世代間ギャップとか?
経験の差とか?
性格の違い?
それは違って当たり前⁉️
その都度その都度
ゴツゴツするのも
よくあること…と想えば
人間、いつまでたっても
修行かも〜⁉️
さてさて
ササッと片づけて
サッサカ寝て… twitter.com/i/web/status/1…
— sako yuko (@LittleRing) 2018年8月21日 - 21:18
8/25「西千葉一箱古本市」出店者の皆さん
·書林Seiji
·みろくや
·もう一つの椅子
·よたか堂
·一夜文庫
·C AND
·スローダウン
·はやし書店
·ひつじブックス
·雛の薬屋
·くわのみ書房
·ぺろん書房
·レイ… twitter.com/i/web/status/1…
— kamebooks (@kamebooks1) 2018年8月21日 - 08:39
四畳半ノ星空書房さん🌟
夏の夜の西千葉ご出店なのね〜♪
#本のある暮らし twitter.com/yojyouhan_mire…
— sako yuko (@LittleRing) 2018年8月21日 - 22:25
8月25日の西千葉一箱古本市では、17の小さな本屋さんの「好き」な本たちが並びます。
あなたと同じ「好き」があるかもしれません。
新しい「好き」が見つかるかもしれません。
一緒に「好き」を探しましょう!… twitter.com/i/web/status/1…
— kamebooks (@kamebooks1) 2018年8月18日 - 14:28
急遽出店決定しました~!西千葉の皆さま、どうぞよろしくお願いいたします! twitter.com/kamebooks1/sta…
— 四畳半ノ星空書房 /アマガサ ミレイ (@yojyouhan_mirei) 2018年8月21日 - 05:50
「スーホの白い馬」で知られる児童文学者の大塚勇三さんが亡くなりました。
mainichi.jp/articles/20180…
— 毎日新聞 (@mainichi) 2018年8月20日 - 21:44
石牟礼道子、神谷美恵子、原民喜、須賀敦子、ここに挙げた人は皆、世に虐げられた人々に、高い「生産性」から遠く離れたところで、おのれの人生を生き切った人々に強く導かれ、不朽の文学、不朽の思想を世に残した。私の人生を変えてくれたのも危機に直面した「弱い」しかし、勇敢な人々だった。
— 若松英輔 (@yomutokaku) 2018年7月25日 - 22:37
【著者TV出演】昨日放送のNHK Eテレ「100分de名著」では『走れメロス』をテーマに若松英輔さんが話され、「メロス」の見方がガラッと変わる内容でした。なお再放送は8月22日(水)午前5時30分~、午後0時00分~の予定です。お… twitter.com/i/web/status/1…
— 亜紀書房 (@akishobo) 2018年8月21日 - 12:30
「読み」の訓練は、身近な古典でやるに限る。太宰治の「走れメロス」もよいが、芥川の作品も、漱石の『こころ』もよい。若いときに読んだと思った作品をじっくり読み直してみると、全く違った地平が見えてくる。賢治の「銀河鉄道の夜」には、ある年齢になってやっと観えてくるものも多くあると思う。
— 若松英輔 (@yomutokaku) 2018年8月21日 - 00:16
長い文章を読むのが難しい。小説を読むのもしんどい。でも、本を読みたくないわけでじゃない。むしろ、スマートフォンばかり見ているのにも疲れている。そんな人におすすめなのは、詩だ。愛すべき詩人をひとり見つける。それだけで生活は驚くほど変わる。少ししたら、詩を書くようにすらなるだろう。
— 若松英輔 (@yomutokaku) 2018年8月21日 - 00:49
大切な人には美しいものを贈りたい。だから、時間をかけて花を選ぶ。枯れることが分かっていても、受け取ってもらったときの喜ぶ顔がみたいからだ。だが人は、枯れない美しいものを贈ることもできる。言葉だ。さらにいえば詩だ。嘘だと思うなら書いてみればいい。書く前に嘘だというのは違うと思う。
— 若松英輔 (@yomutokaku) 2018年8月21日 - 00:54
自分には詩は必要ない。そう感じている人が多くいるのは分かる。少し前まで私自身がそうだった。だが大切な人がもし、言わないだけで本当は、自分のために一篇の詩を書いてくれたら、と感じているとしたらどうだろう。ある労力を費やしてでも内なる詩人の目を覚ませたい、そう思うのではないだろうか。
— 若松英輔 (@yomutokaku) 2018年8月21日 - 01:11
大切な人に、あなたに出会えてよかったと、巡りあいの感謝の念を伝えたくなる事は、誰にもあるはずだ。だが多くの場合、人はそれを伝えずに終わる。おもいは語らなくてもよい。だが、書いた方がよい。言葉は自ずと詩になるだろう。詩は見せなくてもよい。おもいは、いつか必ず姿を変えて伝わるからだ。
— 若松英輔 (@yomutokaku) 2018年8月21日 - 01:28
現代人はこれほど多く文字を読めるようになったのだから、そろそろ、書き手が何かを書いたかだけでなく、何を書かなかったのか、書き得なかったのかを考える時期だ。「読む」とは、目に見える文字を追うだけでなく、その奥に不可視な意味のうごめきを感じる営みであることを想い出してよい頃だ。
— 若松英輔 (@yomutokaku) 2018年8月21日 - 01:35
もし、言葉で全てを伝え得るのであれば、人に「歌」は必要なかった。言葉ではどうしても伝え得ないことを、私たちは、曲や調べ、律動、振動の力を借りて、相手の心に届けようとしてきた。言葉を超えた何かを伝えようとするとき、存在の波動というべきものの助力が必要であることを知っていたのである。
— 若松英輔 (@yomutokaku) 2018年8月21日 - 01:44
やはり…まだ
日曜日のイベントの余韻が
アタマのなかに
ときに浮かんでは消えして…
うれしいお返事に
ささやかな気持ちを乗せて…
#日々のこと
与えられた場を活かすには…
場は…ひととひと…
その人のやりたいことに
意… twitter.com/i/web/status/1…
— sako yuko (@LittleRing) 2018年8月21日 - 22:38