Little Tree

日々のいとなみのなかで感じた子どものこと、季節の移ろいやこころに映る風景

『認識のズレ』・・・?

2008-10-23 10:13:53 | 表現すること
昨晩のうちに、雨が降ったのでしょうか?

雨上がりの湿った空気も、ひんやりとして心地よく
雲のスキマから青空も覗いています。

天気予報の「曇り→雨」マークより、ずいぶんと良いほうに感じられます。

雨の降り出しは、夜になるのでしょうか?


聴こえているのは「朗読の講座」の加瀬先生の朗読による、ラジオ文芸館名作選のCDで
作品は、藤沢周平作『贈り物』です。


(聴きながらブログを書く・・・という「ながら族」で申し訳ありませんけれど)

おうめと作十の会話に耳を傾けていると

じきに、先生の語られる臨場感に引き込まれるようにして、思わず聞き入ってしまいます。

BGMや効果音も入っていますので
目を閉じると、ぼんやりながらもアタマの中に
その場面の映像が浮かび上がってくるような気がします。


作品の余韻を確かめながら、浮かんでくる言葉というと…

「人の想いやその行い」というのは、ほんとうに奥が深くて複雑で

何がしかのことを理解したり、それを言葉で表現することなど
そうそう、おいそれとできることではないものだなぁ…という「途方のなさ」でしょうか?


一時、空を見上げているうちに

「それはそうだけど…
そんなことだけ、言ってもいられないし…」と、気を取り直して

「朗読の講座」に出かけるまでの僅かの時間に、何をお話いたしましょう…


まずは、思いつくままに「映像→ブログ」のつながりでいきますと

先日の「プロフェッショナルの脳活用スペシャル」もとてもオモシロかったですね!

我が家では、昨日録画したものをkirikouと一緒に

彼はゲーム○ー○をしながらで、私は「博士の愛した数式」の朗読の練習をしながら観ました。

まったく、ヘンな親子!かもしれません。

そうそう「あこがれの人」を見つけるのは、とっても良いきっかけになりますね!

生き方にしても、文章にしても、「言葉の語り方に」しても…

まずは、その方の世界にどっぷりと浸っていると、
考え方や書き方や話し方も、(おそらく意識するしないに拘わらず?)
少しずつ似てくるように想います。

親子だって、遺伝的に伝わるモノもあるとしても
日常生活の中で影響を受けて、イヤになるほどに似てしまうことってありますもの。

ただし、元々もって生まれた基本的な部分は、ほんとうに「一人一人千差万別」です。

例えば、同じ作品を朗読しても、おそらく語られる人物の描写も雰囲気も
朗読する人の持ち味どおり、それぞれに違ってくるのではないでしょうか。


さて、お話は飛びますけれど…

今朝のニュースの中で、とても気になったのが『認識のズレ』という言葉でした。


スタート時点で、『認識』って何?ということを、問いだしたら
私のようなシロウトでは、到底手に負えない深みにはまってしまいそうですので
なるべく、限定した意味で使いたいんですけれど。


gooの辞書では(以下引用)

にんしき 0 【認識】 (名)スル

(1)物事を見分け、本質を理解し、正しく判断すること。また、そうする心のはたらき。
「経済機構を正しく―する」「―を新たにする」「―に欠ける」

(2)〔哲〕〔英 cognition; (ドイツ) Erkenntnis〕人間(主観)が事物(客観・対象)を認め、それとして知るはたらき。また、知りえた成果。感覚・知覚・直観・思考などの様式がある。知識。

(因みに家にある古い広辞苑には

「知識とほぼ同じ意味。知識が主として知りえた成果をさすのに対し、認識は知る作用およびその成果をさすことが多い。」とのこと。

コレはちょっと使えないなぁ…と想って観ると、昭和55年判で30年も前の記述ですから…

言葉の意味も使われ方も、
もしかすると(どんどんor少しずつ?)変化しているのかもしれませんね!)


さて、

(2)の説明によると『人間(主観)』が『事物(客観・対象)』を認め、それと知る働き。

ということで、「主観」を元にしているから「ズレが生ずる」というわけですね。

(「主観」がいけないと言うのではなく

そういうものの上に成り立っているものだということを理解して
その上で考えることが大切であろう、という意味で申し上げております。)


私自身、日常生活の家族との会話の中でも、一見小さいようでいて
実は『大きなズレ』をもたらすような出来事を、経験することがしばしばあります。

なるべく、解りやすくて具体的な例を考えてみますと…

「今日のお味噌汁は、ちょっと薄いんじゃないの~?」と夫。

「え~?そうかしら、いつもどおりだと想うけど、
薄味の方が身体には良いのよ。」と答える私、などなど。


味覚も健康に関する考え方も…それぞれ違っているので

しょっぱくて、濃い味の方が美味しいと感じる人もあれば
やっぱり「塩分は控えめに」と想う人もいて

それは「必要であれば、その都度話し合ったり、確かめ合って

すり合わせたり、折り合っていくしかない」と想います。

それは、(もっと言えば「障碍が云々というレベル(範疇)」ではなくても)

多くの皆様が、お感じになったり経験なさっていることではないかと想います。


今回のニュースのように…

人の命を左右するような現場で、そのようなズレが生じてしまうことは
決してあってはならないことでしょう。

ただ、人が人の命を預かるということを考えたとき
ドチラにとっても不幸な出来事が起きないような「手立て」を
是非とも講じて欲しいと強く想いました。



ご家族のお気持が安らかになられますよう、心よりお祈りしつつ…

今日のお話をひとまず終えることにいたします。



皆様も、穏やかなお健やかな佳き一日をお過しくださいね…



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