笑っておっぱいを取り戻す!

乳がん発覚から乳房再建までの奮闘記

笑っておっぱいを取り戻す???

2020-08-18 13:08:00 | 乳房再建
2019年7月乳がんが発覚し、手術、追加切除(2回)、放射線治療を受け、2020は年7月一応乳がんの治療は終了。

去年の10月から自家組織再建を目指して形成外科にかかるも、3月一旦中止になった。お陰で再建について改めて考える時間ができた。

シリコンでやるとしても、最低2回、体にメスを入れる。全身麻酔も2回。自家組織なら、加えてお腹も大きく切る。手直しとか、壊死した場合には、部分麻酔かもしれないが、さらに切る。この1年間で、チョキチョキ体を切り刻んだ。もう切りたくないなぁ。痛い思いはやだなぁ。と思う。

この嫌な気持ちを抑えてでも、再建したら明るい未来が開けるのか?いや、待てよ。このままだと私の人生暗いの?

まず、日常生活に支障はない。幸か不幸か小さな胸なので、片方なくてもバランスが悪くて肩が凝るなんてこともない。

水着もなんとか着られる。上に何か羽織れば問題なし。そもそも、大胆に水着で堂々と闊歩する年齢じゃない。水着については3月20日のブログ参照。

お風呂は?乳輪乳頭は残ってるから、堂々と入っちゃえば、いいような気もする。幸い?豊乳じゃなくて、左右のギャップがないから、気がつかれないかも。今は放射線焼けがあるから目立つけど、色が冷めたら分からないんじゃないかなぁ。

それか、これ↓着けて入ればよくない?恥を忍んで写真を公開。全摘したのどっち?っていう質問は心の中だけにおさめておいて下さい、

これは百均のアカスリタオルをネジって輪っかにして縫い合わせたもの。こんなのつけてる方がかえって目立つかな?

さらにこの上にもう一枚大きなアカスリタオルをかけるバージョンも考えた。このピンクのだけかけるんでも、いいのかもしれない。


温泉では、ブラつけて入ったら断られちゃうかもしれないけど、少なくとも、災害時に自衛隊が作ってくれるお風呂に入るときは許してもらえるんじゃないかな。

こんな工夫でお風呂もクリアできたら、もう困ることはない。強いて言えば、一緒に温泉に行く人に、乳がんだったことを知られちゃうってことかな。でも、元気で堂々と温泉入ってれば心配かけることもないし、それなら知られてもいい。

手術でおっぱいを失ったと思ったけど、そうじゃなかった。乳頭乳輪もあるし、高さがないだけで、私のおっぱいは今もちゃんとある。中に乳腺がなくったって、女じゃなくなったなんて思わない。手術後、一度も乳房を失ったことで落ち込んだことはない。

2月に再建が中止になったとき、問題に押しつぶされて、再建したいのに諦めることは絶対したくないと思った。でも、考える時間をたっぷりもらって、本当に再建する必要があるのか考えていたら、再建したいのかどうか分からなくなってきた。

再建をするには、また何回か痛い思いをしなくちゃいけない。手術をすればそのあと、しばらくは、好きなスポーツもできない。そんな犠牲を払っても、手に入れたい将来の胸のある生活って何だろう?手術を受ける時間とお金を別のことに使う方が幸せなんじゃないの?

12月には腹腔鏡下で子宮筋腫摘出手術を受ける。これをやっておけば、将来自家組織再建もできる。いずれにしても再建はその後。放射線照射を受けてるから、ずっと後かもしれない。再建の可能性を確保した上で、これからゆっくり考えようと思う。


後ろ向きには再建を諦めない

2020-08-17 12:55:00 | 乳房再建
2019年7月乳がんが発覚し、その直後、この先生に任せれば間違いない!という自家組織再建の第一人者に紹介していただけるとの話を頂いた。まだがんの切除手術を受ける乳腺科も決まらないとき。

ちょうど、再建用シリコン部材の世界的なリコールがあり、シリコンを使った同時再建はできなくなっていた。このときまだ、自家組織再建を乳腺摘出と同時にできることは知らなかった。再建のことは乳腺の手術後に考えることにして、9月手術を受けた。

退院のわずか3日後、兄に連れられ、自家組織再建の先生を紹介してくださるという、兄の友人の矯正歯科医に挨拶がてら話を聞きに行った。

片胸を失ったことに対して、すごく同情してくださった。この先生なら本物のように再建してくれること、シリコンより、脂肪注入より、自家組織再建の方が自然にキレイに仕上がることを力説されていた。矯正歯科だから、医学的知識に基づいたご意見。

私が「子育てしなければ、乳房は(生命維持に)不要な組織だから、再建するかも迷う」と言うと、目を丸くして「俺らがそんなこと(不要な組織なんてこと)言ったら袋叩きに合うよなぁ、〇〇」と兄に相槌を求め、再建は必須と熱弁された。

そもそも、兄もそう思っているからこそ、退院直後に私を連れてきたのだった。男二人にとって、女性が乳房を失うのは、大問題に映るらしい。熱く語られると、そんな気がしてきた。私だって、ないよりあった方がいいと思ってたし。ただ、乳輪乳頭は残っていて、このときはまだ乳腺のあった部分に大量の水が溜まって膨らんでいたので、喪失感は感じてなかった。

その場で、形成の先生に電話していただき、すぐに診ていただけることになった。通常でも半年以上待つのが当たり前の大人気の先生。おまけに転勤前だから、本来新患はとれない時期だった。

10月から形成外科に通院し、3月にエキスパンダーを入れる手術を受けることになった。ところが、術前検査までやってから、中止になった。この辺の経緯を知りたい方は過去のブログを見てください。

再建が中止になったとき、次から次へと起こる理不尽なことに疲れてしまって、こんなことならもう再建はしなくてもいいや。と、後ろ向きな気持ちで再建を諦めそうになった。でも、それはよくないと思い、自分を奮い立たせるために、このブログを立ち上げた。おっぱいを取り戻す!と世間に宣言して後に引けないようにした。

この一年の闘病記録

2020-08-16 16:40:00 | 乳がん
2019年7月に乳がんが発覚してから、病院とは縁遠かった私がしょっちゅう病院に行っている。

思えば2019年は、乳がんの前哨戦とも言うべきか、年明けに大腸がん検診に引っかかり、内視鏡検査とポリープ切除から始まった。7月に乳がん発覚。入院前に舌に出来た良性腫瘍を切除。9月初めての入院、そして左乳腺全摘。10月親不知三本同時抜き。11月足の裏にウィルス性のイボができ、それ以来、7月までほぼ毎週液体窒素で焼いてもらった。そして4月、乳房の癌が触れていた皮膚の追加切除(2回)。その病理の結果、放射線照射が必要になり、5月末から7月初めまで毎日受けた。身体中腫瘍だらけで、切り刻んで痛めつけてる感じ。さらに子宮筋腫摘出に向けて婦人科にもかかっている。子宮筋腫の手術は8月でもできると言われたが、酷暑かつコロナ禍の中は避けたかった。9月と11月は担当してるイベントがあるから、12月に入れてもらった。

また、2019年10月から自家組織再建を目指して形成外科に通院。3月にエキスパンダー挿入と皮膚の追加切除を同時にやる予定だった。ところがその手術の術前検査の日皮膚の追加切除と同時にできないとの見解に変わり、あえなく中止。

その後、追加切除は4月に終わったものの、予定になかった放射線照射を受けたので、皮膚が柔らかくなるまで再建はお預け、なんだろうと思う。(皮膚の状態を形成の先生に診てもらわないと確実ではないが)

去年の6月から病院に行かない月はなかった。今月初めて病院なしの月。束の間の休息。9月からは、子宮筋腫摘出に向け、薬をもらったり、術前検査を受けたりと、また病院通いが再開する。

遺伝子検査を受ける価値は大きかった

2020-08-13 20:48:00 | 乳がん
2019年7月乳がんが発覚し、9月左胸全摘手術を受けた。術前の予測では抗がん剤も放射線も不要とのことだったが、術後再建の結果は、両方とも必要という、大ドンデン返しだった。

抗がん剤は髪の毛が抜けるし、10年間くらい手足が痺れるとか、だるいとかの副作用の恐れもある。と聞いていたのでどうしてもやりたくなかった。

見えてるがんは手術でとっちゃったから、抗がん剤をやっても、癌が消えるとか小さくなるとかの目に見える効果はない。何も起こらなければやってよかったということだと言われても、やらなくても再発しないかもしれないので、腑に落ちない。見えない、本当にいるのかどうか分からない敵との戦いのために、みすみす今の健康体を失うのか?そんな気がしていた。

そこで、45万円という高額な費用をかけてオンコタイプDXをやった。その結果、ホルモン治療をやった場合の再発率3%、それに加えて抗がん剤をやっても上乗せ効果1%未満、つまり、抗がん剤をやっても意味なしとの結論に至り抗がん剤は免れた。

45万円で、副作用のない10年間の健康を買ったと思った。でも、たまに、抗がん剤をしなかったことで再発するかもという心配が頭をもたげていた。

ブロ友さんで、キュアベスト95GCを受けた方がいらした。

キュアベストは95種類の遺伝子を調べ、費用は22万円。これに対しオンコタイプDXは21種類で45万円。オンコタイプは割高だったかぁ。とか思いながら、読み進めると、キュアベストを受けた理由が書かれていた。


抗がん剤は、しばらく使うとがん細胞が耐性を持って、効かなくなる(獲得耐性)。幸いなことに乳がんは使える薬の種類が多いが、それでも、使える弾数に限りがある。使い切って仕舞えば後は諦めるしかなくなる。

今、必要がないのに抗がん剤治療を受ければ、ムダに抗がん剤を1種類使うことになる。そのためにがん細胞が耐性を持ってしまうかもしれない。そうすると、再発・転移した時の切り札をみすみす1枚捨てることになる。切り札は多い方がいい。今この切り札を使うかどうか遺伝子検査で調べる価値は大きい。

というものだった。この視点は、オンコタイプを受けることにしたときの私にはなかった。先生もこれは言ってなかった。そもそも、抗がん剤に獲得耐性の問題があることも知らなかった。

結果としては、一枚切り札を温存できたんだ。よかった。


癌になっても始められなかったこと

2020-08-08 17:26:00 | 日記
2019年7月乳がんが発覚し、9月に全摘手術を受け、2020年4月に2回の皮膚の追加切除、5〜7月にかけて放射線治療を受けた。

癌になって始めたことを書き出したら、結構たくさんあることに気がついた。前回まで6回にわたって書くほどあった。癌になったことも大きいが、テレワークで家にいる時間が長かったことも大きいみたい。

一応、昼間はちゃんと仕事をしていたが、朝、煎じるものを用意して保温器にしかけて昼に冷ましたり、ちょっと休憩の時間を使ったりできたので。言い訳?

やろうと思って続かなかったこともある。通勤しないと運動不足になるので、毎日拭き掃除をやろう!と思い立ったのだが、やろうやろうと思っているうちに、放射線治療が始まり、毎日片道30分歩いて通院することになったので、やめてしまった。放射線治療が終わっても始めず、結局、一回も実践してない。これから仕事に行かない日はやろうかなぁ。でも、暑いなぁ。涼しくなったらやろうかなぁ。。。やらない気満々。