おはようございます。
2023年敬老の日
今日のニュースで、日本人の10人に1人が80歳以上だとのこと。
今思えば、私の子どもの頃、
母方の祖父母は、
現役を引退して、長男夫婦の隣宅に
住んでいました。
祖父は、戦争にも出兵していました。
器用で几帳面で、優しい人でした。
冬になると、其々の孫の足にあわせてわらじを編んでくれました。←母の話では、母のが子どもの頃は、余りの毛糸を使ってセーターを編んでくれたと懐かしそうに語っていました。
私は、母方にとって最初の初孫でした。
私が進学するために、田舎を離れる時、祖父は寝たり起きたりの生活でしたが、頑張って勉強しておいでと励ましてくれました。←当時、スマホはなく、寮に1台ある電話の前に、10円玉を沢山抱えて並びました。関東から九州なので、10円玉の落ちるスピードの速さは凄まじく、あっというまに掌のお金はなくなっていました。
私が初めて冬の帰省で田舎に帰った時、祖父は肺がんで病院で寝たきりとなっていました。
私の記憶では、毎日のように祖父の病院に出掛けていました。
祖父に声をかけ、手に触れわずかな反応にも祖父の意思を感じました。
毎日少しずつ少しずつ反応が乏しくなり、冬休みに祖父は帰らぬ人になりました。
今思えば、大好きだった祖父の臨終の時に、私は立ち会うことができたのは幸いでした。私が生まれた時も、祖父母は遠距離にもかかわらず、かけつけてくれたと聞いていました。←最近、父方のおばから、父方の祖父とおばも、私が生まれた時、産院に来てくれたと教えてもらいました。
祖父母、両親、おじやおば、いろいろ人の愛情に育まれてきました。ありがたい記憶です。
その命バトンを子ともたちに渡せて、今は良かったと思います。
昭和の祖父母世代と令和の私たち。暮らし方はずいぶん違います。昭和は、不便な時代だったからこそ、直接逢って話して触れあえるその時々が、愛しい時間になったようにも思います。
今日は、敬老の日。
田舎の父に、電話をかけようと思います。
「お互いに元気でいようね、お父さん」
敬老の日、私ももうすぐ仲間いり。私も、自分自身を労ろうと思います。
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