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大人絵本会のお題の「ねぇ、どれがいい?」とう絵本をきっかけに
あんまり、おおげさなことではなく「選択する」「選ぶ」ということを考えてみました。
因みに、お題になった絵本に出てくる「選択」は
どれもこれも…
そんなことを聴かれても、「答えに困っちゃうなぁ~」という珍問奇問ばかりなんですけれど
そんなナンセンスなところが、子どもたちには面白くって、大うけするのでしょうか?
長く読み継がれているベストセラーなんだそうです。
さて…
我が家で日常によくぶち当たる選択は、というと(一般家庭からご覧になると特殊でしょうが…)
息子の言葉でいえば「今日は、学校へ行けるかなぁ?行けないかなぁ?」とか
私から見れば「今日は、行くの?行かないの?」でしょうか?
他にも、「今日のお昼ご飯は、何を食べる?」とか「今日は、何をして過ごす?」とか
「お出かけに何を着ていこうかしら?」とか「目的地まで、どの経路で行こうかなぁ?」
というようなささやかな事柄から
この言葉を、この場で、目の前の相手に向かって「言うか?言わないか?」
はたまた、進学や就職や結婚などなど
人は、意識する・しないにかかわらず・・・
「こんなときどうする?」という様々な選択に、迫られているように思います。
そんなことをつらつら考えてみると、私にとってとりあえずこれまで生きてきた中での
「究極の選択」は、ありきたりですけれど「いまの夫と結婚するか?否か?」かなぁと想いました。
生まれる時、両親やその家庭を、自ら選ぶことはできませんので
約27年過ごした家庭から、伴侶を得て自分で家庭を営む選択をするということは
今、考えても大きな選択でした。
色々と迷う事もあり、周りの人の意見も聴いたと想いますが
その選択も、実は「これだ!」というような確固とした自信があったかどうか?
こんなものかしら…?という程度の、アヤフヤな自信の上で
けれど、最終的には、自分の意思で選んでいたように想います。
そう考えていくと
自分の意思で選択できることと、否応なく選択を余儀なくされることがあるとすると
結果的には、同じことになったとしても…
その人にとっての意味、価値、重みは、ずいぶんと違ってくるのかもしれません。
「自らで選ぶことができる・・・」ということは、その結果を自らが引き受ける覚悟も要りますし
選ぶために判断する力を伴い、さらに選ぶことを許される環境があるわけですから
ほんとうに凄いことに想えます。
この歳まで生きていれば、想うように行かないことがいかに多いことか思い知ることもしばしばですけれど…
そんな中、ささやかでも、自分の人生の道程を自分の意思で選んでいく機会が持てることを
願わずにはいられません。
あんまり、おおげさなことではなく「選択する」「選ぶ」ということを考えてみました。
因みに、お題になった絵本に出てくる「選択」は
どれもこれも…
そんなことを聴かれても、「答えに困っちゃうなぁ~」という珍問奇問ばかりなんですけれど
そんなナンセンスなところが、子どもたちには面白くって、大うけするのでしょうか?
長く読み継がれているベストセラーなんだそうです。
さて…
我が家で日常によくぶち当たる選択は、というと(一般家庭からご覧になると特殊でしょうが…)
息子の言葉でいえば「今日は、学校へ行けるかなぁ?行けないかなぁ?」とか
私から見れば「今日は、行くの?行かないの?」でしょうか?
他にも、「今日のお昼ご飯は、何を食べる?」とか「今日は、何をして過ごす?」とか
「お出かけに何を着ていこうかしら?」とか「目的地まで、どの経路で行こうかなぁ?」
というようなささやかな事柄から
この言葉を、この場で、目の前の相手に向かって「言うか?言わないか?」
はたまた、進学や就職や結婚などなど
人は、意識する・しないにかかわらず・・・
「こんなときどうする?」という様々な選択に、迫られているように思います。
そんなことをつらつら考えてみると、私にとってとりあえずこれまで生きてきた中での
「究極の選択」は、ありきたりですけれど「いまの夫と結婚するか?否か?」かなぁと想いました。
生まれる時、両親やその家庭を、自ら選ぶことはできませんので
約27年過ごした家庭から、伴侶を得て自分で家庭を営む選択をするということは
今、考えても大きな選択でした。
色々と迷う事もあり、周りの人の意見も聴いたと想いますが
その選択も、実は「これだ!」というような確固とした自信があったかどうか?
こんなものかしら…?という程度の、アヤフヤな自信の上で
けれど、最終的には、自分の意思で選んでいたように想います。
そう考えていくと
自分の意思で選択できることと、否応なく選択を余儀なくされることがあるとすると
結果的には、同じことになったとしても…
その人にとっての意味、価値、重みは、ずいぶんと違ってくるのかもしれません。
「自らで選ぶことができる・・・」ということは、その結果を自らが引き受ける覚悟も要りますし
選ぶために判断する力を伴い、さらに選ぶことを許される環境があるわけですから
ほんとうに凄いことに想えます。
この歳まで生きていれば、想うように行かないことがいかに多いことか思い知ることもしばしばですけれど…
そんな中、ささやかでも、自分の人生の道程を自分の意思で選んでいく機会が持てることを
願わずにはいられません。