9月24日~25日には第2回目の「フクシマ対話合宿~絶望の淵へ降りていこう。希望の光を見つけるために~」を開催します。
その準備として、ファシリテーターのノリさん、たけさん、そしてスタッフのたいちゃん、もりちゃん、安珠の5名で
8月18日に三重、東京、郡山@福島、裏磐梯@福島を結んでのスカイプ会議を行いました。
スカイプ会議って、なんか緊張するんだよね。
そんなこんなで、チェックインからはじまりました。
*チェックイン…ホテルにチェックインするように、その場に参加する自分達が、
今、何を感じていてどんな気分なのか?とかをみんなと分かち合うことです。
「今日は仕事が忙しかったから疲れてる」とか「みんなと話すのが楽しみ」とか、何でもいいんです。
たけさんからは、前回の対話合宿に出れなかったので、今の福島の状況やフクシマにいる私たちの様子を聞きたいという要望があがった。
最後にチェックインしたたいちゃんが、いわきに行った話しをしてくれた。
***
そこは、たいちゃんが震災以前にもよく行っていた場所だから、
震災後は、どう変わっているのか見るのが恐くて、なかなか行く気になれなかったそう。
訪れた場所は、波立海岸。
近くの建物は半壊しているのに、海岸にある鳥居は残っていたという。
ネット上にもこんな記事があった。
「鳥居は残った いわきの波立海岸」
そして、たいちゃんは不思議な事を体験したという。
鳥居の写真を撮ろうとしてカメラを構えると、車のガラスに石か何かがぶつかった音がしたという。
「もしかして、とってはいけないって事なのかな」
そう思ったたいちゃんは、撮影する事をやめたという。
その後、車の中をみたら、しまっていたはずのガラスを飛び越して入ってきたかのような
石が転がっていたそうです。
ガラスに何かがぶつかる話し。
それを聞いて、私の中でも、ピン!と来ちゃった事がありました。
それは、8月1日の事。
7月30~31日に、みんなでやったトランジションうつくしま合宿の次の日、
延泊した皆とランチを食べて見送った後に、染色の講座をうちで受けている時だった。
何かが鈍い音をさせて、玄関にある風除室のガラスにぶつかって落ちたのでした。
ちょうど、外に出ていたので、何かがぶつかってガラスに跳ね返されて落ちたのを目撃しました。
早かったので、何かはわかりませんでした。
近づいて、足元に青々と茂ったフキの葉っぱを除けてみると、
とても美しいアオゲラが横たわっていました。
緑の羽根と赤い頭。とても美しい鳥です。
以前も別な場所に鳥がぶつかって脳震盪を起こした後に復活して飛んで行ったことがあるので、
もしかして、大丈夫かもと思ったのですが、どうも、衝撃で即死だったようです。
講座中の私は、どうする事もできず、相方のもりちゃんに弔いをお願いしました。
そして、前日に友だちからいただいて、どこに飾ろうか考えていた
メディスンホイールを、アオゲラがぶつかったところに飾りたくなりました。
それが、ずっと心に残っていて、何かを象徴しているような気がずっとしていたので、
たいちゃんのガラスの話を聞いて、ふと浮かんできたので、スカイプでみんなに話しました。
(自分のことばっかり詳しく書いてしまってすみません)
たけさんが、
鳥/人/神
と、スカイプのチャットのところに書きました。
神と人間の間にある境界線。
鳥と人との境界線。
こちらからは入れないけれど、向こうからは入れたり、
見えているけど通り抜けられなかったり…。
そのシンクロが何かはわからないけれど、そんな事が合宿前におき始めていました。
***
実は、ノリさんは音声が出ないという事で、チャット参加だったのですが、
そこで、「田中正造の生涯」を読んでるよと言っていた。
たけさんから、借りていた本だそう。
田中正造とは、足尾銅山鉱毒事件にかかわった政治家。
この事件が、今、福島で起きていることと似ているという。
国がやっている事も、市民が無力化されていくことも。
(詳しくは、本を読んでみようと思って、早速アマゾンで取り寄せました)
足尾銅山鉱毒事件では渡良瀬川が汚染されたという話が出た。
そしたら、そのスカイプ会議の始まる前に、もりちゃんが渡良瀬川の汚染のことが出てくる本を
なぜか、その日に限って手にとって読んでいたという。
買うだけ買って、そのまま本棚に放置されていた本。
このあたりも、もうひとつのシンクロ。
足尾銅山鉱毒事件で起きていたことと同じ事が、福島原発事故で起きているのではないか?
舞台と登場人物が変わっただけで、同じパターンの物語が繰り返されているのではないか?
福島にいる私たちは(いや、日本全国の人も、世界中の人の中にも、同じ体験をしている人はいるかも)、
「何かしなければ、自分達より大変な人たちの役に立ちたい」と思ったり、
ある時は「やっぱり自分には出来ない、こんな大きな問題には取り組めない」と無力感を感じたり、
その繰り返しが、小さい輪や大きな輪を描きながらぐるぐる繰り返している気がする。
これは、プロセスワーク(プロセス思考心理学)的な視点から見ると、
既に、過去に繰り返されている「役割」みたいなものに、ハマっているという解釈が出来るみたい。
日本文化で育った私たちが、抑圧されてきたもの、奪い取られてきたもの。
この震災と原発事故が、それを取り戻すきっかけになるのではないか。
復活までの道のりをたどれるだろうか。
特に、東北人の気質としては、
同質性、空気に敏感、我慢するという傾向がより強い。
余談ですが、雪国に住んで思うのは
「雪が積もっちゃったら何にも出来ないから、春までは諦めるしかないなぁ」ってこと。
堂々と引きこもりが出来る冬は、なかなか良いのですよ。
近所のおじさんによると、「雪国の人は、我慢強いんじゃなくて、諦めがいいんだ」って言ってたけど。
***
そして、面白い事に、たいちゃんはガラス屋さんなのです。
あとは、それぞれ、今、福島にいて自分達が感じていることをいろいろ話した。
***
このスカイプ会議のまとめとしては、
・ガラス
・言いたいことが言えない自分
・向こう側にあるもの=自分の中にあるもの
・ガラスを行ったり来たりできるようになること
・未完了なことを手放し、浮上する事が出来るのか?
・歴史の文脈の中で完了していないロール(役割)は何なのか?
こんなところでしょうか。
合宿まで、あと1ヶ月です。
5人で話しただけでも、いろいろなものがたち現れてくるのですから、
様々なものを持った、参加者の人たちとの対話は、
もっともっと、ダイナミックに、今、フクシマで、日本で、地球で起きていることの底にあるものが
現れてくるのではなかろうかと思いました。
第2回目の「フクシマ対話合宿~絶望の淵へ降りていこう。希望の光を見つけるために~」
その準備として、ファシリテーターのノリさん、たけさん、そしてスタッフのたいちゃん、もりちゃん、安珠の5名で
8月18日に三重、東京、郡山@福島、裏磐梯@福島を結んでのスカイプ会議を行いました。
スカイプ会議って、なんか緊張するんだよね。
そんなこんなで、チェックインからはじまりました。
*チェックイン…ホテルにチェックインするように、その場に参加する自分達が、
今、何を感じていてどんな気分なのか?とかをみんなと分かち合うことです。
「今日は仕事が忙しかったから疲れてる」とか「みんなと話すのが楽しみ」とか、何でもいいんです。
たけさんからは、前回の対話合宿に出れなかったので、今の福島の状況やフクシマにいる私たちの様子を聞きたいという要望があがった。
最後にチェックインしたたいちゃんが、いわきに行った話しをしてくれた。
***
そこは、たいちゃんが震災以前にもよく行っていた場所だから、
震災後は、どう変わっているのか見るのが恐くて、なかなか行く気になれなかったそう。
訪れた場所は、波立海岸。
近くの建物は半壊しているのに、海岸にある鳥居は残っていたという。
ネット上にもこんな記事があった。
「鳥居は残った いわきの波立海岸」
そして、たいちゃんは不思議な事を体験したという。
鳥居の写真を撮ろうとしてカメラを構えると、車のガラスに石か何かがぶつかった音がしたという。
「もしかして、とってはいけないって事なのかな」
そう思ったたいちゃんは、撮影する事をやめたという。
その後、車の中をみたら、しまっていたはずのガラスを飛び越して入ってきたかのような
石が転がっていたそうです。
ガラスに何かがぶつかる話し。
それを聞いて、私の中でも、ピン!と来ちゃった事がありました。
それは、8月1日の事。
7月30~31日に、みんなでやったトランジションうつくしま合宿の次の日、
延泊した皆とランチを食べて見送った後に、染色の講座をうちで受けている時だった。
何かが鈍い音をさせて、玄関にある風除室のガラスにぶつかって落ちたのでした。
ちょうど、外に出ていたので、何かがぶつかってガラスに跳ね返されて落ちたのを目撃しました。
早かったので、何かはわかりませんでした。
近づいて、足元に青々と茂ったフキの葉っぱを除けてみると、
とても美しいアオゲラが横たわっていました。
緑の羽根と赤い頭。とても美しい鳥です。
以前も別な場所に鳥がぶつかって脳震盪を起こした後に復活して飛んで行ったことがあるので、
もしかして、大丈夫かもと思ったのですが、どうも、衝撃で即死だったようです。
講座中の私は、どうする事もできず、相方のもりちゃんに弔いをお願いしました。
そして、前日に友だちからいただいて、どこに飾ろうか考えていた
メディスンホイールを、アオゲラがぶつかったところに飾りたくなりました。
それが、ずっと心に残っていて、何かを象徴しているような気がずっとしていたので、
たいちゃんのガラスの話を聞いて、ふと浮かんできたので、スカイプでみんなに話しました。
(自分のことばっかり詳しく書いてしまってすみません)
たけさんが、
鳥/人/神
と、スカイプのチャットのところに書きました。
神と人間の間にある境界線。
鳥と人との境界線。
こちらからは入れないけれど、向こうからは入れたり、
見えているけど通り抜けられなかったり…。
そのシンクロが何かはわからないけれど、そんな事が合宿前におき始めていました。
***
実は、ノリさんは音声が出ないという事で、チャット参加だったのですが、
そこで、「田中正造の生涯」を読んでるよと言っていた。
たけさんから、借りていた本だそう。
田中正造とは、足尾銅山鉱毒事件にかかわった政治家。
この事件が、今、福島で起きていることと似ているという。
国がやっている事も、市民が無力化されていくことも。
(詳しくは、本を読んでみようと思って、早速アマゾンで取り寄せました)
足尾銅山鉱毒事件では渡良瀬川が汚染されたという話が出た。
そしたら、そのスカイプ会議の始まる前に、もりちゃんが渡良瀬川の汚染のことが出てくる本を
なぜか、その日に限って手にとって読んでいたという。
買うだけ買って、そのまま本棚に放置されていた本。
このあたりも、もうひとつのシンクロ。
足尾銅山鉱毒事件で起きていたことと同じ事が、福島原発事故で起きているのではないか?
舞台と登場人物が変わっただけで、同じパターンの物語が繰り返されているのではないか?
福島にいる私たちは(いや、日本全国の人も、世界中の人の中にも、同じ体験をしている人はいるかも)、
「何かしなければ、自分達より大変な人たちの役に立ちたい」と思ったり、
ある時は「やっぱり自分には出来ない、こんな大きな問題には取り組めない」と無力感を感じたり、
その繰り返しが、小さい輪や大きな輪を描きながらぐるぐる繰り返している気がする。
これは、プロセスワーク(プロセス思考心理学)的な視点から見ると、
既に、過去に繰り返されている「役割」みたいなものに、ハマっているという解釈が出来るみたい。
日本文化で育った私たちが、抑圧されてきたもの、奪い取られてきたもの。
この震災と原発事故が、それを取り戻すきっかけになるのではないか。
復活までの道のりをたどれるだろうか。
特に、東北人の気質としては、
同質性、空気に敏感、我慢するという傾向がより強い。
余談ですが、雪国に住んで思うのは
「雪が積もっちゃったら何にも出来ないから、春までは諦めるしかないなぁ」ってこと。
堂々と引きこもりが出来る冬は、なかなか良いのですよ。
近所のおじさんによると、「雪国の人は、我慢強いんじゃなくて、諦めがいいんだ」って言ってたけど。
***
そして、面白い事に、たいちゃんはガラス屋さんなのです。
あとは、それぞれ、今、福島にいて自分達が感じていることをいろいろ話した。
***
このスカイプ会議のまとめとしては、
・ガラス
・言いたいことが言えない自分
・向こう側にあるもの=自分の中にあるもの
・ガラスを行ったり来たりできるようになること
・未完了なことを手放し、浮上する事が出来るのか?
・歴史の文脈の中で完了していないロール(役割)は何なのか?
こんなところでしょうか。
合宿まで、あと1ヶ月です。
5人で話しただけでも、いろいろなものがたち現れてくるのですから、
様々なものを持った、参加者の人たちとの対話は、
もっともっと、ダイナミックに、今、フクシマで、日本で、地球で起きていることの底にあるものが
現れてくるのではなかろうかと思いました。
第2回目の「フクシマ対話合宿~絶望の淵へ降りていこう。希望の光を見つけるために~」
考えようによっては、世の中の出来事は全てシンクロニシティだけど、
それに気づく事が多いという事は、タオの流れに近いところにいる気がします。
神の世界の入り口にたっている人(鳥)がたくさん居るね。
良き会となることをお祈りしてます。
コメントありがとう。
それから7月には裏磐梯まで来てくれてありがとう。
震災後、やっと会う事ができて、もりちゃんも私も嬉しかったです。
メディスンホイールの居場所も決まったよ。
アオゲラ事件はみんなを見送った直後だったので、何か意味深い感じがしています。
ホントに、あっちこっちに流されながら、という感じですね。
なかなか岸辺に上陸できない感じですが、しばらく流れに逆らわずにプカプカしてみます。
また、会えるの楽しみにしてます。