皆さんと私たちと東京大衆歌謡楽団

~東京大衆歌謡楽団の活動や、楽しいエピソードなどを紹介するブログです~

2020年2月7日 「あお」が、二頭から、もう一頭増えました。更に、もう一頭増えました。

2020年02月07日 | 素朴な?歌曲・歌詞編

 先に、二頭の「あお」は、こちらで紹介しました。「あの丘越えて」に出てくる「馬」(あお)と、塩原多助の物語に出てくる愛馬「青」(あお)です。
 今回気がついたのは、「夕日は落ちて」を聴いている時でした。「荒野の涯てに 日は落ちて 遥かまたたく 一つ星 …」から始まる歌詞の中で、1番の歌詞には「愛しの黒馬(あお)よ 淋しかろ」と歌われ、5番の歌詞で再び「休めよ黒馬(あお)よ 今しばし」と歌われています。よほど、愛馬が愛おしかったのだろうとの心情が思い浮かびます。

 YouTubeの歌を聞いていて、あれっと気付きました。
「急げ幌馬車」の、三番の歌詞に「あお」が出てきます。
黒馬(
あお)はいななく 吹雪は荒れる さぞや寒かろ 北山おろし」
  やはり、愛馬をいたわる心情が唄われています。


2020年1月31日 東京大衆歌謡楽団が唄う「あの丘越えて」の「あお」と、もう一つの「あお」。

2020年01月31日 | 素朴な?歌曲・歌詞編

 昭和26年、美空ひばりさんが、当時14歳の頃歌った「あの丘越えて」が、東京大衆歌謡楽団の演奏で、現代に蘇っています。その中に「馬」(あお)という歌詞が有ります。
1.山の牧場の 夕暮れに 雁が飛んでる ただ一羽 私もひとり ただひとり
  馬(あお)の背中に 眼をさまし イヤッホー イヤッホー
  私の子どもの頃のかすかな記憶に「塩原多助とあお」の物語のことが残っていました。両方とも、「馬」と「あお」が共通しているので、ちょっと調べてみました。まず、「馬」を「あお」と呼ぶのは、一般的に「黒みを帯びた青色の馬」の事を指すようです。
 「あの丘越えて」では、「馬」としているので、牧場の「馬たち」の事を云っているように思えます。
    一方で、「塩原多助」の物語に出てくる「あお」は、愛馬の名として「青」(あお)と呼んでいます。この愛馬との物語が「塩原多助一代記・あおの別れ」の名場面として、明治の修身
教科書・歌舞伎・講談・浪曲・落語などで、取り上げられたり幅広く演じられたりしています。別れの時、多助が涙にくれると、愛馬・青もポロポロと涙を流し別れを惜しんだと伝えられています。三波さんの歌では、晴れて故郷に帰り迎えに行くと情感豊かに唄われています。
  塩原多助は、身の危険を感じるほどの艱難辛苦のはて、故郷・上州(沼田)を捨てて江戸に向かう際、国ざかいで、愛馬・青と別れることになります。後に、多助は本所に「炭屋
」として、大名屋敷と並び称されるほどの大富豪になり、「塩原多助・立身出世伝」として伝わっています。


2019年6月21日 東京大衆歌謡楽団演奏の「ジャワのマンゴ売り」と時代背景。

2019年06月21日 | 素朴な?歌曲・歌詞編

        ♪ラーラーラーラー 火焔木(フレームトウリー)の木陰に
「ジャワのマンゴ売り」(じゃわのまんごうり)は、昭和17年(1942年)にビクターレコードから発売された歌謡曲です。歌唱:灰田勝彦・大谷冽子。作詞:門田ゆたか、作曲・編曲:佐野鋤。作曲者である佐野の代表作の1つ。歌詞・音楽ともに南方の異国情緒が盛り込まれ、発売当時は「ジャバのマンゴ売り」とも表示されました。

 1941年に太平洋戦争が開始され、日本軍が東南アジア各地を占領するニュースが次々に舞い込むと、日本国内に南方のエキゾティックな事物への憧れや関心が高まるようになってきました。レコード業界にも当然そういう需要が舞い込み、作曲者の佐野は新聞や雑誌などでヒントを得て「南の幻想」という一連の軽音楽作品シリーズを発表していきました。その内の一曲が、「ジャワのマンゴ売り」です。
 (参考:ウィキペディア)