しばらく放置気味だった
オフィシャルホームページ の トップに
ここ最近のライブ動画アップの
動きをまとめました。
昔はこのホームページが
唯一の情報発信サイトだったけど
その後ブログを始め
今は各SNSもあるので
つい遅れてしまったりします。
これまでの活動の履歴や
ソロ、ユニット各CD情報もここに
まどめてあるので良かったらご覧下さい。
しばらく放置気味だった
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これまでの活動の履歴や
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引っ越し前日に見た夕暮れが
綺麗だったので動画を撮りました。
X(旧Twitter)にアップしたので
貼っておきます。
街半分が夕陽を浴びて美しい。
夜景も撮っているので
また次の機会に。
7年間ありがとう。
今日が最後のマンションからの展望風景
— ケルティックハープ 坂上真清 (@mssbunting) January 18, 2024
~夕陽に染まりゆく荻窪~#ケルト #ケルティックハープ #アイリッシュハープ #アイルランド pic.twitter.com/k9NCh0elAX
前のブログで夕暮れ時の写真も
撮っておけば良かったと書いたら
その願いが通じたのか
翌日に美しい風景を見せてくれた。
マンション最上階11階からの夕暮れ。
これまで見た中で1番ではないけど
とても綺麗だった。
7年の間住んでいる時は
特に気にしていなかったのに
いざ離れるとなると惜しむ様に
ここ数日毎日空を見る様になった。
ずっと当たり前に思っていたものが
実はそうではないと気づくのは
いつも何かが終わる時だ。
もうすぐお別れとなる
7年間暮らした荻窪の
マンション11階からの夜景。
左端のてっぺんが青い光の塔は
東京スカイツリー、
真ん中は東京都庁、
右端の白っぽい塔は東京タワー、
実際に見るとこの写真の何倍も
綺麗なんだけど 少しでも伝われば。
高い建物が無く空が大きく見えるので
過去何度か夕暮れ時に
雲がオレンジ色に染まって
信じられない位見事な風景に
遭遇した事もあったなぁ。
写真撮っておけば良かった、、
引っ越しした最初の頃は
毎日眺めていた様な気がする。
痛ましいニュースが続く
三が日だけど
今年こそいい年になりますように。
おそらく日本に最初に
やってきたロレインであり
30年来の付き合いになる
友とのご挨拶を
10月29日(日)開催の
音系・メディアミックス同人即売会
「M3」にオフィシャルネットショッブ
で参加します。
今はライブをやっていないため
新譜 蒼を奏でる の手売りする機会を
作りたかったのが理由です。
勿論他のCDも持っていくので
良かったら覗きにいらして下さい。
お待ちしています
東京流通センター(TRC)第一展示場
10時半開場
公式URL
https://www.m3net.jp/attendance/
このたび新しく自分の音楽作品を
取り扱うネットショップ
Celtic Harp Market が出来ました。
長年音楽活動をしていると
過去の自分の作品の入手方法も
色々と散らばってしまうので、
コンピレーション作品やゲスト参加を除く
ソロとユニットの音源を一括管理出来る
プラットフォームみたいな場所の
必然性を感じていました。
例えば現在はレコード会社のHP以外での
入手が難しい3rdソロ ケルティックサクセション
CDも配信も無い状態である
1stソロ クラルサッハ など それぞれ
形態は違いますが入手可能になります。
また何故か高値を呼んでしまっている
ムジカハンドリオン もこの秋 2023 Mix
としてダウンロード配信を予定しています。
ダウンロードに関しては1曲単位から出来ますので
良かったらのぞきにいらして下さい。
是非御ひいきに♪
よろしくお願いします。
以前 こちら でお知らせした
音楽で旅に出よう のサイト。
今度そこで紹介されている
ミュージシャンのインタビューを
「旅するライナーノーツ」というタイトルで
公開する企画がスタートしました。
この企画の趣旨は
その音楽家の旅の思い出を紹介CDに
乗せて話してもらうというもので
一昨日に自分のインタビューが
アップされました。
28年前に初めてアイルランドに
行った時の事を中心に
サイトで紹介されたハンドリオンの
森のサーカス夜奏会 収録曲に
ついての話や何故元々アイリッシュを
やっていた音楽活動が段々と
オリジナル曲へシフトしたのかなど、
そして現在制作中の4枚目のソロCDの事も
少し喋っています。
このアイルランド旅行はそもそも
いくつかの偶然が重なった結果
ロバの音楽座の人達と一緒に行ったもので
過去にここでも紹介した
マットモロイのお店で演奏した
こちら の思い出など
色んなことがあった旅でした。
勿論その全部という訳には
いかなかったけれど
それでも自分の言葉で
思い出しながら喋っています。
他にも旅の大きな目的の1だった
O'Carolanの墓参りや森のサーカス夜奏会
の収録曲への想いなど是非皆さんにも
聴いてもらえたらと思います。
旅するライナーノーツ #5
「旅と放浪とサーカス、そしてオキャロラン」
Apple Podcast または
Spotify で聴くことが出来ます。
今日10月21日はチーフタンズの
ハーパーだったデレクベルの誕生日。
ムジカハンドリオン発売日の
4日前17日は18回目の命日でした。
上の写真はアイルランド大使公邸レセプションでの
ベルさんとの2ショット。
(ベルさん目をとじてて残念!、笑)
この暗い写真は渋谷のコンサートの
アンコールでご一緒させてもらった時の楽屋。
自分のイブハープを突然弾き始めたベルさんを
慌てて撮ったらフラッシュが出ず失敗、、
すみませんもう1回弾いて下さい!
とはさすがに言える訳も無く 😓
デレクベルはハープの先生がいない自分にとって
最初の頃レコードを聴いて
色々勉強をした心の師匠みたいな存在でした。
(ちなみにもう1人はクラナドのモイラ)
彼が亡くなった時に
自分にとってのチータンズは終わりました。
そして世界で初めてO'Carolan集の
レコードを作った人でもあり
自分が オキャロランの世界 という
CDを作ったのも勿論ベルさんの影響。
また初めて生で見たアイルランドの
演奏家がチーフタンズ初来日の時で
その貴重な動画がアップされています。
細野晴臣プロデュースのイベントで
最初にアフリカのグループ
続けてチーフタンズだったけど
彼らの時に急に会場が盛り上がり
ほとんどの客はチーフタンズ目当てでした。
斜め後ろの通路で壁に寄りかかりながら
細野さんが腕組みをして
聴いていたのを覚えています。
後頭部映っているかも。
Twitterで続けている "ケルト音楽ファンに
聴いて欲しい女性ボーカル" で
先日オランダの伝説のフォークグループ キメラ を
取り上げた繋がりとして
10年前にオランダのハープ雑誌から受けた
インタビュー内容を書いた
過去のブログを改めて紹介します。
オランダの音楽ライターで
当時発売していた自分CD
とても気に入ってくれた人がいて
これ以前にも別の雑誌のCD紹介コーナーに
載せてくれた人から
取材の申し込みがあり実現しました。
詳しくは本文にも書いています。
ハープを弾く人たちの読者が多いという事で
細かい部分まで質問があり
ハープを始めたきっかけやその頃の
練習方法、曲作りに関してなど答えています。
時間も経っているので今は
多少状況変化している所もありますが
全体的にはあまり変わりはありません。
但し所有していると答えた
ダスティーストリングス26弦は手放しました。
宜しかったらどうぞ。
初代ミムラ姉さんの声を担当した
荘司美代子さんが亡くなられた。
以前 音楽を担当した事のある
東京演劇アンサンブルに
在籍している俳優という繋がりもあって
1度ライブにいらしていただき
その時にミムラ姉さんの曲
"ブルーベリーポルスカ" が入っている
ハンドリオンの 森のサーカス夜奏会
のCDをご本人にプレゼントしたのが
大きな思い出。
上の写真はその時のものです。
演奏後に色々とお話しを
させていただいた中で
スナフキンの曲 ワルツフォースナフ
が好きと言っていただいたり
少し前に亡くなった
スナフキンの声を担当した
西本裕行さんの事を
天使みたいな人だったと
言っていたのも忘れられない。
心よりご冥福をお祈りします。
追悼の意味を込めてミムラ姉さんの曲
「ブルーベリーポルスカ」レコ発ライブから。
今日3月26日は今年生誕250年を迎える
Beethoven の命日という事で
生誕350年の O'Carolan とは
丁度100歳違いで命日も1日違いです。
あまり知られていませんが
実は Beethoven は
スコットランド楽譜出版社
George Thomson の依頼で
179曲ものアイルランドや
スコットランド民謡の編曲をしていて
その中には O'Carolan の曲も
含まれていたという事。
Beethoven が Thomson へ
送った手紙の中で
O'Carolan の事をとても
アイルランド的であると称賛しています。
またもしヨーロッパでの訓練を受けていれば
最も偉大な作曲家の一人になれたとも
言っていたと伝えられていますが
それはあくまでクラシック的な発想で
個人的には訓練を受けないで
正解だったと感じます。
いい意味で我流だからこそ
他に例を見ないユニークな
楽曲が残された訳なので。
でも生涯1度もアイルランドから
出なかった盲目の吟遊詩人の名前を
100年後のドイツの Beethoven が
知っていたという事を考えると
2人の誕生と死の因縁めいた
不思議な偶然も興味深く思えてきます。
今日3月25日は今年生誕350年迎える
アイルランドの盲目のハーパーで
吟遊詩人 O'Carolan の命日です。
妻に先立たれ死期を悟った彼は
若い時に父親と一緒に働き、
天然痘で失明後はハープを学ばせてもらい
吟遊詩人として送り出してくれた
McDermott Roe 夫人の家を訪れ
そこで多くの感謝の言葉と共に亡くなりました。
有名になった後も生涯彼女に対しての
恩を感じていた彼は
タイトルに McDermott の名が付く曲を
現在確認出来るだけでも10曲残していて
それらはすべてその家族の誰かに
捧げられています。
(同じ姓が付くタイトルとしては最多)
死の直前奇跡的に4日間意識が戻り
ハープを手に取って弾いた(歌った?)のが
Carolan's Farewell to Music と言われています。
ただこれには諸説あり他には
最後に飲んだお気に入りの
杯(ウィスキー?)にまつわる Carolan's Cup、
それを運んできた執事の William Flynn のための
O'Flinn という話も伝わっています。
実はこういう類いのエピソードは
O'Carolan の伝記によく出てくるものですが
譜面になっている訳でもなく
録音も出来なかった時代にそれが
どうやって残され伝わったのかいつも疑問です。
その場1回限りの演奏では聴いてる人は
詞と曲をすべてを覚えられないだろうし、
誰か採譜でもしてない限り
無理じゃないかと思います。
1か所聴き取れなかったので
もう1回お願いします!
なんてまさか言えないだろうし
謎は多いですね (-.-?
彼の遺体は最高のスタイルで
レイアウトされ (ちょっと見てみたい!)
別れの宴は数日間行われたそうです。
彼の死のニュースは全国に広まり葬儀には
アイルランド中からハープ奏者を含む
多くの人が彼の死を惜しんで
押し寄せたと言われています。
この Carolan's Farewell to Music は
沢山の動画がアップされていますが、
まるで O'Carolan 自身の演奏を
聴いている様な錯覚を覚える
Gráinne Yeats の金属弦ハープのシンプルで
コードを付け過ぎない演奏が好きです。
彼女は本来はガット弦ハープ奏者ですが
クラルサッハ(金属弦ハープ)の歴史を研究し
古代から伝わるこの伝統的な
楽器を復活させ記録した
最初のプロのミュージシャンの1人。
サリーガーデンの詞を
書いたあの有名な詩人
W・B・イェイツの息子の
奥方でもあった人です。
残念ながら2013年に亡くなりました。R.I.P.
今年はアイルランドの最
高名な盲目のハーパーで
作曲家兼詩人の O'Carolan 生誕350周年。
ちょうど100歳違いのベートーヴェン生誕250周年を
祝うイベントは世界中で沢山あると思うので
多少なりともアイリッシュや
ハープに携わっている人は
是非そういう記念の年だという事も
知っておいてもらえたら嬉しいです。
今の演奏家は多分400周年は難しいだろうし
現役のタイミングとこの機会が
重なった事に感謝しつつ
今年はすべてのライブで彼の曲を
1曲以上は演奏出来たらと思います。
上の画像はO'Carolan生誕の地
Co, MeathのNobber にある
アイルランドで2つめの像。
もう1つは彼の家があった
Co. Leitrim の Mohill にあって
ここはアイルランドに行った時の
2ショットがあります (^^♪
またNobberには彼の名前からとった
O'Carolan College も創立されていて
残念ながらハープ科は無いみたいですが
なんかすごい、偉いなぁ、、、
あと時々 O'Carolan はいつ頃の人ですか?
という質問を受ける事があって
そういう時には丁度日本で
赤穂浪士の討ち入りがあった頃です。
と答えるんですが
実はO'Carolanは赤穂浪士の
最も有名で剣客だった堀部安兵衛と同い年。
江戸が討ち入り事件で
大騒ぎしていた時に地球の裏側では
O'Carolanがハープを
持って旅をしていたんですね。
ちなみにあの大石倉之助は
O'Carolanより11歳年上ですし
四十七士の中には中には他にも
数名同じ1670年生まれの人がいます。
彼らは皆若くして死んでしまいますが
何か不思議な感じです。
年末によく放送される
忠臣蔵のドラマを見ながら
この時アイルランドではO'Carolanさんが、、
なんて想像するのも楽しいので是非!