として、いずれは、そうした系譜のクロニクルに採録され、再評価の機運が高まることを気長に願うばかりである。