皆さんと私たちと東京大衆歌謡楽団

~東京大衆歌謡楽団の活動や、楽しいエピソードなどを紹介するブログです~

2020年1月31日 東京大衆歌謡楽団が唄う「あの丘越えて」の「あお」と、もう一つの「あお」。

2020年01月31日 | 素朴な?歌曲・歌詞編

 昭和26年、美空ひばりさんが、当時14歳の頃歌った「あの丘越えて」が、東京大衆歌謡楽団の演奏で、現代に蘇っています。その中に「馬」(あお)という歌詞が有ります。
1.山の牧場の 夕暮れに 雁が飛んでる ただ一羽 私もひとり ただひとり
  馬(あお)の背中に 眼をさまし イヤッホー イヤッホー
  私の子どもの頃のかすかな記憶に「塩原多助とあお」の物語のことが残っていました。両方とも、「馬」と「あお」が共通しているので、ちょっと調べてみました。まず、「馬」を「あお」と呼ぶのは、一般的に「黒みを帯びた青色の馬」の事を指すようです。
 「あの丘越えて」では、「馬」としているので、牧場の「馬たち」の事を云っているように思えます。
    一方で、「塩原多助」の物語に出てくる「あお」は、愛馬の名として「青」(あお)と呼んでいます。この愛馬との物語が「塩原多助一代記・あおの別れ」の名場面として、明治の修身
教科書・歌舞伎・講談・浪曲・落語などで、取り上げられたり幅広く演じられたりしています。別れの時、多助が涙にくれると、愛馬・青もポロポロと涙を流し別れを惜しんだと伝えられています。三波さんの歌では、晴れて故郷に帰り迎えに行くと情感豊かに唄われています。
  塩原多助は、身の危険を感じるほどの艱難辛苦のはて、故郷・上州(沼田)を捨てて江戸に向かう際、国ざかいで、愛馬・青と別れることになります。後に、多助は本所に「炭屋
」として、大名屋敷と並び称されるほどの大富豪になり、「塩原多助・立身出世伝」として伝わっています。


2020年1月30日 東京大衆歌謡楽団の演奏曲と、深夜に目覚めてラッキー。

2020年01月30日 | 演奏・元気生活

   いつも通り、東京大衆歌謡楽団の演奏を聴きながら眠りにつきました。ふと、目が覚めると、朝かなと思ったら深夜2時でした。スマホに手を伸ばし、NHKラジオ深夜便を聴くと「1960年代のポピュラーソング特集」をやっていました。ラッキーと思い聴き入っていると、多感な頃に耳馴染んだ曲が流れ始めました。朝になって、主な曲を個人の年表に記入しました。1963年~64年、「長崎の女」・「ああ上野駅」を、東京大衆歌謡楽団が演奏しています。表を見て、舟木一夫さんが同時期にデビューしたのだと気づきました。だから、そのうちに、東京大衆歌謡楽団さんの演奏曲目の中に、舟木さんの歌が入るのかなと期待してしまいます。
   また、舟木さんの「絶唱」には、ほろ苦い思い出が有ります。歌詞に「名さえはかない 淡雪の娘よ なぜ死んだ ああ 小雪」いうフレーズがあります。そんな歌を繰り返し聞いている所を父親に見とがめられ、「だから、ダメなんだ」と怒られた事を覚えています。トホホ。


2020年1月29日 東京大衆歌謡楽団が唄う「あの丘越えて」と、台湾?からも「イヤッホー イヤッホー」。

2020年01月29日 | 演奏・台湾(’19年・初)

   YouTubeを見ていた所、台湾?の皆さんが、番薯音楽教室で「あの丘越えて」を日本語で熱心に練習しているシーンを見つけました。2019年12月末、東京大衆歌謡楽団が台湾演奏の際、観客の皆さんの中に口ずさんでいる様な人がいたのも、日本の歌に親しみを持たれていたからなのでしょうか。
  台湾の街頭演奏の時、雄次郎さんが「色々な方が歌っている曲です。裏町人生
」と話し、司会の方が通訳した時「オー」と歓声が上がりました。台湾の皆さんは、私達より昭和の歌謡曲に親しんでいるのかも知れません。

   東京大衆歌謡楽団と「あの丘越えて」


2020年1月27日 東京大衆歌謡楽団が唄う「あの丘越えて」と、よみがえる思い出。

2020年01月27日 | 演奏・あの歌、この歌

 「あの丘越えて」は、何となく聞き覚えがある歌でしたが、東京大衆歌謡楽団の演奏で改めて知って以降、毎日、何度となく口ずさむ様になりました。曲の1番は、自然と覚えましたが2番~4番までは、つっかえて中々頭に入りません。楽団のレパートリーは、150曲以上と聞いていますから、凄いなあと思います。
「あの丘越えて」 歌:美空 ひばり 作詞:菊田 一夫 作曲:万城目 正
     
  美空ひばりさんは、12歳でデビュー「天才少女」と謳われました。「あの丘越えて」は、1951年(昭和26年)、同名の松竹映画の主題歌として唄われました。ひばりさんが、14歳の時でした。

1.山の牧場の 夕暮れに 雁が飛んでる ただ一羽 私もひとり ただひとり
  馬
(あお)の背中に 眼をさまし イヤッホー イヤッホー

2.お花畑の まひるどき 百舌が鳴いてる 雲の上 私はひとり ただひとり
  遠い都を 思い出し イヤッホー イヤッホー

3.山の湖 白樺の 影が揺らめく 静けさよ 私はひとり ただひとり
  恋しい人の 名を呼んで イヤッホー イヤッホー

4.山の牧場の 星の夜 風に揺れてる 灯は 私とおなじ ただひとり
  泣けば悲しい 山彦が イヤッホー イヤッホー
  イヤッホー イヤッホー

(余談) 歌詞の「イヤッホー」の所は「ヤッホー」になっている場合が有ります。ひばりさん自身がTV出演の際、テロップでは、「イヤッホー」と出ていますが、歌声は、何度聞き直しても「ヤッホー」と聞こえます。どちらにしても、楽団さんの演奏と歌は、何とも心地いいですね。

      映画では、上高地の大正池の畔で、少女(美空ひばり)と、家庭教師に招かれた青年(鶴田浩二)が出会うシーンが印象的でした。
  当サイトの管理人夫婦は、二人が、上高地の社内旅行の幹事になった事が、お付き合いのきっかけとなったので、とても懐かしく思い出されます。結婚50周年を迎える時に、東京大衆歌謡楽団の演奏と歌に共に親しめる事は、とても幸せな事です。
   (参考:YouTube、ウィキペディア)


2020年1月24日 東京大衆歌謡楽団が唄う「浅草の唄」と、戦前版・戦後版の「浅草の唄」。

2020年01月24日 | 演奏・あの歌、この歌

 「浅草の唄」には、同名で、戦前版と戦後版が有ります。戦前版は、昭和8年に、藤山一郎さんにより唄われています。戦後、昭和22年(1947年)には、歌詞とメロディが全く違う「浅草の唄」が、再び、藤山一郎さんにより唄われました。その後、時を経て、昭和45年(1970年)に、関 啓六さんが唄い、リバイバルヒットしました。

〔戦前版〕「浅草の唄」歌手:藤山 一郎、作詞:西條 八十、作曲:中山 晋平。
1.夜更けて 鐘が鳴ります 弁天山の 聴いて かぞえて 泣いて いずこゆく 鐘のひびき
  涙誘うよ 今宵も
2.儚(はかな)や 恋の浅草 雨夜(あまよ)の別れ 紅(あか)い あかりが 濡れて
       泣いたとて 泣いたとて ジャズの音いろに 消えてゆく
3.春雨 なにを祈るぞ 平内(へいない)さまに 結ぶ縁(えにし)の 紙縒(こよ)
  帰り行く 後(うしろ)すがた 町の娘 いとしや
〔余談〕「平内(へいない)さま」とは…仲見世通りを通り過ぎ、宝蔵門を入った右手にあるのが平内堂で、昔から縁結びのご利益があると言われています。

〔戦後版〕「浅草の唄」歌手:藤山 一郎、作詞:サトウ ハチロー、作曲:万女目 正。
1.つよいばかりが 男じゃないと いつか教えて くれた人 どこのどなたか 知らないけれど
      鳩といっしょに 唄ってた ああ 浅草のその唄を
2.可愛いあの子と シネマを出れば 肩にささやく こぬか雨 かたい約束 かわして通る
  田原町から 雷門 ああ 浅草のこぬか雨
3.池にうつるは 六区の灯り 忘れられない よいの灯よ 泣くな サックスよ 泣かすなギター
  明日もあかるい 朝がくる ああ 浅草のよい灯り
4.吹いた口笛 夜霧にとけて ボクの浅草 夜が更ける 鳩も寝たかな 梢のかげで 
  月がみている よもぎ月(もえぎ月
 ああ 浅草のおぼろ月
〔余談〕参考にした歌詞では「よもぎ月」となっていますが、藤山一郎さんの唄を聞くと「もえぎ月」になっています。リバイバルヒットした、関啓六さんの唄の時は、「よもぎ月」となって います。東京大衆歌謡楽団の唄では、ちゃんと「もえぎ月」になっています。「よもぎ月」では、草餅に入るヨモギの葉の色のイメージですね。似てはいますが、やはり「もえぎ月」の「もえぎ」(萌黄:鮮やかな黄緑色系統の色)の方が、春に萌え出る草の芽をあらわす色で、いきいきと明るいイメージになりますね。


2020年1月20日 東京大衆歌謡楽団、復活の「浅草神社 廿日戎」で、奉納演奏。

2020年01月21日 | 演・浅草神社・廿日戎

      浅草神社で、途絶えていた「 廿日戎」が復活しました。その、記念の年に、春を思わせるような晴天に恵まれ、参拝者を含む多くの観衆が聴き入る中、東京大衆歌謡楽団の奉納演奏が行われました。
  演奏は、予定の開催時間より、約30分ずつ繰り下げて、3回に分かれて行われました。
〔マイクテスト〕
 1. 1949(昭和24) 「青い山脈」 若く明るい 歌声に 雪崩は消える 藤山 一郎 (奈良 光枝)
 2. 1932(昭和7) 「涙の渡り鳥」 雨の日も風の日も 泣いて暮らす わたしゃ浮世の (小林 千代子)
〔第1回目・演奏曲目〕
 1.1939(昭和14) 「上海の花売り娘」 紅いランタン 仄かにゆれる 宵の上海 花売り娘 (岡  晴夫)
 2.1931(昭和6) 「丘を越えて」 丘を越えて行こうよ 真澄の空は 朗らかに 晴れて (藤山 一郎)
 3.1935 (昭和10)  「ハイキングの唄」  空は晴れたよ 歓喜の朝(あした) 光り長閑 (楠木 繁夫)
 4.1957(昭和32) 「青春サイクリング」  みどりの風も さわやかに にぎるハンドル (小坂 一也)
 5.1940(昭和15) 「なつかしの歌声」 銀座の街 今日も暮れて  (藤山 一郎・二葉あき子)
 6.1936(昭和11) 「東京ラプソディ」 花咲き花散る宵も 銀座の柳の下で 待つは (藤山 一郎)
 7.1951(昭和26) 「東京の椿姫」 窓うつ風の ためいきか 更けてネオンの 点る街 (津村  謙)
8.1929(昭和4) 「君恋し」(戦前版) 宵闇せまれば 悩みは 涯なし 乱れる心に (二村定一)
 9.1947(昭和22) 「夢淡き東京」 柳青める日 つばめが銀座に飛ぶ日 誰を待つ心  (藤山 一郎)
  〔第2回目・演奏曲目〕
 1.1934(昭和 9) 「急げ幌馬車」 日暮れ悲しや 荒れ野ははるか 急げ幌馬車 (松平   晃)
 2.1938(昭和13) 「旅の夜風」 花も嵐も踏み越えて 行くが男の  (霧島 昇・ミスコロムビア)
 3.1936(昭和11) 「人妻椿」 愛しの妻よ 泣くじゃない たとえ別れて 住めばとて (松平  晃)
 4.1936(昭和11) 「花言葉の歌」 可愛い蕾よ きれいな夢よ 乙女心に (松平 晃・ 伏見 信子)
 5.1950(昭和25) 「夜来香」(イエライシャン)ああわれ春風に 嘆くうぐいすよ 月に切なく (山口淑子)
 6.1946(昭和21) 「東京の花売り娘」 青い芽をふく 柳の辻に 花を召しませ 召しませ花を (岡  晴夫)
 7. 1942(昭和24) 「湯島の白梅」 湯島通れば思い出す お蔦 主税の心意気 知るや白梅  (小畑 実)
 8.1952(昭和27) 「こんな私じゃなかったに」 広い世界にただひとり なぜにあなたが (神楽坂はん子)
 9.1954 (昭和29) 「お富さん」  粋な黒塀 見越しの松に 仇な姿の洗い髪 死んだはずだよ (春日 八郎)
〔第3回目・演奏曲目〕
 1.1951(昭和26) 「あの丘越えて」 山の牧場の 夕暮れに 雁が飛んでる ただ一羽  (美空ひばり)
 2.1948(昭和23) 「流れの旅路」 紅いマフラーを いつまで振って 名残り惜しむか (津村  謙)
 3.1947(昭和22) 「三日月娘」 幾夜重ねて 砂漠を越えて あすはあの娘の いる町ヘ (藤山 一郎)
 4.1927(昭和2) 「憧れの住む街」 丘を越え 山を越え 憧れのすむ町に 夢を抱いて (菅原 都々子)
 5.1958(昭和23) 「三百六十五夜」 みどりの風に おくれ毛が やさしくゆれた  (霧島 昇・松原 操)
 6.1951(昭和26) 「高原の駅よ、さようなら」 しばし別れの 夜汽車の窓よ 言わず語らずに (小畑  実)
 7.1952(昭和27) 「赤いランプの終列車」 白い夜霧の あかりに濡れて 別れせつない  (春日 八郎)
 8.1964(昭和39) 「ああ上野駅」 どこかに故郷の 香りを乗せて 入る列車の なつかしさ (井沢 八郎)
 9.1954(昭和29) 「高原列車は行く」 汽車の窓から ハンカチ振れば 牧場の乙女が  (岡本 敦郎)
10.1970(昭和45) 「浅草の唄」 (戦後版) つよいばかりが 男じゃないと  (藤山一郎
→関 啓六)
〔アンコール〕
 11.1947(昭和22) 「涙の三人旅」 他国の港は 薄月夜 波の遠音に (霧島 昇・二葉 あき子・音丸)
 12.1964(昭和39) 「東京の灯よいつまでも」 雨の外苑 夜霧の日比谷 今もこの目に (新川 二郎)
 13.1935(昭和10) 「酒の中から」 杯に  映る明かりを 飲み干して 今宵も歌おう (有島 道男)
 14.1948(昭和23) 「憧れのハワイ航路」 晴れた空 そよぐ風 港出船の 銅鑼の音愉し (岡  晴夫) 

     終了時には陽もとっぷりと暮れ、全34曲の熱唱でした。
〔参考〕 演奏曲目・歌い出し歌詞・作詞・作曲・歌手の一覧(随時更新中です) https://pub.idisk-just.com/fview/PisvVG2ioWmp0uE1y_ajUjhOkH-i2ChEivRVez_-aUCopHN8LrcNlQ/5p2x5Lqs5aSn6KGG5q2M6Kyh5qW95ZujIOa8lOWlj-absuebriDmrYzjgYTlh7rjgZfpoIbjgIznp4HjgZ_jgaHjga_opovjgZ_ogZ7jgYTjgZ_jgI0g.jtd  


2020年1月19日、20日 浅草神社「廿日戎」復活と、東京大衆歌謡楽団・奉納演奏。 

2020年01月18日 | 演・浅草神社・廿日戎

    関西では、戎(えびす)信仰が根付き、「えべっさん」として親しまれ、戎様をお祀りした多くの社寺で、1月10日に「家内安全」や「商売繁盛」などを願う「十日戎」が行われています。特に、福男が境内を駆け抜ける西宮戎神社や、今宮戎神社などが有名です。境内では賑やかに「商売繁盛で笹持って来い」の掛け声が飛び交います。参拝者は、福笹を授かった後、烏帽子姿の福娘に吉兆の縁起物を結びつけてもらう習わしです。(画像:YouTube)
    浅草神社で復活する「廿日戎」がとても楽しみです。(画像:TOKYOMXTV)日程は次の通りです。
 1月19日(「宵戎」(よいえびす)「福笹・吉兆」の頒布時間は、両日共に、午前9時~午後6時。
 1月20日(月)「本戎」(ほんえびす)           
    かつて浅草神社境内には、明治以降「えびす社」があり、「えびす様」が祀られていました。しかし、東京大空襲により社は消失し、御神体は浅草神社社殿に移され、現在に至ります。
 この「えびす様」は、江戸時代には元々浅草神社境内に「西宮えびす」として祀られており、明治の神仏分離令により当社へ遷座されたとされ、えびす信仰の総社、兵庫県西宮市の「西宮神社」とも大変深い御縁にありました。
 関東では、1月20日が縁日とされ、当社では、令和2年1月19日~20日に「廿日戎」が行われます。
〔吉兆のいわれ〕
 福笹:笹は、常緑で生命力が強い事から、古くから神事によく使われています。授けて頂く笹は、えびす様の釣り竿を表すとも云われ、真っ直ぐ伸びる竹の姿は、商売が発展していく姿を象徴しているともいわれています。
(参考:浅草神社・廿日戎HP https://www.asakusajinja.jp/info/2445/ 

  〔東京大衆歌謡楽団の奉納演奏の予定〕
  1月20日(月)1回目:14時~。2回目:15時~。3回目:16時~。

(参考:連携ブログ「季節の風物おぼえ書き」より転載)

 


2020年1月8日 東京大衆歌謡楽団「台湾演奏」と、その後~12/28 台北市・街頭演奏曲目。

2020年01月08日 | 演奏・台湾(’19年・初)

 2019年12月、東京大衆歌謡楽団は初めての演奏公演を行いました。その中から、12月28日の街頭演奏の曲目を紹介します。
   
 〔 場 所 〕
分かり次第掲載します。
  〔 演奏曲目 〕
 1.1943(昭和18)「南の花嫁さん」 ねむの並木を お馬のせなに ゆらゆらと 花なら赤い (高峰三枝子)
 2.1931(昭和6)「丘を越えて」 丘を越えて行こうよ 真澄の空は 朗らかに 晴れて(藤山 一郎)
 3.1939(昭和14) 「上海の花売り娘」 紅いランタン 仄かにゆれる 宵の上海 花売り娘 (岡  晴夫)
 
4.1936 (昭和11) 「東京ラプソディ」 花咲き花散る宵も 銀座の柳の下で 待つは君一人 (藤山 一郎)
 
5.1954(昭和29) 「二人は若い」 あなたと呼べば あなたと答える 山のこだまの(ディック・ミネ)
 
6.1940(昭和15) 「目ン無い千鳥」 目ン無い千鳥の高島田 見えぬ鏡に いたわしや(霧島  昇)
 
7.1937(昭和1)裏町人生」 暗い浮世の この裏町を 覗く冷たい こぼれ陽よ(上原  敏)
 
8.1951(昭和26) 「上海帰りのリル」 船を見つめていた ハマのキャバレーにいた 風の噂は (津村  謙)
 
9.1946 (昭和21) 「かえり船」 波の背の背に ゆられてゆれて 月の潮路の かえり船 (田端 義夫)
10.1946 (昭和21) 「東京の花売り娘」 青い芽をふく 柳の辻に 花を召しませ 召しませ花を ( 岡  晴夫)
11.1952(昭和27)「赤いランプの終列車」 白い夜霧の あかりに濡れて 別れせつない (春日 八郎)
12.1954 (昭和29) 「お富さん」 粋な黒塀 見越しの松に 仇な姿の洗い髪 死んだはずだよ (春日 八郎)
13.1948(昭和23) 「憧れのハワイ航路」 晴れた空 そよぐ風 港出船の 銅鑼の音愉し ( 岡  晴夫)
14.1946(昭和21)「青春のパラダイス」 晴れやかな 君の笑顔 やさしく われを呼びて( 岡  晴夫)
15.1949(昭和24) 「青い山脈」 若く明るい 歌声に 雪崩は消える (藤山 一郎・奈良 光枝)
(アンコール)
16.1938(昭和13) 「旅姿三人男」 淸水港の名物は お茶の香りと 男伊達 見たか聞いたか (ディック・ミネ)
17.1963(昭和38) 「長崎の女」 恋の涙か 蘇鉄の花か 風にこぼれる 石畳 うわさにすがり(春日 八郎)

動画をご覧になりたい方は、本ブログの、こちらのページをご覧ください。
   https://blog.goo.ne.jp/econess13/e/8c2127e8d66a55fca3c45aded4b817d1

その後、台湾のFB友達の方が、リンクの可否に付いて確認して頂きました。その結果「
FBは、YOUR Hotel 禾順商旅 のスタッフが管理してますので、動画は直接シェアしても大丈夫」との知らせを受けました。よって、下記にリンクを貼らせて頂きました。

  https://www.facebook.com/yourhoteltaipei/videos/2366096753701717/UzpfSTEwMDAwMjk0MTQ1NzcxNToyNjE0NDIyMjUxOTk5MTMx/

  


2020年1月8日 東京大衆歌謡楽団「台湾演奏」と、その後~台北市・私立 愛愛院での、演奏写真と、街頭演奏の動画。

2020年01月08日 | 演奏・台湾(’19年・初)

 東京大衆歌謡楽団さんが、初の「台湾演奏」で訪問したのが、台北市・私立「愛愛院」でした。その時の様子は、( )様の投稿を介して、次の様に掲載させて頂きました。

  12月24日 台北市・老人ホーム「愛愛院」で、台湾での初ライブ。
   クリスマスイブに台北市の老人ホーム「愛愛院」で、午後3時より台湾初ライブ、
  沢山のお年寄りが見にきてくれました。
  一緒に口ずさみ、大いに盛りあがりました。終演後院から感謝状もいただきました。
  夜は、午後7時より、龍山寺そばの「ユアホテル」の入り口前でライブ、
     夜市も出て凄い賑わいでした。
  場所を提供してくれた皆さんに感謝します。初日は最高の出来です。

 今回も、( )様からの投稿で、東京大衆歌謡楽団の演奏スナップが有る事を教えて頂きました。次の手順の「検索」で、五枚のスナップ写真がご覧になれます。

 〔キーワード〕 台北市 私立 愛愛院 HP → 検索

   「財団法人 台北 私立 愛愛院」HPが表示されます。
    その画面の下方に、「108.12.24 東京大衆歌謡楽団」と表示が有ります。
    そこをクリックすると、五枚のスナップ写真がご覧になれます。

       更に、最初の写真の上方の、青い字の、YOUR Hotel 禾順商旅 をクリックします。
    すると、
YOUR Hotel 禾順商旅のHPが表示されます。
    そのHPの、日にちを追って、下にスクロールして、12月28日迄行くと、
    何と、東京大衆歌謡楽団の街頭演奏の動画がご覧になれます。
    しかも、アンコールに応えて、合計17曲も熱唱しています。

 



2020年1月1日 「ホテルニューオータニ・幕張」で、東京大衆歌謡楽団の演奏会。~公開版~

2020年01月02日 | 演奏・Hニューオータニ幕張

      ~ 令和2年 元日 明けましておめでとうございます ~

         
 令和2年の東京大衆歌謡楽団の演奏活動は、ホテルニューオータニ幕張からのスタートになりました。演奏会場は、前年までは円形テーブル席でしたが、今回は、より多くの観客に応えるため、シアター型式の椅子が、320席余り用意されました。(会場内の撮影は、演奏前は、OK。演奏中は、NGでした)
 楽団の皆さんは、30日に初の台湾演奏から帰国したばかりで、31日は強風と寒空の中、山谷越冬闘争演奏会を敢行して、皆さんの体調がとても心配でした。
 いざ演奏が始まると、軽快にリズムを刻む伴奏に乗せて、明るく伸びやかな歌声が響き、盛況な入りの観客も、大いに盛り上がりました。
 当日の演奏曲目は、次の通りです。
 1.1931(昭和6)「丘を越えて」 丘を越えて行こうよ 真澄の空は 朗らかに 晴れて(藤山 一郎)
 2.1939(昭和14)[上海の花売り娘] 紅いランタン 仄かにゆれる 宵の上海 花売り娘( 岡  晴夫)
 3.1936(昭和11)「東京ラプソディ」花咲き花散る宵も 銀座の柳の下で (藤山 一郎)
 4.1938(昭和13)「旅姿三人男」 淸水港の名物は お茶の香りと 男伊達 (ディック・ミネ)
 5.1937(昭和1)「裏町人生」 暗い浮世の この裏町を 覗く冷たい こぼれ陽よ(上原  敏)
 6.1940(昭和15)「蘇州夜曲」 君がみ胸に 抱かれて聞くは 夢の船歌 (渡辺はま子・霧島 昇)
 7.1936(昭和11)「花言葉の歌」 可愛い蕾よ きれいな夢よ 乙女心に (松平 晃・ 伏見 信子)
 8.1938(昭和13)「旅の夜風」 花も嵐も踏み越えて 行くが男の 生きる道 (霧島 昇・ミスコロムビア)
10.1952(昭和27)「赤いランプの終列車」 白い夜霧の あかりに濡れて (春日 八郎)
11.1964(昭和39)「ああ上野駅」 どこかに故郷の 香りを乗せて 入る列車の (井沢 八郎)
12.1964(昭和39)「
東京の灯よいつまでも」 雨の外苑 夜霧の日比谷 今もこの目に ( 新川 二郎)
13.1929(昭和4)「君恋し」 宵闇せまれば 悩みは 涯なし (戦前版)二村定一(戦後版)フランク永井
14.1949(昭和24) 「青い山脈」若く明るい 歌声に 雪崩は消える (藤山 一郎・奈良 光枝)
15.1948(昭和23)「憧れのハワイ航路」 晴れた空 そよぐ風 港出船の 銅鑼の音愉し (岡  晴夫)
16.1946(昭和21) 「青春のパラダイス」 晴れやかな 君の笑顔 やさしく われを呼びて (岡  晴夫) 
17.1957(昭和32)「青春サイクリング」 みどりの風も さわやかに にぎるハンドル (小坂 一也)
〔アンコール〕
18.1963(昭和38)「長崎の女」恋の涙か 蘇鉄の花か 風にこぼれる 石畳 うわさに (春日 八郎)
19.1954(昭和29)「お富さん」 粋な黒塀 見越しの松に 仇な姿の洗い髪 (春日 八郎)
  
〔 余 談 〕
  本ブログを運営する私達夫婦は、金婚の年回りになりました。この機に、家族の親・子・孫と、三代、計8名の、演奏会参観が実現しました。更に、東京大衆歌謡楽団の皆様と、家族全員の記念写真が残せた事は、一生涯の思い出とする事ができました。皆様にとりましても、東京大衆歌謡楽団と共に、楽しい時が過ごせますよう、心よりお祈り申し上げます。