昭和18年(1943年)歌唱:高峰三枝子、歌詞:藤浦洸、作曲:古賀政男
前年に発表された、「ジャワのマンゴ売り」と、同じ南方思考の曲かと思っていましたが、どうも元の成り立ちが違うようです。原曲は、任光(れん・くあん)中国で、二胡の曲のため、歌詞は有りませんでした。このため、作曲は任光とされている場合が有ります。
「南の花嫁さん」は、戦時中の兵隊さんに人気があり、戦後も昭和20年代頃までは、復員兵を捜す尋ね人のラジオ番組などがあって、盛んにこの曲がかかっていました。
復員兵を捜す番組は、『尋ね人』、『復員だより』、『引揚者の時間』の三つがあり、それぞれ昭和21年から、昭和37年まで続く番組も有りました。例えばアナウンサーが、次の様に読み上げました。
「昭和20年春、◯◯部隊に所属の××さんの消息をご存じの方は、日本放送協会の『尋ね人』の係へご連絡ください」
私の生まれが終戦の翌年、昭和21年ですから、それから私が高校生になるぐらいまで続いていた事になります。
(参考:ネットブログ・ウィキペディア)
♪ラーラーラーラー 火焔木(フレームトウリー)の木陰に♪
「ジャワのマンゴ売り」(じゃわのまんごうり)は、昭和17年(1942年)にビクターレコードから発売された歌謡曲です。歌唱:灰田勝彦・大谷冽子。作詞:門田ゆたか、作曲・編曲:佐野鋤。作曲者である佐野の代表作の1つ。歌詞・音楽ともに南方の異国情緒が盛り込まれ、発売当時は「ジャバのマンゴ売り」とも表示されました。
1941年に太平洋戦争が開始され、日本軍が東南アジア各地を占領するニュースが次々に舞い込むと、日本国内に南方のエキゾティックな事物への憧れや関心が高まるようになってきました。レコード業界にも当然そういう需要が舞い込み、作曲者の佐野は新聞や雑誌などでヒントを得て「南の幻想」という一連の軽音楽作品シリーズを発表していきました。その内の一曲が、「ジャワのマンゴ売り」です。
(参考:ウィキペディア)
観覧2回目になる今回は、【昼の部】(開演14時)は、チケットが取れず【夜の部】(開演19時)を観覧。
〔演奏曲目紹介〕
1.或る雨の午後 ♪雨が降ってた しとしとと 或る日の午后の ことだった♪
2.チャイナタンゴ ♪チャイナタンゴ 夢の唄 紅の提灯 ゆらゆらと♪
3.上海の花売り娘 ♪紅いランタン 仄かにゆれる 宵の上海 花売り娘♪
4. 南の花嫁さん ♪ねむの並木を お馬のせなに ゆらゆらと 花なら赤い カンナの花か♪
5. ラ スパニョーラ ♪うるわしき スパニョーラ 花の姿や かがやける面に 愛のまなざし♪
6.夜来香(イエライシャン) ♪あわれ春風に 嘆くうぐいすよ 月に切なくも 匂う夜来香♪
7.ジャワのマンゴ売り ♪ラーラーラーラー 火焔木(フレームトウリー)の木陰に♪
8.麦と兵隊 ♪徐州徐州と 人馬は進む 徐州居よいか 住みよいか 洒落た文句に 振り返りゃ♪
9.建設の歌 ♪よろこび あふれる歌声に 輝け荒野の 黄金雲 夜明けだ サ 夜明けだ♪
10.長崎の鐘 ♪こよなく晴れた 青空を 悲しと思う せつなさよ うなねりの波の 人の世に♪
11.長崎のザボン売り ♪鐘が鳴る鳴る マリヤの鐘が 坂の長崎ザボン売り 銀の指輪は♪
12.山小舎の灯 ♪黄昏の 灯は ほのかに点りて 懐かしき山小舎は 麓の小道よ♪
(休憩20分)
13.帰り船 ♪波の背の背に ゆられてゆれて 月の潮路の かえり船 霞む故国よ 小島の沖じゃ♪
14.椰子の実 ♪名も知らぬ 遠き島より 流れ寄る 椰子の実一つ♪
15.蘇州夜曲 ♪君がみ胸に 抱かれて聞くは 夢の船唄 鳥の歌 水の蘇州の 花散る春を♪
16.白い船のいる港 ♪青い海に 白い船 今日も見えるけど 恋し姿 何故か見えぬ♪
17.波止場気質 ♪別れ惜しむな 銅鑼の音に 沖は希望の 朝ぼらけ 啼くな鴎よ あの娘には♪
18.東京ラプソディー ♪花咲き花散る宵も 銀座の柳の下で 待つは君ひとり 逢えば行く♪
19.東京の青い空 ♪鳩が飛び立つ 可愛い可愛い鳩が 東京の空 青い空 喜びの 鐘が鳴る♪
20.憧れのハワイ航路 ♪晴れた空 そよぐ風 港出船の ドラの音愉し 別れテープを 笑顔で切れば♪
21.青春のパラダイス ♪晴れやかな 君の笑顔 やさしく われを呼びて 青春の花に憧れ♪
22.酒の中から ♪杯に映る明かりを飲み干して 今宵も歌おう我が友よ♪
23.お富さん ♪粋な黒塀 見越しの松に 仇な姿の 洗い髪 死んだはずだよ お富さん♪
24.浅草の唄 ♪つよいばかりが 男じゃないと いつか教えて くれた人 どこのどなたか♪
(アンコール)
25.涙の三人旅 ♪他国の港は 薄月夜 波の遠音に 啼く千鳥 おまえもわたしも 旅の者♪
26.夢多き東京 ♪柳青める日 つばめが銀座に飛ぶ日 誰を待つ心 可愛いガラス窓♪
カナリヤホールの演奏会は、3回公演と、2回公演の日が有ります。今回は、2回公演の日でした。席は、30席限定で指定席になっていました。丸テーブルが置かれ、ワンドリンク付きで、団員さんやマネージャーさんが、サービスに努めていました。申し訳無いやら、嬉しいやら。観客の中には、この日の為に、大阪や島根から駆けつけたファンの皆さんもいて感動しました。
今回の演奏曲目の中で、初めて聞く曲が有りました。
「 5. ラ スパニョーラ 」は、スペイン民謡とも云われますが、正しくは、イタリア歌曲のようです。
「16.白い船のいる港」は、昭和24年、平野愛子さんにより歌われました。
また、「14.椰子の実」は、童謡・唱歌になるかと思いますが、童謡・唱歌等も、これからのレパートリーに加われば、新しいファン層が広がるかも知れません。
〔野崎観音・のざきまいり〕
(スナップ写真・募集中)
〔のざきまいりとは〕大阪府大東市の慈眼寺(じげんじ)で行われる「無縁経法要」にお参りすること。
慈眼寺は、所在地と本尊の十一面観音に因み「野崎観音さん」として広く信仰を集めています。
「無縁経法要」とは、有縁、無縁、全てのものに感謝の読経をあげる江戸時代から続く仏教行事です。
〔のざきまいりの開催期間〕5月1日~8日 (曜日の巡り等に関係なく、毎年同じ日程です)
〔のざきまいりの見所〕露店・大道芸・プロレス・ステージイベントなどが盛り沢山。
露店は、参道に300店以上が軒を連ねます。大道芸は、チンドン屋・南京玉すだれ・ガマの油売りなど。
ステージイベントは、和太鼓演奏・落語・東京大衆歌謡楽団の演奏などが行われます。
〔ステージイベント〕5月2日(木)・4日(土)東京大衆歌謡楽団 演奏
(演奏スナップ写真・募集中)
〔野崎小唄の発売〕昭和10年、唄 東海林 太郎さんにより発売される。
〔野崎小唄と気になる歌詞 のフレーズ〕
♪ 野崎参りは屋形船でまいろ ♪
♪ 呼んで見ようか土手の人 ♪
♪ お染久松切ない恋に ♪
〔♪ 野崎参りは屋形船でまいろ ♪〕野崎観音は、生駒山の中腹に有るのに、何で「屋形船」?
治水工事で、川が埋め立てられたが、昔は陸路と水路が有り、大坂市内から船での参拝ができた。
昭和初期までは八軒家で乗船し、旧淀川から寝屋川を遡って、川岸の景観を楽しみながら参拝した。
〔♪ 呼んで見ようか土手の人 ♪〕①「 ふり売りげんか」という風習。
かつて、屋形船で参拝する人と、土手を歩く参拝者との間で、口喧嘩をする面白い風習があった。
口喧嘩とはいっても決して本気で怒ってはいけないのがルールで、互いに相手を罵り合うというもの。
でも、下船したら仲良く参拝した。因みに、口喧嘩に勝った年は、縁起が良いとされていた。
〔♪ 呼んで見ようか土手の人 ♪〕②上方落語「 野崎詣り」と「浅草観音」の縁。
その落語の中で、土手を行く人に、船から声を掛ける下りがあり、背の低さを揶揄された方が、「山椒は小粒でピリリと辛いんじゃ!浅草の観音さんは、一尺八寸でも、十八間四方のお堂に囲まれているんじゃい!」というようなやり取りがあります。観音様が収められているのは浅草寺で、玉垣を隔てて地続きに有るのが浅草神社(三社様)で、その神社の境内が、東京大衆歌謡楽団の奉納演奏の場所になっています。
〔♪ お染久松 切ない恋に ♪〕宝永5年(1708)、大阪で実際に起こった事件。
お染は、大店のお嬢さん、久松は奉公人だった。二人は恋いに落ち遂には心中し、当時の世間を騒がせた。人形浄瑠璃や歌舞伎の演し物になり大人気になった。慈眼寺には比翼塚が有り、墓は野中寺にある。比翼塚とは:愛し合って死んだ男女を一緒に葬った塚の事。
〔参考〕開運net・河内の街道を歩く①東高野街道:生駒山西麓編(読書館編)
のざきまいりで、東京大衆歌謡楽団が演奏した「野崎小唄」を調べてみると、意外な事実が有りました。個人的なことですが、私の名字「河内」と同じ地名などもあり、興味深い体験でした。いつの日か、野崎観音にお参りしたいものです。
4月8日(月)「靖国神社・奉納演奏」~桜が舞い散る中での演奏会になりました。
有名なソメイヨシノの標本木の枝が、奉納演奏の舞台を彩っています。~英霊の引き合わせ ~ 東京大衆歌謡楽団の演奏には、折にふれて、ハモニカ奏者として参加する方がいます。今回初めて、演奏の合間にお話しを伺う機会が有りました。その話しの中で驚いたのは、縁戚の方が、潜水艦で戦死していると、遺影を見せて頂きました。私の父方でも、太平洋戦争開戦の翌年に、ハワイ沖で潜水艦で戦死した方がいます。弱冠25歳でした。互いに潜水艦乗りとして、靖国で会っていたのかも知れません。東京大衆歌謡楽団が奏でる「南洋航路」(ラバウル小唄の元歌)には、私も思いがこもります。 ♪ 赤い夕日が 波間に沈む 涯は何処か 水平線よ 今日も遙々 南洋航路 男船乗り 鴎鳥 ♪
カナリヤホールにはもっと早く行きたかったのですが、場所をPCで検索しても見つかりませんでした。今回は観覧申込みの際に事務局さんに聞いてみると、ネットに出る、鯨料理専門店「捕鯨船」の隣りだと分かりました。因みに、この専門店には、来店者の写真が貼られ、ビートたけしさん、高橋英樹親子さんなど、芸能人が多数来店していると聞きました。カナリヤホールは、筑波エクスプレスの浅草駅から数分の場所でしたが、初めてなので反対方向に歩いてしまう失敗もありました。通りには、5月17日~19日迄盛大に行われる「三社祭」のポスターや提灯やノボリが目に付きました。
カナリヤホールに着くと既に、数人の方々が入場を待っていました。外から見上げると、友の会・会報で紹介されていた、楽団員自作のステンドグラスが見えました。1階が喫茶店で、2階がカナリヤホールです。1階の喫茶店では、以前に三男さんと四男さんが働いていた事が有り、2階のホールは、楽団の皆さんで内装工事を行ったそうです。ホールに入ると、見覚えの有る椅子が並んでいました。浅草神社の演奏会の時は、この椅子を運び出して使われています。その度に、階段から運び出したり戻したり、大仕事が有ったのですね。
ホールは、50席程で満席でした。街頭の演奏会とは別の魅力で、間近に迫力の有る演奏を堪能させて頂きました。この日は3回の公演でしたが、私たちは、内2回を観覧させて頂きました。
(続く)