土曜の夜中は、そうでした!
忘れないうちに宿題をしておこうと想っていましたのに…
中井先生や熊木先生をはじめとして、丁寧に「人を診る」お医者様のお話が、どうも気になります。私にとっては、色々な意味で、とても必要でありかつ興味深く…勉強になっています。ありがとうございます。RT @tetsuo_kumaki こちらこそ、いつもありがとうございます。
00:43 from web
こちらこそ~!RT @en_katsu 嬉!
00:47 from web
昨日は、とっても暖かくなりましたね!午後、磯子に出かけました。「生涯学習コーディネーター養成講座」修了生が集まって、5か月程ふ~ふ~言いながら「冊子作り」に取り組んでいます。RT @twryossy こんにちは。RTありがとうございます。土曜の昼、いかがお過ごしでしょうか。
00:53 from web
お知らせありがとうございます!本巣市のサイトに、淡墨桜のライブ映像や写真が、毎日掲載されているんですね!http://ow.ly/1wQW3 RT @a_rin 本巣市のページにライブカメラあります。…(^_^;; 再 http://bit.ly/aICzFo
00:58 from web
映像があるなんて!ありがとうございます!RT @sapana387 仏陀の産湯映像ですhttp://bit.ly/ayrV3c RT @twryossy【今日の季語】仏生会(ぶっしょうえ)灌仏会」「花祭」などとも。釈迦が生まれる際に竜王が甘露の雨を降らせて産湯としたという伝説
02:24 from web
好きなのかもしれず?とらわれがちなのかもしれず? RT @IshihataAi 人は、過去が好きな生き物なのかもしれない。いつの時代も、人は「最近の若者は」と苦言を呈し「それに比べて昔はよかった」と言う。けれども、教育という営みは、過去を参照しつつも常に未来に向けられている。
02:27 from web
過去は変えられないけれど、未来を想像しつつ、それも想像である事を知りつつ、創造することを念頭に、今を生きる事…RT @IshihataAi だから、私は、過去の地域社会を参照しつつも、ただノスタルジーに浸るのではなく、未来の地域社会のことを考えたい。
02:34 from web
そうですか…「年齢」にも左右されず、できる限りその辺りの「柔軟性を持ち続けられるか…」「立場を替えたり、複数の視点を持てるか…」について、自分自身に問い続けることができたらいいなぁと想います。RT @IshihataAi とらわれがち。その表現がぴったりな気がします。
02:39 from web
そうでしたか!「地域社会」の課題が、実はその「過去」と「現在」のつながりにあるかもしれませんネ。そして「地域教育」には、過去と現在の間に溝?ギャップがある?RT @IshihataAi 今、地域社会と地域教育についてのコラムを書いているところなんです。さっきのはその下書きです。
02:53 from web
あら~気づいたらこんな時間です。実は、持ち帰ったデータをもとに作業をしようと想ったら、私のPCにはフロッピーディスクを入れる所が無くって。そんな事も気づかずにいたとは、オッチョコチョイも甚だしく呆然としてただ笑うしかなく、仲間にHelpメールを出しました。では、おやすみなさい…
07:53 from web
各地に、三春の滝桜の子供の木が、生えているんですか…「桜守」がいらしたのかしら? RT @shirocco1いわき市ですねRT @twryossyさっそくネットで検索してみました。これですね⇒ http://bit.ly/aRbZce う~ん、すばらしい。今まで知りませんでした。
07:56 from web
こちらが、いわき市諏訪神社の桜の巨樹ですね…RT @twryossyお久しぶりです。見事な巨樹ですね!どのあたりにあるのですか。 RT @lililulu1220 夫と二人で夜桜を見て来ました。
07:57 from web
「たんぽぽ」ですね…RT @twryossy 【今日の季語】蒲公英(たんぽぽ):漢字表記は漢方薬名として伝来。その形から「鼓草(つづみぐさ)」の異称があり「たんぽぽ」の名は鼓の音を表す擬音語とされる。◆たんぽぽや日はいつまでも大空に(中村汀女) #jhaiku kigo
08:02 from movatwitter
「たんぽぽ」といえば…子どもが一歳になる前に通っていた赤ちゃん教室の仲間で作った子育てサークルの名前が、「たんぽぽ」だったはず。色んな想い出
08:03 from web
言葉は音から…?RT @twryossy【今日の季語:追記】鼓の音の擬音語は、能楽師だった松本きよしの「チチポポと鼓打たうよ花月夜」の句にも見え、「たんぽぽ」と「ぽぽ」の要素が共通する。他に江戸期のものには「ちちっぽぽ」「ちっぽう」などの用例もある #jhaiku #jkigo
08:05 from web
adankaoさま、私も初めてです~!RT @twryossy 江戸初期の俳諧などにこの名が出て来ます。「鼓小草」の名もあるようです。 RT @adankaoおはようございます。 「鼓草」 初めて聞きました。 RT @twryossy【今日の季語】蒲公英(たんぽぽ):・・・
08:09 from web
今朝は、昨晩の私のHelpメールにお返事がきていて、まさに朝一番に「救いの神の到来~!」があり、ホッ~とひと安心をして、コチラに参りました。 @IshihataAiさんの「地域教育」のお話も、深まってきているようですね~!後ほどゆっくりお話を聴かせていただきますネ!
08:10 from web
RT @IshihataAi火の用心、おはこび、焚付当番。それは地域社会の自治や経済の全体から見れば、小さな仕事かもしれないが、子どもはそこに正式な一員として参加していた。遊ぶときも、幼い子どもから大きな子どもまで集まれば、そこに異年齢が交わる小さな社会ができあがる。
08:12 from web
大人の働く姿が身近に観えていた?RT @IshihataAiこのように、大人になったときに参加する社会は、子どもの生活の延長線上に断絶なくあった。だから、子どもにとっては、日常生活を当たり前にすごすことが、やがて社会の中核に参与するための学習として、十分に機能していたのだろう。
08:13 from web
RT @IshihataAi料理人が、皿洗いにはじまり、下ごしらえを手伝うようになり、一品任され、全体を仕切るまでになるように、人が学ぶということは、社会の周辺的な役割から中核的な役割へと、その立ち位置を変えていくことだという考え方がある。
08:16 from web
なるほど~「学術的な言葉」と言うのがあるんですね…この言葉が美味しく料理されて消化吸収できる言葉になると、地域で生きる言葉になる?RT @IshihataAi学術的な言葉を使えば、「正統的周辺参加」から「十全な参加」へ。過去の地域社会では、子どもの正統的周辺参加が行われていた。
08:18 from web
色々あると想いますが、働き方や暮らし方も変わり…RT @IshihataAi現在の教育と学習をめぐる問題は、子どもの日常生活とやがて参与する社会との断絶にあると思う。子どもは、当たり前に生活しているだけでは、社会に正統的周辺参加することができなくなった。それはなぜなのだろうか。
08:21 from web
私は、昭和30年代生まれで、父はサラリーマンでしたが、子どもの頃は、特に教育熱が高まってきていた時期のはず。RT @IshihataAi そう思います。加えて、子どもも大人の手伝いをすることで、一緒に社会に参加していたのだと思います。
08:22 from web
RT @IshihataAiよくこんなことを聞く。「今の親は、子どもにかまっていられないほど仕事で忙しい」しかし、親が忙しかったのは過去も同じなのではないだろうか。
08:26 from web
えぇ!夏休み小さな子どもがお留守番をしている白黒映像があり、戦後~30年代初期母親も忙しく働いていたようです。RT @IshihataAiむしろ、その忙しさのために、子どもが家や地域の活動の手伝いをしなければならなかったし、子どもどうしで集まって遊ばなければならなかった。
忘れないうちに宿題をしておこうと想っていましたのに…
中井先生や熊木先生をはじめとして、丁寧に「人を診る」お医者様のお話が、どうも気になります。私にとっては、色々な意味で、とても必要でありかつ興味深く…勉強になっています。ありがとうございます。RT @tetsuo_kumaki こちらこそ、いつもありがとうございます。
00:43 from web
こちらこそ~!RT @en_katsu 嬉!
00:47 from web
昨日は、とっても暖かくなりましたね!午後、磯子に出かけました。「生涯学習コーディネーター養成講座」修了生が集まって、5か月程ふ~ふ~言いながら「冊子作り」に取り組んでいます。RT @twryossy こんにちは。RTありがとうございます。土曜の昼、いかがお過ごしでしょうか。
00:53 from web
お知らせありがとうございます!本巣市のサイトに、淡墨桜のライブ映像や写真が、毎日掲載されているんですね!http://ow.ly/1wQW3 RT @a_rin 本巣市のページにライブカメラあります。…(^_^;; 再 http://bit.ly/aICzFo
00:58 from web
映像があるなんて!ありがとうございます!RT @sapana387 仏陀の産湯映像ですhttp://bit.ly/ayrV3c RT @twryossy【今日の季語】仏生会(ぶっしょうえ)灌仏会」「花祭」などとも。釈迦が生まれる際に竜王が甘露の雨を降らせて産湯としたという伝説
02:24 from web
好きなのかもしれず?とらわれがちなのかもしれず? RT @IshihataAi 人は、過去が好きな生き物なのかもしれない。いつの時代も、人は「最近の若者は」と苦言を呈し「それに比べて昔はよかった」と言う。けれども、教育という営みは、過去を参照しつつも常に未来に向けられている。
02:27 from web
過去は変えられないけれど、未来を想像しつつ、それも想像である事を知りつつ、創造することを念頭に、今を生きる事…RT @IshihataAi だから、私は、過去の地域社会を参照しつつも、ただノスタルジーに浸るのではなく、未来の地域社会のことを考えたい。
02:34 from web
そうですか…「年齢」にも左右されず、できる限りその辺りの「柔軟性を持ち続けられるか…」「立場を替えたり、複数の視点を持てるか…」について、自分自身に問い続けることができたらいいなぁと想います。RT @IshihataAi とらわれがち。その表現がぴったりな気がします。
02:39 from web
そうでしたか!「地域社会」の課題が、実はその「過去」と「現在」のつながりにあるかもしれませんネ。そして「地域教育」には、過去と現在の間に溝?ギャップがある?RT @IshihataAi 今、地域社会と地域教育についてのコラムを書いているところなんです。さっきのはその下書きです。
02:53 from web
あら~気づいたらこんな時間です。実は、持ち帰ったデータをもとに作業をしようと想ったら、私のPCにはフロッピーディスクを入れる所が無くって。そんな事も気づかずにいたとは、オッチョコチョイも甚だしく呆然としてただ笑うしかなく、仲間にHelpメールを出しました。では、おやすみなさい…
07:53 from web
各地に、三春の滝桜の子供の木が、生えているんですか…「桜守」がいらしたのかしら? RT @shirocco1いわき市ですねRT @twryossyさっそくネットで検索してみました。これですね⇒ http://bit.ly/aRbZce う~ん、すばらしい。今まで知りませんでした。
07:56 from web
こちらが、いわき市諏訪神社の桜の巨樹ですね…RT @twryossyお久しぶりです。見事な巨樹ですね!どのあたりにあるのですか。 RT @lililulu1220 夫と二人で夜桜を見て来ました。
07:57 from web
「たんぽぽ」ですね…RT @twryossy 【今日の季語】蒲公英(たんぽぽ):漢字表記は漢方薬名として伝来。その形から「鼓草(つづみぐさ)」の異称があり「たんぽぽ」の名は鼓の音を表す擬音語とされる。◆たんぽぽや日はいつまでも大空に(中村汀女) #jhaiku kigo
08:02 from movatwitter
「たんぽぽ」といえば…子どもが一歳になる前に通っていた赤ちゃん教室の仲間で作った子育てサークルの名前が、「たんぽぽ」だったはず。色んな想い出
08:03 from web
言葉は音から…?RT @twryossy【今日の季語:追記】鼓の音の擬音語は、能楽師だった松本きよしの「チチポポと鼓打たうよ花月夜」の句にも見え、「たんぽぽ」と「ぽぽ」の要素が共通する。他に江戸期のものには「ちちっぽぽ」「ちっぽう」などの用例もある #jhaiku #jkigo
08:05 from web
adankaoさま、私も初めてです~!RT @twryossy 江戸初期の俳諧などにこの名が出て来ます。「鼓小草」の名もあるようです。 RT @adankaoおはようございます。 「鼓草」 初めて聞きました。 RT @twryossy【今日の季語】蒲公英(たんぽぽ):・・・
08:09 from web
今朝は、昨晩の私のHelpメールにお返事がきていて、まさに朝一番に「救いの神の到来~!」があり、ホッ~とひと安心をして、コチラに参りました。 @IshihataAiさんの「地域教育」のお話も、深まってきているようですね~!後ほどゆっくりお話を聴かせていただきますネ!
08:10 from web
RT @IshihataAi火の用心、おはこび、焚付当番。それは地域社会の自治や経済の全体から見れば、小さな仕事かもしれないが、子どもはそこに正式な一員として参加していた。遊ぶときも、幼い子どもから大きな子どもまで集まれば、そこに異年齢が交わる小さな社会ができあがる。
08:12 from web
大人の働く姿が身近に観えていた?RT @IshihataAiこのように、大人になったときに参加する社会は、子どもの生活の延長線上に断絶なくあった。だから、子どもにとっては、日常生活を当たり前にすごすことが、やがて社会の中核に参与するための学習として、十分に機能していたのだろう。
08:13 from web
RT @IshihataAi料理人が、皿洗いにはじまり、下ごしらえを手伝うようになり、一品任され、全体を仕切るまでになるように、人が学ぶということは、社会の周辺的な役割から中核的な役割へと、その立ち位置を変えていくことだという考え方がある。
08:16 from web
なるほど~「学術的な言葉」と言うのがあるんですね…この言葉が美味しく料理されて消化吸収できる言葉になると、地域で生きる言葉になる?RT @IshihataAi学術的な言葉を使えば、「正統的周辺参加」から「十全な参加」へ。過去の地域社会では、子どもの正統的周辺参加が行われていた。
08:18 from web
色々あると想いますが、働き方や暮らし方も変わり…RT @IshihataAi現在の教育と学習をめぐる問題は、子どもの日常生活とやがて参与する社会との断絶にあると思う。子どもは、当たり前に生活しているだけでは、社会に正統的周辺参加することができなくなった。それはなぜなのだろうか。
08:21 from web
私は、昭和30年代生まれで、父はサラリーマンでしたが、子どもの頃は、特に教育熱が高まってきていた時期のはず。RT @IshihataAi そう思います。加えて、子どもも大人の手伝いをすることで、一緒に社会に参加していたのだと思います。
08:22 from web
RT @IshihataAiよくこんなことを聞く。「今の親は、子どもにかまっていられないほど仕事で忙しい」しかし、親が忙しかったのは過去も同じなのではないだろうか。
08:26 from web
えぇ!夏休み小さな子どもがお留守番をしている白黒映像があり、戦後~30年代初期母親も忙しく働いていたようです。RT @IshihataAiむしろ、その忙しさのために、子どもが家や地域の活動の手伝いをしなければならなかったし、子どもどうしで集まって遊ばなければならなかった。