triangle ©Dean Hochman
私たちは霊的世界の認識にも、ともすれば、そのまま物質世界の認識力で理解しようとしますが、それが間違える元なのではないかと思います。では、何をもって理解したらよいのでしょうか?それは、結構な思考訓練が必要になると思います。
ひとつは、ここで述べられているようなシンボルを理解すること。昔からシンボルとして使われている幾何学的な記号には、様々な深い意味が隠されています。エッセンスは一つであっても、言葉として表現しようとすると、それについてたくさん語ることができる、というのがシンボルであり、それは象徴言語なのです。
ですから、例えばタロットカードなどは、言葉として意味を覚えるのはとても大変になる。タロットに描かれているのは象徴言語です。
ここで、ひとつ、私たちの空間認識について考えてみましょう。古代人は地球が中心にあり、周囲を天の円天井で囲まれていると認識していました。神々に守られて、私たちは地球という意味ある空間で生きていました。しかし、近代になり、地球中心から太陽中心の認識に変わり、宇宙は限界のない底なし空間となりました。それは「空虚」な感覚につながっていきます。人間が概念的に理解しがない空間になり、私たちが生きる場所は単なる小さな石ころのような上にいるのであって、この空間には何の意味もなくなったのです。
そこに19世紀に「無限遠平面」という概念が持ち込まれました。その概念があると、以下のように私たちが生きる空間を考えることができます「ここに物質としてある地球、または、私という存在には、無限遠からの力が働いている」と。私は直観的にしか理解できなくて、ちゃんと説明できないのですが(;^_^A、無限遠という概念は、射影幾何学という数学的幾何学的概念です。
「無限遠からやってくる力が、この現実を成り立たせている」と考えることができた時、ここにあるものの意味は単純なものではなくなります。四方八方からやってくる力が、ここにあるものを成り立たせて、生きたものにしている。
ある意味、シンボル・象徴言語も同じような気がしています。なぜ言葉ではなくシンボルで表記するかは、その一つがその中に含まれているすべてのものを言いつくしているからです。つまり無限遠、全周囲からやってくるものにより成り立っていることを、それでしか表現できないからです。
幾何学的にはちょうど太陽のシンボルである、円と真ん中の点をイメージすることができるでしょう。もしくは、自分が真ん中に立っていて、遠い周辺に大きな円があることをイメージすることもできるでしょう。ワタシを成り立たせているものは、無限の周辺からやってくる、宇宙の力であり、それによって刺激されたエーテル力なのです。
そしてそれは、感覚や感情ではなく、思考を通り抜け、それを超えた時の直観としてたどりつくしかないのです。
私たちは霊的世界の認識にも、ともすれば、そのまま物質世界の認識力で理解しようとしますが、それが間違える元なのではないかと思います。では、何をもって理解したらよいのでしょうか?それは、結構な思考訓練が必要になると思います。
ひとつは、ここで述べられているようなシンボルを理解すること。昔からシンボルとして使われている幾何学的な記号には、様々な深い意味が隠されています。エッセンスは一つであっても、言葉として表現しようとすると、それについてたくさん語ることができる、というのがシンボルであり、それは象徴言語なのです。
ですから、例えばタロットカードなどは、言葉として意味を覚えるのはとても大変になる。タロットに描かれているのは象徴言語です。
ここで、ひとつ、私たちの空間認識について考えてみましょう。古代人は地球が中心にあり、周囲を天の円天井で囲まれていると認識していました。神々に守られて、私たちは地球という意味ある空間で生きていました。しかし、近代になり、地球中心から太陽中心の認識に変わり、宇宙は限界のない底なし空間となりました。それは「空虚」な感覚につながっていきます。人間が概念的に理解しがない空間になり、私たちが生きる場所は単なる小さな石ころのような上にいるのであって、この空間には何の意味もなくなったのです。
そこに19世紀に「無限遠平面」という概念が持ち込まれました。その概念があると、以下のように私たちが生きる空間を考えることができます「ここに物質としてある地球、または、私という存在には、無限遠からの力が働いている」と。私は直観的にしか理解できなくて、ちゃんと説明できないのですが(;^_^A、無限遠という概念は、射影幾何学という数学的幾何学的概念です。
「無限遠からやってくる力が、この現実を成り立たせている」と考えることができた時、ここにあるものの意味は単純なものではなくなります。四方八方からやってくる力が、ここにあるものを成り立たせて、生きたものにしている。
ある意味、シンボル・象徴言語も同じような気がしています。なぜ言葉ではなくシンボルで表記するかは、その一つがその中に含まれているすべてのものを言いつくしているからです。つまり無限遠、全周囲からやってくるものにより成り立っていることを、それでしか表現できないからです。
幾何学的にはちょうど太陽のシンボルである、円と真ん中の点をイメージすることができるでしょう。もしくは、自分が真ん中に立っていて、遠い周辺に大きな円があることをイメージすることもできるでしょう。ワタシを成り立たせているものは、無限の周辺からやってくる、宇宙の力であり、それによって刺激されたエーテル力なのです。
そしてそれは、感覚や感情ではなく、思考を通り抜け、それを超えた時の直観としてたどりつくしかないのです。