Little Tree

日々のいとなみのなかで感じた子どものこと、季節の移ろいやこころに映る風景

「経験を言葉にして伝えるために」・・・

2009-07-26 18:00:36 | 表現すること
夕方の5時を過ぎても、太陽の光につよい輝きが感じられます。

昨日の今頃は、ちょうど丸一日の充実した講義を聴き終えて
銀杏並木を見上げていた頃でしょうか?



どれほどの長い時間をかけたとしても、
私の中で言語化できるモノコトには、限度がありますので

「とりあえず」のところで、気にかかったキーワードだけでも
コチラに書いておくことにいたしましょう。(以下転載)



【プログラム】
1.1死生学コア          
・死生学とは何か - 医療現場と人文学の役割  
島薗 進 (東京大学 宗教学)

2.1臨床死生学コア
・臨床死生学ベーシック1 (ケアにおける死生の理解)
清水 哲郎(東京大学 臨床死生学・臨床倫理学)
・臨床死生学ベーシック2 (臨床倫理学/スピリチュアルケア) 
清水 哲郎

1.2 死生学トピック          
・ケアの現象学に向けて     
榊原 哲也(東京大学 哲学)

お話は、上記の順番で、後半の間にコーヒーブレイクがありました。



これまで、「死生学」という全5巻のシリーズを、ところどころながら読んできましたが

実際に、島薗先生のお話を伺って、まず一番に感じたのが
「おそらく、今の私にとって切実な課題として」学ぶ必要があったのかもしれない

ということでした。

私にとって「夫の父親を在宅で見送ったこと」を、きっかけにして

そのことを、自分なりに納得できるカタチで受け止めること
そして自分自身のことも含めて、どうしても考えずにはいられないことが

表面化してきている…ということなんだなぁと、改めて想いました。


私自身のことを離れた部分で、特に気になったのは

日本においては…「宗教」に距離を置いている人々にとって

「死と生を考える」ことへのニーズがあるのでは…という言葉でしょうか。

さらに「医療や臨床場面」および「教育」における「死生学」のアプローチに
ついて、今後も注目されて行くことになると想われます。


ついで、「臨床死生学」と「臨床倫理エッセンシャル」について
清水哲郎先生のお話を伺いました。

参加者は、主に医療や介護の現場で働いている方が多くいらしていたようで

「倫理学」や「哲学」などの、人文社会科学系の分野の理論や方法などが

実際の現場での「社会的なニーズ」に応えるものになりうるかどうか?という視点が
清水先生のお話の中で示されていました。

看護系の大学や医療従事者の方々とのお話し合いの中で「臨床倫理」という考え方を
展開なさっていらっしゃるとのこと。

「《同》の倫理と《異》の倫理」のお話が、とても興味深く感じました。


最後の講義は、「哲学」がご専門の榊原哲也先生から
「ケアの現象学に向けて」というお話を伺いました。


何といっても、私には一番なじみのない「哲学」ですけれど

(その名前を聴いただけでも、怖じ気づきそうな…)

フッサール、ハイデッガー、メルロ=ポンティという3人の「現象学者の肖像」の
写真を資料につけてくださいましたし

とても物腰の柔らかな、親しみのもてる語り口でいらしたので

ムズカシイ言葉や概念に触れて

「こんなふうに、こだわって突き詰めて考えていく人がいるんだなぁ!」と、

哲学者という人々の生態(?)の一面が
「分かったような…」気持ちになりました。

(裏を返すと、私には、何ほどのことも言語化はできていないんですけれど…)

榊原先生のお話にありました

『「経験を言葉にして伝えるために」…概念が必要=「哲学」(=理論化?)』

という言葉が、とても印象的でした。


ということで、皆様に何ほどかのモノを伝えることが出来ているとは
到底想えませんけれど…


色々な分野の方々が、「人の死と生をめぐって」色々なアプローチをなさっている

ということがわかってまいりましたので


私も、自分にできる範囲で、少しずつでも学びながら

ささやかながら出来ることをしていけたらいいなぁ、と想いました。



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