★【最重要・理学講義】 ☆『愛に比較はありえない。「不幸とは関係性で産まれる比較」』!
不幸だという「思い」は『他人「との関係から産
まれる比較」』にある。
なぜなら『好きな人、恋人や趣味を
「他人と比較」することはない』から。
例えば、誰かがあなたに向かって、
「あの人は辞めとけ」とか「オタク趣味だな」と言っても
あなたの『行動は変わらない』はず。
そこには
☆☆☆☆☆『無比較な「愛がある」』から。
あなたが「好きなこと」
「無」比較は、功徳とともに『どちらも「思考意図を介在しない」』。
このため
☆☆☆☆☆『「無我夢中の行為に没頭する」か、
恋愛瞑想以外で、
★★★無比較な意識を識るには、
一般的には『方便となるワークが必要』となるだろう!
これは
いずれの道も『無我の祈りに昇華していく
「慈悲の瞑想・祈りと自観・内観」』だ!
一方で
『理詰めで☆☆☆「思考限界に出逢う」・宗教理学』もある。
『それ』は
✧✧✧✧『「自問自答」し、考え抜く』道。
★★★「現象世界で生じる比較」には
『気づきに出逢う「影だけでなく光」が在る』!
これは
中国の標高3000メートルの村に住む
世界最貧民といわれる「天空の村」に住む人達の話!
彼らは「豊かになろう」、
★★★「他の中国国民のように」出世しようと
☆☆☆☆☆『何とか貧しくても※「家族と」生活できる』のに、
必死に「子供を家に残して」都会に出稼ぎに出かけ、
子供を大学に入れ公務員にさせようとする!
一見
普通は美談や資本主義の格差社会への
批判に見えるだろう!
しかし
この話は、まさに『「物質の豊かを求め続け」
★★★「他人との比較幻想の闇だけを見続ける行動」で
彼らは✦✦✦✦✦「自分で自分の首を絞めながら」苦しんでいる』
彼らが『他者との比較と同時に
★★★★★「無宗教で※無我の祈りを識らない」
ことと大きく関係している!
なぜなら
同じように、かつて世界最貧民の秘境と
言われたチベット人達は
同様の貧しさの中で生活しながらも
『「マニ車を回し祈る」☆☆☆☆☆深い信仰に身を委ねて
☆☆☆「家族や周囲の人達と共に無事に毎日生活する」
こと「だけ」に感謝し、幸せを感じていた』のだから!
これは
一つには『秘境で外側の情報や物質が
チベットに当時は入らず、
★★★周囲に「比較対象となる貧富の
✧✧✧✧格差がなかった」』ことが大きかった。
しかし
ここから学べる宗教理学はまさに
☆☆☆☆幸せとは「最低限の衣食住が確保された状態」
なら
「外側の環境と無比較」な『足るを識る
「今ここに在る内側の歓びハートの光に眼を向け、
大いなる存在・大自然に感謝を感じる」』ことだから。
『周囲の人達や家族が
☆☆☆☆☆奇跡的に「生かされてだけで有り難い」』と
想う感性に愛を識る鍵がある!
現在では
☆☆☆☆『内側に眼を向けた歓び、
信仰を生活のベースにしていた』中国側のチベットもブータンも
資本主義社会の情報が
大量に流れて欲望が肥大した』ことで
✧✧✧✧✧内側の歓びに眼を向ける力が薄れてきている。
かえって
★★★★★『比較の思いが強まり個々の分断を
産み不幸、自我が拡大してきている』。
不幸の意識構造は
宗教理学の☆☆☆☆☆『「人間脳」の働きを突き詰める
✡智慧』に眼を向ける『機運(因縁)があれば、
世界中の誰しもが気づく』ことになるだろう。
ただ
※『一度外側に目が向いたマインドの呪縛は
★★★★★「自我実現の果て」で、初めて遭遇する
愛の錬金術・TAO』でしか溶かせない。
合掌
叡空拝
森羅万象が調和しますように。御心のままに。
神様の意に沿い、自らの歓びが他者の歓びで在りますように。
大いなる存在ありがとうございます。