皆さんと私たちと東京大衆歌謡楽団

~東京大衆歌謡楽団の活動や、楽しいエピソードなどを紹介するブログです~

2019年12月17日 「ブルームーン」~作曲・歌詞と気象現象。

2019年12月17日 | 演奏・作詞・作曲家
  気象現象の「ブルームーン」は、満月の時、大気中の塵の影響により月が青く見える現象です。天文学や気象学にはブルームーンという用語はなく、定義もはっきりしていません。
 1934年に、作詞:ロレンツ・ハート、作曲:リチャード・ドジャースで発表され、以降、スタンダードナンバーとして、国内外共に多くの歌手がカバーしています。
 私達が聞き覚えの有るのは、灰田勝彦さんが唄う「ブルームーン」です。
 歌詞の歌い出しは、「ブルームーン 淋し月の夜 希望さえなく 一人侘しや…」です。
 一方、楽団の歌い出しは、「ブルームーン 青白い月 我のみ一人 今は淋しく…」です。
 昭和歌謡の範疇で、もう一人「ブルームーン」を唄っている歌手に、松平 晃さんがいます。楽団が唄うのは、きっと、こちらの歌詞だと思うのですが、現在の所、確認に至っていません。

 松平 晃さんが唄う歌の中で、楽団が演奏するリストにある、私達が聞いた曲は次の通りです。
1933(昭和 8 )「サーカスの唄」  旅の燕 寂しかないか おれもさみしい サーカスぐらし(松平  晃)
1934 (昭和 9)「急げ幌馬車」 日暮れ悲しや 荒れ野ははるか 急げ幌馬車 鈴の音だより (松平  晃)
1935(昭和10)「夕日は落ちて」荒れ野の涯に 日は落ちて 遥かまたたく 一つ星(松平 晃・豆千代
1936(昭和11)「花言葉の歌」可愛い蕾よ きれいな夢よ 乙女心に よく似た花よ(松平 晃・伏見 信子) 
 
 〔余談〕

 松平 晃さんは、1940年(昭和31年)、東京都中野区・東中野に、「松平晃歌謡学院」を設立しました。東中野は隣り町感覚ですから、現存していれば訪れたいものです。

 娘の、福田和禾子さんは作曲家で、「北風小僧の寒太郞」など、多くの人に親しまれる曲を世に出しています。

  
(参考:ウィキペディア)
 

2019年12月9日 作曲家・江口夜詩さんと、東京大衆歌謡楽団。

2019年12月11日 | 演奏・作詞・作曲家

   9日のNHKラジオ深夜便「作家で綴る流行歌」で、作曲家・江口夜詩(えぐちよし)さんが特集されていたことを知りました。江口さんは、1903年に生まれ、75歳で没するまで、4,000曲余りを作曲しました。番組の中では、12曲余りが紹介されましたが、その中で、東京大衆歌謡楽団が演奏する曲が、「憧れのハワイ航路」・「夕日は落ちて」・「長崎のザボン売り」・「赤いマフラー」・「赤いランプの終列車」など、5曲含まれていました。また、現在までの間に、私達が聞いた曲には、「涙の三人旅」・「東京の空青い空」・「急げ幌馬車」などが有ります。
 〔江口夜詩さんの略歴〕
 江口さんは、岐阜県出身で、16歳の時、第1期軍楽補習生として、横須賀海兵団に入り、軍楽隊専属の作曲家として嘱望され、東京音楽学校(現・東京芸術大学)に入学し、チェロなどを学びました。
 昭和3年には、昭和天皇即位大典演奏会で吹奏楽大序曲「挙国の歓喜」を発表しました。
  昭和6年に海軍を退役し、翌年、亡妻を偲んで作曲した「忘られぬ花」が大ヒットして、これを機に、それまでクラシック作曲家を目指していたことから、流行歌の作曲家の道を歩む事になりました。また、戦時中には、軍歌「月月火水木金金」・「轟沈」なども作曲しました。
 昭和14年に、東京・世田谷に、「国民音楽院」(戦後は「日本歌謡学院」)を設立し、多くの弟子を世に送り出しました。門下の歌手としては、小畑実・津村謙・春日八郎・曽根史郎さんなどがいます。
 没後の、平成6年、出身地の岐阜県・旧上石津町には、「江口夜詩記念館」を中心とした、日本昭和音楽村が開設されました。
 江口さんは、岐阜県の小中学校の校歌を多く作る、郷土愛の強い人でもありました。
 息子の江口浩司さんも作曲家で、「下町の太陽」・「忘れな草をあなたに」などを作曲しています。
  
(参考:ウィキペディア・江口夜詩記念館資料・ネット写真)

参考  演奏曲目・歌い出し歌詞・作詞・作曲・歌手の一覧(随時更新中です)  http://pub.idisk-just.com/fview/K6gdrG9AfTKGjYWj_FxTNLN1LOTBLQ2i4D9gkAf9zd1qDLeKoY9YmA/5p2x5Lqs5aSn6KGG5q2M6Kyh5qW95ZujIOa8lOWlj-absuebriDmrYzjgYTlh7rjgZfpoIYg44CM56eB44Gf44Gh44Gv6KaL44Gf6IGe44GE44Gf44CN.jtd