311の原発事故以来、福島は、フクシマ、もしくは、Fukushima と呼ばれるようになりました。
私は、福島県福島市で生まれ、その後、関東で人生の半分ぐらいを過ごしたけれど、
一昨年、福島県の裏磐梯に引っ越してきました。
今でも、母や弟達は福島市に住んでいます。
この記事の本題は、なぜ、私がワークショップや合宿のタイトルに、
「福島」でも「ふくしま」でもなく、カタカナの「フクシマ」を使うのかを書きたいと思います。
なぜなら、ツイッターなどで、カタカナの「フクシマ」と書かれると、
不快な気分、悲しい気分になるという意見を聞いて、
今度行う合宿のファシリテーターとも、そのあたりの意見を交わしたので、
私なりに思っている事を書きとめておこうと思います。
●福島ってどこ?
「福島」といっても、「福島県」「福島市」「福島原発」と、
使う人によっていろんな場所を指しているのではないかと思います。
福島県は東西に広い県で、浜通り、中通り、会津地方と天気予報も分かれている。
気候風土も文化も違ったりします。
「福島市」は中通り、「福島原発」は浜通りにあります。
●「フクシマ」という言葉を不快に思う人々
私が見聞きした範囲でしかわからないけれど、
「フクシマ」って呼ばれるのが嫌という意見としては、
「実際に、福島県でも福島市でも、そこに生活している自分達がいる。
そして、まだ、原発事故は進行中、終わったわけではないから、
ノーモア・ヒロシマとかノーモア・ナガサキみたいに、
過去の事として位置づけられるのが嫌だ」
そんな感じの意見でした。もっと他にもあるかもしれないですが、
不快に思う方たちの気持ちも、なんとなく分かります。
確かに、福島は危ないからみんな避難しろ!とか、
そこに住んでるなんて信じられないとか、
放射能入りの野菜作りやがって福島県人アホか?とか
いわれると、私も悲しくなります。
でも、「フクシマ」とカタカナで表記する事に関しては、
私は抵抗が無いし、むしろ、そうした自覚を福島の住民であると
自覚している人たちは持ってもいいのではないかと思っています。
福島県内でも住む場所によってその感覚は違うのではないかと思いますが、
私自身、福島市で生まれ育ち、母や弟たちがそこに住み続けていて、
自分も少なからず、放射能の影響がある場所に住んでいる立場として、
そして、原発の直接的な被災者の声も聴き、福島市や郡山市の人たちの声も聴いた上で、
私自身はそう思っています。
●なぜ、「フクシマ」である自覚が必要なのか?
「フクシマ」という言葉は、前出の、ヒロシマ、ナガサキに鑑みて、
使われている言葉だと思います。
その中には、世界的に知られてしまったことや、
この事態を繰り返してはならないという思いや、
場合によっては差別的なニュアンスも含まれているかもしれません。
「フクシマ」という言葉が最終的に、どういうものになっていくのか?
それも現在進行形だと思うし、「フクシマ」という言葉自体が、
今まさにいろいろに変化しながら生きている言葉なのではないかと思います。
9月末に開催する対話合宿のミーティングを何度か行っていますが、
私たち主催者とファシリテーターチームの中で、
フクシマ対話合宿は、福島のためだけではなく、福島県外にいる人のためでもある、
むしろ、福島の実情を把握しきれず、しかし、世の中のおかしさに気づき、何かしなくては、
と感じている人たちにとって、それを感じ、考えるための時間になるのではないか、
そんなイメージが浮かんできました。
フクシマで起きていることは、単なる放射能の問題だけではなく、
日本人が見て見ぬ振りをしてきた、もしくは、無意識的に見えないところに追いやってきた
あらゆることが、噴出していると私たちは感じています。まさに、日本のホットスポットなのです。
それと対峙せずして、何がどうなっていくのかを、
外側で勝手に起きている力に任せていいのかな?
なんか、気持ち悪くねぇ?
っていうのが、私の感覚です。
私たちが行きたいところに行くために、
ホットスポットのエネルギーを強く感じ、
自分自身や世界の変化につなげていくためには、
福島に住む人も、福島の外にいる人も、
フクシマは今、歴史の流れの中でそこにある、
ということを感じて、それを自覚的に生きる必要があると思うのです。
どういう言葉を使うか、というのも無意識的だったり、感覚的なことなので、
うまく言語化できているかわからないけれど、
そんなわけで、私は「フクシマ」という言葉をあえて使っています。
「フクシマ」を自覚的に生きる、とか、
まあ、そいういうのって、疲れる事もあるけど。
そんな時は、ウクレレ弾きながら天才バカボンのテーマを唄ったりします♪

●おまけ…シャーマンズボディ
対話合宿の課題図書(?)でもないけれど、最近『シャーマンズボディ』と『田中正造の生涯』を読書中。
ツイッターにいくつか書きましたが、シャーマンズボディの中には、
私がホットスポット・フクシマで生きるためのヒントが満載な感じがしました。
2日間で読みきってしまった。
シャーマン修行(?)は今までいろいろやってきましたが、ここに来て、良いタイミングで出合った本です。
対話合宿のスタッフの1人が、こんな風に言ったのも、なんか面白かった。
「県外に行って福島から来ました、っていうと、みんな複雑な顔をするんだよね。
福島から遠くに行けば行くほど、そういう反応をするんだ。でも、最近はそれを楽しめるようになってきた」
っていうあなたは素敵です。888888。
『田中正造の生涯』は足尾銅山鉱毒事件で民衆の側について活動してきた政治家・田中正造のお話し。
淡々としているので、なかなか読み勧められず、まだ読書中。
フクシマ対話合宿~絶望の淵へ降りていこう。希望の光を見つけるために~(9月24日~25日開催)
私は、福島県福島市で生まれ、その後、関東で人生の半分ぐらいを過ごしたけれど、
一昨年、福島県の裏磐梯に引っ越してきました。
今でも、母や弟達は福島市に住んでいます。
この記事の本題は、なぜ、私がワークショップや合宿のタイトルに、
「福島」でも「ふくしま」でもなく、カタカナの「フクシマ」を使うのかを書きたいと思います。
なぜなら、ツイッターなどで、カタカナの「フクシマ」と書かれると、
不快な気分、悲しい気分になるという意見を聞いて、
今度行う合宿のファシリテーターとも、そのあたりの意見を交わしたので、
私なりに思っている事を書きとめておこうと思います。
●福島ってどこ?
「福島」といっても、「福島県」「福島市」「福島原発」と、
使う人によっていろんな場所を指しているのではないかと思います。
福島県は東西に広い県で、浜通り、中通り、会津地方と天気予報も分かれている。
気候風土も文化も違ったりします。
「福島市」は中通り、「福島原発」は浜通りにあります。
●「フクシマ」という言葉を不快に思う人々
私が見聞きした範囲でしかわからないけれど、
「フクシマ」って呼ばれるのが嫌という意見としては、
「実際に、福島県でも福島市でも、そこに生活している自分達がいる。
そして、まだ、原発事故は進行中、終わったわけではないから、
ノーモア・ヒロシマとかノーモア・ナガサキみたいに、
過去の事として位置づけられるのが嫌だ」
そんな感じの意見でした。もっと他にもあるかもしれないですが、
不快に思う方たちの気持ちも、なんとなく分かります。
確かに、福島は危ないからみんな避難しろ!とか、
そこに住んでるなんて信じられないとか、
放射能入りの野菜作りやがって福島県人アホか?とか
いわれると、私も悲しくなります。
でも、「フクシマ」とカタカナで表記する事に関しては、
私は抵抗が無いし、むしろ、そうした自覚を福島の住民であると
自覚している人たちは持ってもいいのではないかと思っています。
福島県内でも住む場所によってその感覚は違うのではないかと思いますが、
私自身、福島市で生まれ育ち、母や弟たちがそこに住み続けていて、
自分も少なからず、放射能の影響がある場所に住んでいる立場として、
そして、原発の直接的な被災者の声も聴き、福島市や郡山市の人たちの声も聴いた上で、
私自身はそう思っています。
●なぜ、「フクシマ」である自覚が必要なのか?
「フクシマ」という言葉は、前出の、ヒロシマ、ナガサキに鑑みて、
使われている言葉だと思います。
その中には、世界的に知られてしまったことや、
この事態を繰り返してはならないという思いや、
場合によっては差別的なニュアンスも含まれているかもしれません。
「フクシマ」という言葉が最終的に、どういうものになっていくのか?
それも現在進行形だと思うし、「フクシマ」という言葉自体が、
今まさにいろいろに変化しながら生きている言葉なのではないかと思います。
9月末に開催する対話合宿のミーティングを何度か行っていますが、
私たち主催者とファシリテーターチームの中で、
フクシマ対話合宿は、福島のためだけではなく、福島県外にいる人のためでもある、
むしろ、福島の実情を把握しきれず、しかし、世の中のおかしさに気づき、何かしなくては、
と感じている人たちにとって、それを感じ、考えるための時間になるのではないか、
そんなイメージが浮かんできました。
フクシマで起きていることは、単なる放射能の問題だけではなく、
日本人が見て見ぬ振りをしてきた、もしくは、無意識的に見えないところに追いやってきた
あらゆることが、噴出していると私たちは感じています。まさに、日本のホットスポットなのです。
それと対峙せずして、何がどうなっていくのかを、
外側で勝手に起きている力に任せていいのかな?
なんか、気持ち悪くねぇ?
っていうのが、私の感覚です。
私たちが行きたいところに行くために、
ホットスポットのエネルギーを強く感じ、
自分自身や世界の変化につなげていくためには、
福島に住む人も、福島の外にいる人も、
フクシマは今、歴史の流れの中でそこにある、
ということを感じて、それを自覚的に生きる必要があると思うのです。
どういう言葉を使うか、というのも無意識的だったり、感覚的なことなので、
うまく言語化できているかわからないけれど、
そんなわけで、私は「フクシマ」という言葉をあえて使っています。
「フクシマ」を自覚的に生きる、とか、
まあ、そいういうのって、疲れる事もあるけど。
そんな時は、ウクレレ弾きながら天才バカボンのテーマを唄ったりします♪

●おまけ…シャーマンズボディ
対話合宿の課題図書(?)でもないけれど、最近『シャーマンズボディ』と『田中正造の生涯』を読書中。
ツイッターにいくつか書きましたが、シャーマンズボディの中には、
私がホットスポット・フクシマで生きるためのヒントが満載な感じがしました。
2日間で読みきってしまった。
シャーマン修行(?)は今までいろいろやってきましたが、ここに来て、良いタイミングで出合った本です。
対話合宿のスタッフの1人が、こんな風に言ったのも、なんか面白かった。
「県外に行って福島から来ました、っていうと、みんな複雑な顔をするんだよね。
福島から遠くに行けば行くほど、そういう反応をするんだ。でも、最近はそれを楽しめるようになってきた」
っていうあなたは素敵です。888888。
『田中正造の生涯』は足尾銅山鉱毒事件で民衆の側について活動してきた政治家・田中正造のお話し。
淡々としているので、なかなか読み勧められず、まだ読書中。
![]() | シャーマンズボディ―心身の健康・人間関係・コミュニティを変容させる新しいシャーマニズム |
クリエーター情報なし | |
コスモスライブラリー |
![]() | 田中正造の生涯 (1976年) (講談社現代新書) |
クリエーター情報なし | |
講談社 |
フクシマ対話合宿~絶望の淵へ降りていこう。希望の光を見つけるために~(9月24日~25日開催)
猫ちゃんのくつろぎ写真がww
(長文失礼します)
> 福島県内でも住む場所によってその感覚は違うのではないかと思いますが、
「私達は普通に暮らしてるのにねぇ」会津地方に住んでいて周りから聞いた言葉で、ここの多くの人達の心情を一番良く表してる言葉はこれかな、と。
311も、福島新潟豪雨も他人事で悠長な態度取る人を見るにつけ、この辺も一回
痛い目見た方が目ぇ覚めるんじゃないか同じ福島県の人達がこんなに苦しんでるのに!と憤り感じたり
放射能問題も周りに比べれば危機意識のかなり強い、そんな自分の根底にも「私達は普通に暮らしてるのに」そういう想いはたぶん少なからずあって。
そういう自分に、カタカナの「フクシマ」と書かれて傷つくという中通り・浜通りの方達の気持ちを本当に察することはきっと出来ない。
フクシマと呼ばれちゃうんだよね、ってあまり抵抗なく受容出来るのも、たぶん会津の(戊辰戦争以来)歴史的に不名誉なものを負わされてきた、会津藩から福島県とされた地、特有のものがあって。
…まとまりがないですが、時折見かける「会津だけは守りたい、新潟所属のように別扱いしてあげたい」浜通り中通りの方のそんな想いに有り難さや申し訳なさを感じつつ、フクシマと呼ばれる地に与えられているものを見つめつつ生活しています。
こんな自分もいるし、あんな自分もいる、っていうのを認識している事が大事みたい。それって自分だけじゃないですからね。
会津って福島県の中では、なんか別格な感じですよね。私は今でこそ会津地方(でもなんか半端な場所です)に住んでますが、元々、中通りだから、なんか、まだ会津の住民という自覚あまりないです。
自分も実際に、福島市や郡山市など中通りに住む人や、浜通りで津波や原発の被害にあった人たちの気持ちは、見聞きはするけれど、察する事は難しいかもしれないです。
でも、思いを馳せたり想像することは、やってみることが何かの気づきになるのかもしれないですね。