先日のインテグラル理論実践(integral life practice)の講座レポート書きます。
日本ホリスティック医学協会 ホリスティックライフスタイルネットワーク主催
インテグラル理論実践 シャドー編
講師:岸原千雅子氏(アルケミア代表、臨床心理士)、鈴木規夫(インテグラルジャパン代表)
【岸原氏レクチャー】
シャドー編から。「投影」とは影を投げるということ。人間関係において私たちはお互いに影を投げまくっている。影とは自分の一部であるにもかかわらず切り離されたもの。相手に投げても良いが、それを取り戻していくプロセスを経ることが大事。
シャドーは関係性の中でうごめく。自分では気づきにくいため関係性の中でのワークが必要。シャドーとはダースベーダ―のような影の存在で恐ろしくもあるが、実は可能性の宝庫である。自分の影を引き戻し、一度「同一化」した上で、手放す「脱同一化」のプロセスが大事。
ウィルバーは、プレパーソナルとトランスパーソナルの混同を問題視している。発達段階として「プレパーソナル」→「パーソナル」→「トランスパーソナル」という段階を経るが正常。パーソナルな状態とは、「私」「I」をしっかりと確立すること。日本人はバウンダリが弱いのが問題。
前(プレ)合理性→合理性→超(トランス)合理性。妄想イメージ→他者と共有できるイメージ→ビジョン体験。これらのプレとトランスがしばしば混同され、非合理的なものに二つある。前合理的なものと超合理的なもの。それが、いずれもスピリチュアルなものと混同されがち。
【鈴木氏・岸原氏の対話】
●瞑想とシャドーワークの違い
瞑想はただ静かに起きていることを見る。detachedな感じ。シャドーワークは、そのモヤモヤしたところに入っていく。
瞑想だけやっていてもシャドーワークの代わりにはならない。
● 組織のシャドー
組織ではカットオフされたロール(役割)が、ゴーストロールで現れたり、特定の人が負う場合がある。
●シャドーは「ごみ」と思っているかもしれないが、リサイクルできる。
●認知構造の発達がある程度の段階に達していないと、1人でシャドーワークするのは難しい。サポーターとしてセラピストなどが必要。
しかし、シャドーワークは一生必要ではないか。
【Anjuの感想】
参加者からの質問「私は主人にイラッとすることがあるのですが、それは自分の怒りを投影しているからでしょうか?」、講師の答え「まず、私は怒っているという自己認識が大事。怒ってもいいんですよ」。これが日本人のバウンダリーの弱さの象徴的な質問だと思いました。
講師の方はプロセスワーカーでもありますが、公平性を考え、遠慮されたのだと思いますが、あまりプロセスワークには言及せず臨床心理全般的な視点で話してくださいました。個人的にはプロセスワークの概念を使った方がシャドーについては良くわかるんじゃないかなと思った。
あまり、他の手法を知らないのだけれど、震災後に福島でプロセスワークの考え方に基づいた対話を3年以上やっていて、これは優れたシャドーワークだなと思うのです。
シャドーについては、もっと専門的なお話がありましたが、簡単にポイントだけまとめました。
インテグラル理論実践編として、先月はスピリット編があり、そこではマインドフルネス瞑想をとりあげました。
スピリチュアルな実践として瞑想は代表的なものであり、やり方も、呼吸や身体感覚を見てリラクセーションを目的とする瞑想から、ビジュアライズする瞑想、高次のものとつながる瞑想など、さまざまな方法があります。
しかし、瞑想や座禅だけやって、シャドーへの取り組みを行わないと、プレパーソナル状態のまま、見えないものを妄想的にとらえてしまう危険性があります。見えないものをキャッチしても、シャドーが邪魔をしてゆがんだ受け取り方になってしまうという事でしょうか。
シャドーワークは一生必要だと講師の方も言っていました。スピリチュアルな取り組みをしていても、シャドーへの取り組みは自覚的に行う必要があります。個人的な取り組みならまだしも、自分がセラピストやヒーラーになった時に、ゆがんだものをクライアントに投影することになってしまいます。それは、その人の「魂の計画」に対する害悪になってしまうと思うのです。
やはり、ボディ、マインド、スピリット、シャドーのそれぞれのプラクティスがバランスよく必要ってことですね。
日本ホリスティック医学協会 ホリスティックライフスタイルネットワーク主催
インテグラル理論実践 シャドー編
講師:岸原千雅子氏(アルケミア代表、臨床心理士)、鈴木規夫(インテグラルジャパン代表)
【岸原氏レクチャー】
シャドー編から。「投影」とは影を投げるということ。人間関係において私たちはお互いに影を投げまくっている。影とは自分の一部であるにもかかわらず切り離されたもの。相手に投げても良いが、それを取り戻していくプロセスを経ることが大事。
シャドーは関係性の中でうごめく。自分では気づきにくいため関係性の中でのワークが必要。シャドーとはダースベーダ―のような影の存在で恐ろしくもあるが、実は可能性の宝庫である。自分の影を引き戻し、一度「同一化」した上で、手放す「脱同一化」のプロセスが大事。
ウィルバーは、プレパーソナルとトランスパーソナルの混同を問題視している。発達段階として「プレパーソナル」→「パーソナル」→「トランスパーソナル」という段階を経るが正常。パーソナルな状態とは、「私」「I」をしっかりと確立すること。日本人はバウンダリが弱いのが問題。
前(プレ)合理性→合理性→超(トランス)合理性。妄想イメージ→他者と共有できるイメージ→ビジョン体験。これらのプレとトランスがしばしば混同され、非合理的なものに二つある。前合理的なものと超合理的なもの。それが、いずれもスピリチュアルなものと混同されがち。
【鈴木氏・岸原氏の対話】
●瞑想とシャドーワークの違い
瞑想はただ静かに起きていることを見る。detachedな感じ。シャドーワークは、そのモヤモヤしたところに入っていく。
瞑想だけやっていてもシャドーワークの代わりにはならない。
● 組織のシャドー
組織ではカットオフされたロール(役割)が、ゴーストロールで現れたり、特定の人が負う場合がある。
●シャドーは「ごみ」と思っているかもしれないが、リサイクルできる。
●認知構造の発達がある程度の段階に達していないと、1人でシャドーワークするのは難しい。サポーターとしてセラピストなどが必要。
しかし、シャドーワークは一生必要ではないか。
【Anjuの感想】
参加者からの質問「私は主人にイラッとすることがあるのですが、それは自分の怒りを投影しているからでしょうか?」、講師の答え「まず、私は怒っているという自己認識が大事。怒ってもいいんですよ」。これが日本人のバウンダリーの弱さの象徴的な質問だと思いました。
講師の方はプロセスワーカーでもありますが、公平性を考え、遠慮されたのだと思いますが、あまりプロセスワークには言及せず臨床心理全般的な視点で話してくださいました。個人的にはプロセスワークの概念を使った方がシャドーについては良くわかるんじゃないかなと思った。
あまり、他の手法を知らないのだけれど、震災後に福島でプロセスワークの考え方に基づいた対話を3年以上やっていて、これは優れたシャドーワークだなと思うのです。
シャドーについては、もっと専門的なお話がありましたが、簡単にポイントだけまとめました。
インテグラル理論実践編として、先月はスピリット編があり、そこではマインドフルネス瞑想をとりあげました。
スピリチュアルな実践として瞑想は代表的なものであり、やり方も、呼吸や身体感覚を見てリラクセーションを目的とする瞑想から、ビジュアライズする瞑想、高次のものとつながる瞑想など、さまざまな方法があります。
しかし、瞑想や座禅だけやって、シャドーへの取り組みを行わないと、プレパーソナル状態のまま、見えないものを妄想的にとらえてしまう危険性があります。見えないものをキャッチしても、シャドーが邪魔をしてゆがんだ受け取り方になってしまうという事でしょうか。
シャドーワークは一生必要だと講師の方も言っていました。スピリチュアルな取り組みをしていても、シャドーへの取り組みは自覚的に行う必要があります。個人的な取り組みならまだしも、自分がセラピストやヒーラーになった時に、ゆがんだものをクライアントに投影することになってしまいます。それは、その人の「魂の計画」に対する害悪になってしまうと思うのです。
やはり、ボディ、マインド、スピリット、シャドーのそれぞれのプラクティスがバランスよく必要ってことですね。